潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS セレブリティ クルーズ 〜29〜 ダブリン@

<<   作成日時 : 2007/09/01 13:33   >>

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さて、再びセレブリティ・クルーズ、「センチュリー」の乗船記、「覚え書」です。

前回は、北アイルランド・ベルファーストを出発。アイルランド・ダブリンへ向かう途上、
船内の店々や並ぶ商品についてまで、まとめました。
引き続き、船は、、、。


5月23日。午前7時。
船内新聞によると、ベルファーストから112マイル(海里)、200キロ余り。
「センチュリー」は、ダブリン市街を南北に分けて、西から東に流れるリフィー川河口のアレキサンドラ港に着岸しました。

〜下写真は、オコンネル橋から北、オコンネル通りを望んで〜
画像


画像港からはバスで。港は、地図の右方向、欄外。近郊列車DARTの路線がリフィ川を跨ぐ地点から約1キロ下流です。

中心街のトリニティ・カレッジ近くのナッソー通りで、バスを離れました。
赤丸印の、土産物店のすぐ前でした。見どころはこの一帯に集まっており、どちらへ行くにも便利です。


〜アレキサンドラ港と、名前は女性名詞でイメージはやさしいが、ここも、何とも殺風景な港であった〜
画像港から街まで、バス乗車時間は約15分。帰りは、自分たちの足で、のんびり、ぶらぶらと、散歩気分で帰船できそうです。
そんな歩きが結構好きなのですが、今回のクルーズでは、まだ、一度も歩いて船に帰ったことがありません。港は、遠隔地ばかりでしたから。

さて、いきなり、引用です。
しかも、ちょっと長々と。


〜オコンネル像。愛国運動の弁護を行った、アイリッシュ、カトリックの法律家。解放者とたたえられている。
ちなみに、アイルランドの旧家や昔の氏族、いわゆる貴族階級には、姓の前に「O(オ)」のつく家名が多い。マーガレット・ミッチェル著「風とともに去りぬ」の女主人公、スカーレット・オハラのように。
スコットランドに多い「Mac」「Mc」はアイルランドにもあるが、スコットランドの「マグドナルド」がこちらでは「マグダネル」となるように、わずかに発音が違うので、区別できると言われる〜

画像引用開始デス〜

  『ダブリンにいる。
 着いたばかりで、まだホテルのロビィにいる。
 ザ・グレシャム・ホテル。
 1817年創業。 
 創業者は、トーマス・M・グレシャムという人だそうである』

 『ダブリン。先入主がある。
 なにしろ、多くの文学者を出した街だけに、小説を通して当方のあたまにダブリン像がつくられている。
  そのダブリンは、陰鬱な小雨が似合っている。
十九世紀の建物が葬列のようにならび、河口のむこうに暗い海が見えなければならない。


〜ザ・グレシャム・ホテル玄関。ヨーロッパのホテルの常、外観はあまり特徴はないが、内部に入ると設備も豪華で、居心地はいい〜
画像 実際は違っていた。

 建物はみな、ロンドンに似ている。
建物の背丈がうんとひくいために、アイルランドらしいガラス絵のような空が大きく見える。
 街は、あかるい。街をゆくひとの足どりは世界じゅうのどの都会よりもリズミカルで、軽快にみえる。

大柄な人がすくないことと、たいていの人が筋肉質で、運動神経がありそうだということと、無縁ではない。
軽快というよりも、人も街も小粋なようである。

 首都のくせに、たった一筋だけの道路ながら、道端で市が立つ。
 野菜、果物、肉、さまざまな食品が、むきだしで盛りあげられている。


英国からの独立、アイルランド共和国宣言をしたイースタ−蜂起で司令部として使われた中央郵便局の西側の小路、ムーア通りで開かれる市「ムーア通りマーケット」は、正午前には終了してしまう。花屋の露店の花束のお値段、1束3ユーロから5ユーロ
画像 おそらく流通などを信じない農民たちが道端に畑のものを盛りあげ、じかに消費者に売っていた時代の名残にちがいない』

『私どもは、何度かふれてきたように、オコンネル通りのホテルにいる。
 ホテルの玄関を一歩出れば人通りの多い歩道で、そこに立っているだけで気分が晴れてくる。


〜オコンネル通りの最北端、パーネル・スクェアに立つチャールズ・スチュアート・パーネル像。アイルランド小作農の土地所有のために尽力した。ザ・グレシャム・ホテルの玄関を出ると、すぐ右手にこの銅像が見える〜
画像 『 おなじ基幹街路でも御堂筋には銀行や貸しビル、大会社の社屋などといった沈黙の建物が多いが、ここではカメラ屋さん、軽食堂、小さな洋品店といったように、当方が見たり、ショーウィンドが話しかけてきたりする店が多い。

 見るといえば、歩道の画家が、路面に色チョークをたっぷりこすりつけて極彩色の絵を描いている。クソ写実である点は、日本の銭湯のペンキ絵の富士山そっくりだが、ただ風景を描かずに、人間を描く。
 私が見たときは、イエス・キリストの顔ができあがっていた。胸まで描かれていて、心臓から放射線状に光が出ている。』

=司馬遼太郎著「街道をゆく・愛蘭土紀行T」(朝日文芸文庫・1993年7月1日第一刷)=



〜再び、オコンネル橋からオコンネル通りを北に臨むと−。
最上段の写真にも写っているが、細い針のような塔が見える。2003年に完成した「スパイヤー(尖塔、Spire of Dublin)」。「モニュメント・オブ・ライト(光のモニュメント)」とも呼ばれ、高さは120メートル。先端部に発光部が設けられている。
司馬遼太郎訪問時はもちろん、こちらがアイルランドを初めて訪ねた7年前も、ここには英国統合時代の英国人の像が置かれていた〜

画像長々と引用しました。
掲げた文の一部に、ガイド部分は少ないですが、実際は、本全体に内容豊かに案内されています。

20年前の旅の記録ながら、今なお新鮮です。ダブリンを訪ねるに、これに勝るガイド本はない、と思っています。
今回は持って行かなかったですが。

元々エッセーなのですから、旅行記としても、秀逸です。シリーズ作のうちの一作が、日本文学大賞に輝いたのも、当然だったのでしょうネ。

単行本は、シリーズ全43冊。うち、ヨーロッパを巡ったのは3コース、計5冊。
その中で、日本文学大賞受賞作。〜「南蛮のみちT」「同U」。
文庫本も、追っかけて出版されました。


〜アイルランド銀行。イギリスに併合された1800年まで、アイルランド自治議会の議事堂として使われていた〜
画像サン・セバスチャンからパンプローナ、フランシスコ・ザビエルの生地ハビエル、サンチャゴ・デ・コンポステーラへの旅で「T」を、

ポルトガルへの旅のうちの一回だけですが、「U」を持参しました。

オランダへも、何度目だったか忘れましたが、持参したことがあります。


〜中央郵便局の、オコンネル通り側夜間受付窓口。
こちらは、1916年のイースター蜂起でアイルランド義勇軍の司令部として使われた建物。
イオニア式の正面玄関は映画にもガイドブックにも良くでてくるので、ひと味変わった写真で紹介。
これもガイドブックに良くでてくるが、アイルランドの伝説上の英雄クーハラン像が内部に置かれている。
臨時大統領となって『共和国宣言』を読み上げたパトリック・ピアーズが、処刑される前に獄中から母親宛に出した最後の手紙が残っているが、ひょっとすると、この夜間窓口から投函されたかもしれない〜

画像
この作家のシリーズ作品を片手に、、、。たった一度の体験しかない、アイルランド一周旅(北アイルランドを除く)も、そうでした。7年前の7月です。

うちダブリン滞在中は、司馬遼太郎が1987年に巡った時と同じ、オコンネル通りの老舗ホテル「ザ・グレシャム・ホテル」に滞在。どうしても泊まってみたかったのです。で、4泊しました。


〜正面玄関左柱に貼り付けられたホテルの名前入りペナント〜
画像『街道をゆく』に登場する、というだけではなく、ダブリンで最も古く、さまざまに由緒あるホテルの一つだからです。

名前をそのままタイトルに映画にもなった、アイルランド独立戦争の英雄、マイケル・コリンズ。あの戦争当時の1919年からしばらく、彼は何度もこのホテルで同志たちと密会したことでも知られています。
1960年代、ビートルズが即興でセッションを開いたホテルとしても有名です。
ジェイムズ・ジョイスの小説『ダブリンの人々』に、登場人物にそのまま、「ザ・グレシャムに泊まっている」と話させていることも、著名です。


〜オコンネル通りとクロスして東西へ走る商店街ヘンリー通りから眺めたスパイヤー〜
画像たった数時間しか滞在しない船の遠足の今回も、わざざわざ、ホテルのあるオコンネル通り北端まで訪ねて行って、『やぁやぁ、昔、泊まったことのある、日本人客だゾぉ』、などと。
そんな厚かましい馬鹿げた来客をも、サラリと受け入れてくれる、ホテルなのです。

玄関から左手、フロントを覗いて。ドアマンやボーイ頭たちと話をして。ロビーのソファーに座って、お茶を飲んで。トイレを借りて、手を洗って。向こうは誰も、終始笑顔で応対してくれました。

数少ない快適ホテル。人の応接の温もり。設備の居心地のよさ。それらは今も、伝統となって続いていることを確認してきたワケです。

世界にいくつか、あるんですよね、こんなホテル。
なぜか、著名で格式が高いほど、人懐っこい、客に心地良く働く人々が、多いような気がします。

〜「ザ・グレシャム・ホテル」正面〜
画像といっても、1泊5、6万円から10万円前後もするような超高級ホテルはとても、とても。たとえば、この街で「メリオン」は無理です。

好きなワイキキでも、伝統の名門「ハレクラニ」や「ロイヤル・ハワイアン」は、覗くだけは何度もしていますが、そして快適度は抜きん出ていることを知ってはいますが、身分不相応。

オン・ザ・ビーチを離れますが、似た心地良さを味わえる老舗の「プリンセス・カイウラニ」や「プリンス・クヒオ」が、懐具合と求める温もり感に適合します。

〜ホテルの廊下〜
画像イタリアでも、フェデリコ・フェリーニ監督が上流階級を描写した映画「甘い生活」の舞台、ローマの「エクセルシオール」は、立地のとおり、はるか、はるかに高台、に過ぎます。

「エデン」や「マジェスティック」もなお身分不相応です。が、「レジーナ・バリオーニ」や「ベルリーニ・ブリストル」クラスには、何とか泊まりたい。
好きなヴェネツィアでも「ダニエリ」や「エウローパ・エ・レジーナ」「バウアー」は、憧れていますが、懐具合と合わず諦めてます。ドアマンの前を歩くだけで、緊張します。
が、「メトロポール」や「モナコ・エ・グランドカナル」クラスには、同じように残っている、旧貴族の館のたたずまいと、人懐っこい温かなもてなしの心を、何とか味わいたい、、、。

〜ギネス・ストア・ハウス。世界的に知られるギネス・ビールの本拠地〜
画像
「街道をゆく」を読むと、このブログで文字を書き込むことが、恥ずかしくなります。ヘタクソな文章を、、、。
そしてまた、書きたいことのほとんどが網羅されています。
ここ20年ほどの変化を除いて、、、。


〜リフィー川にかかるハーフペニー橋から眺めた川下。小さく見える緑の丸屋根はカスタム・ハウス(税関)〜
画像で、なるべく割愛します。この街の印象記は。一つ二つ、を除いて。

週刊誌に連載されていたころからみると、イヤ、司馬遼太郎がこの地を旅した20年前に比べると、ほんのわずかですが、変わってきたり、「愛蘭土紀行」で触れなかったりしていること。それについて書きたいと思います。


〜ハーフ・ペニー橋。昔は、文字通り半ペニーの渡橋料金のいる有料橋であった
画像が、冒頭は、彼が触れている話の一つです。

年代の差、でしょうか。アイリッシュ系初の大統領J・F・ケネディが登場したころは、向こうは既にベテラン社会人。新聞記者の足を洗って、作家生活まっしぐらだったのでしょうが、こちらはまだ、「キトキト」(今春に封切られた、この方言をテーマにしたあの邦画、良かったデスネ!)の、フレッシュで尻の青い「青二才」でした。


〜ダブリン・ライターズ・ミュージアム。
バーナード・ショーやウイィアム・パドラー・イエイツ、サミュエル・ペケット、シェイマス・ヒーニーの4人のノーベル文学賞受賞作家やジェイムス・ジョイス、オスカー・ワイルドなどアイルランドの作家たちの遺作や遺品を展示している〜

画像WASPでなければ夜も日も明けない、とされていた、アメリカ社会のしきたりを打ち破って、

あの有名なジャガイモ飢饉で移民した貧しい一族の四代目、カトリックのアイリッシュが、世界に冠たる米国のトップに立った衝撃。


〜ハーフ・ペニー橋から眺めた、ダブリンの歓楽街、テンプル・バー〜
画像司馬遼太郎は淡々とその事実を引き合いに出しながら旅の記録を残していますが、
当時のくちばしの黄色い若者にとっては、月に人が降り立った以上の劇的な出来事。
それまで、どこにあるのかさえ良く知らなかったユーラシア大陸西端の島国アイルランドは一躍、ユーラシア大陸東端の島国に住むこちらにとって、いま流行(はやり)の絵文字のように、キラキラ点滅しながら、舞台の奈落からしずしずと昇ってきたのでした。


〜アイルランドの人々の心のふるさと、タラの丘の石=2000年7月撮影。現在は、石の下部は新たに石張りされて、美しく整備されている〜
画像自然、この国への思い入れは、冷静に分析、紹介するこの作家よりも、比較にならないくらいに「夢」「うつつ」の側に倒れこんで、あばたもえくぼの見方をしてしまいます。

小難しい表現を排除して簡単に言えば、アイリッシュとつけば、何でもすべて、ステキに見えてしまう人間になったのです。

名を冠した犬の犬種名を耳にしただけで、ドキッとする時期さえありました。
不惑の年齢を過ぎて、時同じく、北アイルランド紛争が激化して。おかげで熱は醒めて、病は全快しましたが。


〜この映画。語る必要もない、あの名画の一場面〜
画像だから、若いころに憧れた、アイルランドとゆかりのモノは、多かったですネ。

思いつくまま脈絡もなく挙げていけば、マーガレット・ミッチェル原作「風とともに去りぬ」と、その映画化作品。

主人公スカーレット・オハラが最後に昂然と顔を上げて叫ぶ「そうだ、タラへ帰ろう。帰って考えよう」の、アイルランドのタラ。そして、架空のアメリカの「タラ」の街とアトランタ。

ジョーン・フォンダ監督。西部劇。ジョン・ウェイン。モーリン・オハラ。グレース・ケリー。ジェームズ・ギャグニー。メル・ギブソン。パット・オブライエン。


〜もともと漁師のセーターだったアラン・セーター。こんなワイルドな販売方法も似合って見える=2000年7月撮影〜
画像読もうと何度も挑戦しながら途中で投げ出してしまい、この歳になるまで読み終えていない
(根気がなくなったのと、残る人生、短くなったのとで、多分、もう読み終えることはない)
「ユリシーズ」。
ジェイムズ・ジョイス。ウィリアム・パドラー・イエイツ、サミュエル・ペケット。小泉八雲。オスカー・ワイルド。バーナード・ショー。ジョナサン・スウィフト。

画像
アラン・セーター。ギネス・ビール。アイリッシュ・ウイスキー。カントリー&ウェスタン。タップ・ダンス。
、、、きりがないから、もうやめます。

アイルランドの人口、400万人弱=2004年現在。〜アイルランド系移民、アメリカに4000万人、カナダとオーストラリアとニュージランドに約3000万人、、、。

小説のように、地震大国ニッポンがもし沈没して。移民した日本人はアイルランドの人々のごとく、やがてその国の大統領になるほど、たくましく生きていくことが、果たしてできるのでしょうか。 もし、、、の話ですが、、、。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
hiroshiさん こんにちは〜
アイルランドの首都ダブリンですか?

>アイリッシュとつけば、何でもすべて、ステキに見えてしまう人間になった。こちらはまだキトキトの、フレッシュで尻の青い「青二才」でした。
そうですか? キトキトの若くて素晴らしい青春時代でしたか?良かったですね!

私は無知で奥深いアイルランドの 歴史をいまだに理解するのが難しいんですがお陰様でほんの少し雰囲気を味わえました。素晴らしいです。良いところですね!
 
つづく〜
たえこ
URL
2007/09/01 18:53

そして〜何だかとつても懐かしい大好きだったビビアンリーに会いました。 アシュレとレッドバトラー、メラニーとスカーレットオハラ この映画の封切り頃は、私の青春そのものです。
映画見た大分後で河出書房の緑の表紙の「風と共に去りぬ」 何度も読みましたよ〜 
主人公スカーレット・オハラが最後に昂然と顔を上げて叫ぶ!「そうだ、タラへ帰ろう。帰って考えよう」の、強い女性! 若い時は判らなくてアシュレが憧れでしたが〜 だいぶたってレットバトラーが理解出来ました。
アイルランドのタラで そして、架空タラでしたか? 成程です。勉強しましたよ〜〜
何だか稚拙で〜上手く書けませんわ〜

文字数多いから別にしました。
たえこ
2007/09/01 18:54
たえこさん、ようこそ、ようこそ!
今、夕食を終えて、ちょうどPCの前に座ったところです。

ビビアン・リーとレッド・パドラー。そうですね、あのころの若き乙女たち、たえこさんやみえこさん、そしてうちのカミさんたちの憧れのスターだったのでしょうね。
ケネディー大統領が、初めての日米衛星中継でつながったその瞬間、暗殺されたというニュースであったのも、当時の「青二才」にはショッキングな出来事で、ますます彼に傾斜していったような気がします。

昔、朝日ソノラマといって、ビニールシートのレコードに、ちょうどその時の話題の音声を入れて販売する仕組みの雑誌がありました。その一冊に、ケネディー大統領の就任演説などいくつかの彼の演説を組み込んで売り出しました。それを、いまだに持っています。

「風とともに去りぬ」は、もちろん、こちらにとっても憧れではあったですが、向き先は、アトランタをはじめアメリカの南部へよりも、直接、アイルランドへ向かったデス。
hiroshi
2007/09/01 19:17
アイルランドの首都、ダブリンは、たえこさんが行っていらっしゃるローマやパリなどと比べると、片田舎の街、という感じです。わざわざお訪ねになるほどの街ではないと思います。
ギネス・ビールとアイリッシュ・ウイスキーくらいしか、名物はありませんし。

ただ、個人的ですが、若いころにあこがれた国であったので、リタイア後、最初に訪ねたところであったというだけで、、、。お隣の国は、仕事をしていたころは縁があったのでなんですが、この国は来たことがなかったのです。

たえこさんは、そろそろ、次のクルーズ、または来年のクルーズが本決まりするころではないですか? こちらは、いろいろ考えていますが、わが奥さまは最近、アラスカ(まだ行ったことがないんです!)を、、、と、方針変更の話をし始めました。その前に、どこかに、とも考えていますが、なにしろ、先立つものを豊富に持っていませんので、、、。まだまだ白紙です。次は、ロイヤル・カリビアンやカーニバルなど、手ごろなクルーズを考えています。
hiroshi
2007/09/01 19:30
こんにちは!  先日のベルファーストも大変興味深く読ませていただいたのですが、正直言って、あの長い闘争については、イマイチ良く分っていないようです。 ニュースで見る都度、またやっている!という感想でしたが。

今回のダブリンも、大変面白かったです!  hiroshiさんの事自体を知りませんから、少しずつわかって、ああ、なるほど、という部分もありますし、 そしてやはり、ダブリンの街の名前は、大きい存在ですね。  
チャールズ・s・バーネルの像の背景に、金色に輝くハープが見えますが、これ納得です。 今のエウロ・コインの裏のアイルランドの分は、全てこのハープなのですね。  由来を教えてください。   
「マイケル・コリンズ」の映画は、TVで見ました。 良かった!  で、今回あのホテルの由来も知り、内装についても思い出した、というわけです。
また、楽しみに、次回を!!
shinkai
URL
2007/09/02 16:26
やあ、やあ、shinkaiさん、
お忙しいのに、お書き込み、ありがとうございます。
そうですね、ブログを始めて、最近、ようやくわかったのですが、ブログを書き続けるということは、自らを、他人さまにさらけ出していくことなのですね! あまり中味のない、人間の幅も小さな薄っぺらな自分だけに、シマッタ、と、思い始めています。次々に服を脱ぎ捨て、汚点もさらけ出さなければいけない部分もあって、恥ずかしい、とも。、、、始めた以上、ある程度は続けなければ、オトコがすたる。そんな居直りの思いも一方であり、何とか続けております。
shinkaiさんのように、長い間、ブログをお続けになっている方たちは、きっと、抱えていらっしゃる内容が濃く深いのです。でないと、なかなか続かないものなのだと思います。

ハーブは、現在、アイルランド共和国の国章であり、また大統領旗の紋章でもありますヨね。

下に続けます。
hiroshi
2007/09/02 20:10
ハーブが、なぜアイルランドの国章になったか。学者でないので良く知らないのですが、アイルランドにのめりこんでいた一時期に知った程度のお話をしますと。根っ子の部分は諸説あって、知っている限りを全部ご説明すると大変ですので、ホントの概略だけ。時代を遡っていくような格好で。
UKの王家紋章は、ご存知のとおりです。3頭のライオン、立ち上がっているレッド・ライオン(半分に切られている)、ユリ、ドラゴン、ハーブ。それぞれイングランド、スコットランド、フランス、ウエールズ、アイルランドですヨね。王家の変遷で変わり続けてきてはいますが、意味するところは同じです。で、アイルランドをハーブとすることは、英国統治時代に決められました。ヘンリー8世の時代に、彼がアイルランド王(それまでは卿)を名乗ってアイルランド初の通貨(グロート貨=4ペンス貨)を鋳造します。それに、ハーブが掘り込まれた、というのが始まりです。

続けます。
hiroshi
2007/09/02 20:36
ここで諸説あるのですが、では、ヘンリー8世はなぜ、ハーブを発案したか。一説は、単純に、アイルランドの古くからの固有の民族楽器だったから。二つ目は、教皇レオ10世から、マルティン・ルターのローマ教会批判に対してラテン語による反論を発表したため、ハーブを贈られたから。三つ目は、アイルランドで起こる小さな反乱に対して、迎合と断固たる統治の意思を示したかった。

と、若いころに読んだいろいろな本で書いてオリマシタ。
と、生意気に書きましたが、受け売りばかりで、もちろん、現地の人たちに聞いたり調べたりした事実は一切ゴザイマセン。自慢ではアリマセンガ。あまり信用しないでくださいね。
hiroshi
2007/09/02 20:48

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