潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS セレブリティ クルーズ 〜26〜 ベルファーストA 「平和の壁」

<<   作成日時 : 2007/08/17 08:36   >>

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5月22日。クルーズ6日目。
今回もまた、少しお堅い、楽しくない話です。
堅苦しい話がお嫌いな方は、どうぞ、遠慮なくパスしてください。
自分で読んでさえ、面白くも可笑しくもありませんから。
記録として、残しておきたい。その思いだけで、今回はまとめました。


ベルファースト。中心街の西地区。
カトリック系とプロテスタント系住民が近接して住む、かつての抗争の街です。
相争った住民たちの地区同士の境界には、かつてのベルリンの壁のように、「ピース・ライン」(注・平和の壁)という何とも皮肉な名前の、高さ約3メートルの壁が延びています。
この壁に描かれている政治的な壁画が、街の印象に深い陰影を加えています。

〜写真上は、プロテスタント地区の広場。7月13、14日に行われるパレードの前夜祭に、この広場はキャンプ・ファイヤーのような大きな焚き火で彩られる。その燃やす材料として、1カ月以上も前から、広場には始末に困った粗大ごみが捨てられていくのだという〜

画像バスで巡りました。小路も走れるミニ・バスで。一歩も、車外へ降りずに。シャンキル(Shankill)通りからフォールズ(Falls)通り、さらに右へ、左へ。ゆっくりと走る車内の座席で、窓ガラスにしがみつきながら「壁」を、家並みを、街並みを、通る人々を眺め、ガイドさんの話に耳を傾けました。
以下、車内で聞いたガイドさんの話の、羅列です。音声はビデオに残っていますので、出来るだけ忠実に再現しました。

画像「これから私たちは、左手に折れて、フォールズストリートという、小説にもなった、ちょっと過激な場所に行きます」。「1960年代、70年代のころのこの街を、こちらで作っている映画などで見たりすると、やはり、ちょっと怖いな、という感じがします」。
注・フォールズ通りは、カトリック系の住民たちの地区の中の道で、かつて、火炎瓶の投げ込みなどひんぱんに事件の起きた道路。

画像「見える住宅群は低所得者用のアパートです。アルバニアから来た人たちもここら一帯に」

「実はアイルランドにも、アイルランドジプシーという人たちがいるんですよ。悪さをして車を盗んだりするのですけれども。イタリアでほど、ワルサはしないですね」。

画像「ご覧ください。絵が描いてあります。ミューラルス(注・Murals)と言います。壁画という意味なのです。有名で、現在では風物詩になっているのですが、元々はIRAなどのプロバガンダとして描かれました。お写真を撮る方は、どうぞ、車の中からお撮り下さい」。

注・絵の大きさは、一枚平均、高さが約2メートル、幅は約3メートルほどだろうか。英語ばかりでなく、中にはアラビア語のアピール文も。

画像「最近は平和的なものも多くなってきて、コラージュにして絵葉書にもなっています。ブッシュ大統領を皮肉ったものとか、パレスチナやイラク問題をテーマにしたものも。始終変わります。誰が書いているのかわかりませんが」。

注・「アメリカの偉大な失敗者」のコメント付きで、ご覧の方の顔も。吸い込んでいるのは? 皮肉たっぷりだ。


画像「アイルランド共和国の旗が立っていますが、ここは過去の紛争に関わって亡くなった人たちの慰霊碑です。そして右手。男の人を数多く描いたレンガビルがあります。ここは、IRAのシン・フェイン党の、ヘッド・クォーター(注・Head-quarters、指揮所)だったところです」。

注・記念墓地と表記された小さな墓地公園は、きれいに整備されていた。

画像「そしてそのさらに右。にこやかに笑っている男の人の絵が描いてあります。この人はボビーさん(注・Bobby Sands)と言い、ロンドンデリー出身で、1980年代初めに逮捕されて牢獄に入れられました」。

注・ボビー・サンズは、ハンガー・ストで獄死したカトリック系の若者。殉教者扱いされている。以前の顔の絵に、タクシーの宣伝を上書き。

画像「当時、IRA関係者は大変にひどい扱いを受けました。その後彼は、無罪を訴え、また暴力犯罪者としてではなく政治犯として扱われるべきだと主張し、獄中でハンガーストライキをし、餓死します。その後合計9人が彼に追随します。そして殉教者となりました」。

注・「マンチェスターの犠牲者」の表記も挙がる。カトリック系の壁画である。

画像「左に壁が立っています。〔ピース・ライン=注「平和の壁」〕と言って、ベルリンの壁のようです。あの壁から、私たちが今走っているところがカトリック地区。向こう側がプロテスタント地区」
「このバスは、もうすぐあちら側、プロテスタント側も走ります」。

注・これは、プロテスタント側に入った後での壁画。こちらからだと、壁の向こうに見える屋根はカトリック系住民たちの住宅。
画像「それぞれの街では、ちょっと見ない顔の人が来たとしますね。すると、お前、どこに住んでいる。通りの名をいうと、そこで、この男はカトリックかプロテスタントか、どちら側の人間なのか、およそ見当がつくのですね」。

注・フレデリック・ダグラス。奴隷制度廃止へ貢献した黒人運動家の壁絵も。

画像「最初は、意地の張り合い、子供みたいなものだと思っていたんです」「なかなか理解できないもので、一番過激な地区のコミュニティーセンターでボランティアをしました」「すると、日本はいい車もある、コンピューターもある、ということで、割とすんなり仲良くれました」。

注・こちらはプロテスタント地区。塀の高さは約3メートル。ナチの絵やボクサーの巧みな絵が。

画像「で、仲良くなったその人たちに、どうして、と、聞きました」。「悲しいですね。そんな話をちょっとしたら、自分が8歳のときに家の中に火炎瓶を投げ入れられ、火事になって、家族の誰々が死んだ」。

注・地区の店の壁面も、キレイに色が塗られ、絵が描かれている。

画像「そんな話は、悲しい過去は、このピースライン沿いに住む人たちの誰もが、持っているのですね」。

「そして、その悲しみは、ここに住む人たちには、ごく通常のこと、生活の一部になっているんです」。

「話を聞いて、一日中泣き続けました。締め付けられるような悲しみで」。

画像「今、門を通り過ぎました。両地区を分けている〔ピースライン〕に今でも残っている3つの門のうちの一つです」。「門に今では、平和的な絵が描いてあるのですが、以前はプロバガンダの絵でした」。
「塀は、高さがおよそ3メートル。ナチスなど怖そうな絵の描かれているこちら側が、プロテスタント地区」。「ツアー・バスで来たのは、私も初めてです」。「普通の観光ツアーでは、なかなか来れないところです」。

画像「マフィア・シンジケートや、日本のヤクザの方がこのバスに乗っていらっしゃったら申し訳ないのですが、IRAは、そのヤクザ組織のような面もありました。組織の末端の、やくざのようにチンピラを使って爆破の実行を行っていました」。「そしてその末端の下っ端の中に、シン・フェイン党でもコントロールが効かない過激集団が登場するのです。その集団が、オマー(注・Omagh=北アイルランド、「真のIRA」の犯行)という街で1998年に」。

画像「30人近くが犠牲になる爆破事件を起こします。アレが最後。以降、現在まで爆破事件は起きていません」。
「壁の絵は、外部の人たちには怖いかもしれません。でも、中に住んでいる人たちには、これによって守られているという思いが結構、あります」。

「もう、絵は、すっかり普段の生活の一部になっているのですね」。

画像「ここの広場は、最も過激な人々が住む地区の広場です」。
「ソファーなどの粗大ごみがいっぱい捨ててあります。これは、7月13,14日に大きなパレードがあって、前夜祭にキャンプファイヤーみたいに大きな火を焚くんです」。
「アルコールが入った住民たちは、大騒ぎをすることも」。

画像「そしてまた、時には一触即発の状態になることも」。
「置いてある粗大ごみは、その夜に一緒に燃やしてしまおうと」。
「今でも一番過激な地区です」。
「日本では下町、にあたりましょうか、雰囲気は。刺青いっぱいの人たちも住んでいらっしゃいます」。「見た目、確かに怖い。ですが、皆さん、最近はとても柔和な表情に変わってきたように、感じます」。

注・公営住宅も次々に新しく建てられ、街は大変きれいになってきたという。
画像1980年代から1990年代初めにかけて、ロンドンに中、長期滞在した経験を持つ方は、当時を思い出すだけで頭痛がするのではないでしょうか。

後に、ジョン・レノンが「ブラッディ・サンデー(Bloody Sunday」で歌い上げた、悲しいあの「血の日曜日」事件。以降始まったせめぎ合いは、ロンドンも舞台に。爆発予告、封鎖、検問、爆発、、、。
完全武装の軍隊、警察官。張られた封鎖線、動かない地下鉄。鋭い目をした人々の検問、身体検査。地の底から這い出てくるような、北アイルランド、カトリックの人々の悲しみと怨念を身近に感じて。
怖かった、、、?!。IRAやUFVでないことはもちろん、UKの人間でさえない。そんな、東洋の島国のパスポートを持つ、異国の人間に過ぎないのに、、、。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
しっかり読ませていただきました。
写真を拝見しながら同時通訳を聞いているようで興味深く「へ〜 IRAがヤクザ組織のようなものなんて初めて知った。」
カトリックとプロテスタントの争いって言うより 宗教に名を借りたヤクザの対立ってことなんですね。
争いの影には多くの傷つき死んでいった人たちがいるのです。争うことのバカらしさに気がつき 現在は平和な地区になってよかったです。

今回はミスのないように気をつけましたが そそつかしい自分に落ち込んでおります。
みえこ
2007/08/17 11:43
hiroshiさん 
いよいよ〜ベルファーストは佳境に入りますね!

>「ピース・ライン」という何とも皮肉な名前の、高さ約3メートルの壁・・・・ そうですか?それで守られてるんですか?
>カトリック系とプロテスタント系住民が近接して住む・・・ かってのの抗争を知ってるから〜 夢のようですネ〜
>「時には一触即発の状態になること
も」。・・・本当に危ういですね!

「アメリカの偉大な失敗者」のコメント付きで・・・ 何だか頷いてるワタシです。
みんな貴重な画像ですこと! 全く知らない世界は引き込まれて読みました。 次は??
たえこ
URL
2007/08/17 16:19
みえこさん、ようこそ!
狭いわが家ですが、帰宅してクーラーを効かせて冷たいモノを流し込むと、ホッとします。どうしてこんなに暑いんですかネ?

北アイルランドの紛争ですが、確かに。ホッとしますね、地球の上の争いごとがたとえ一つでも減ってくれると。

ただ、個人的には、このまま、あの紛争が終結すことおはないと思っています。両陣営とも、一時休止する、と宣言してだけの状況が続いているだけですので。
植民地の地主として遅く入ってきたプロテスタント系の人々の人口と、元々この島に住んでいた人々の人口対比は、あの怖い事件が頻発した当時
で65対35。カトリック系の人々は多産系なので、現在は55対45。これが逆転して、カトリック系人口が多くなった時。英国から離れてアイルランドへの統合希望の絶対数が上になります。英国として生きるか、アイルランドで生きるか。再び紛争でしょう。多分、今度はもっと激しく。
hiroshi
2007/08/17 17:02
たえこさん、ようこそ!

今回の写真、写真のセンセーに見られるのは、ちょっと恥ずかしい。みんな、ビデオの静止画です。ビデオカメラを回し続けただけの低ピクセルの写真ばかり。ホント、恥ずかしい写真です。

今回のクルーズを選んだ最大の目的は、この街へ立ち寄ることでした。あの身の毛もよだつ体験をした紛争の発端の街を見てみたかったのです。陸旅でも、パッケージでここ3,4年、ツアーは登場しはじめているのですが、英国と一緒に巡るか、アイルランド周遊の一こまか、なので、北アイルランドだけを訪ねるツアーは、ありません。まだ怖くて、自分たちだけで個人旅行するのはイヤですし、それで、このクルーズを選んだ次第です。一応、目的を果たせたワケで、まずまずでした。

「佳境に」などと書いていだいていますが、固い話は、これで終わりです。
昔、いろいろと体験したコワイ事件の元凶を、元凶の街を見終わりましたので。
次回のクルーズ以降は、また初心に戻って、カリブ、さらに、たえこさんが計画なさっている島やアラスカなど、楽しむだけの目的で参加するつもりでいます。
hiroshi
2007/08/17 17:19

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