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ダブリンから362マイル(海里)。 「センチュリー」は午後早く、チャネル諸島の主島・ガーンジー島の街、セントピーターポートの沖合いにアンカーを下ろしました。 快晴、波穏やか。ダブリンを離れた昨夜は、波高2〜3メートルと少し荒れていました。 6Fプロムナードデッキ。ここらあたりで、水面から高さは10メートル以上あるのですが、波頭が馬のたてがみのように白く泡立っていました。 そして波の頂点は、プロムナード・デッキのすぐ横にあるほどにさえ見えました。それくらいに海は荒れていたのです。揺れも結構強く、デッキを歩いている人は皆無。視界も悪く、2,300メートルくらいでした。が、この日はウソのような天気です。視界こそ約20キロとさほどではありませんが。 さて、テンダーでの上陸です。セレブリティ・シアターで、下船順を示したテンダーの乗船チケットを受け取ったまでは良かったのですが。 待機していて、なかなか、テンダー乗船指定順番号がアナウンスされません。 今回のクルーズで、この日の上陸地、セントピーターポートの前にテンダーで上陸したのは、スコットランドのエジンバラ。そのエジンバラでも、下船順が巡ってくるのはやけに遅いな、と感じました。あ、左写真は通船着岸の埠頭です。ここも、汐の干満差は大きいと見えました。 今回の航海直前に、おそらく、クルーたちの入れ替えがあったのではないでしょうか。エジンバラで帰船の際、テンダーは乗船口のフロートに激突。流れの速い満ち潮のせいで操縦が乱れた、と、あの時は思いました。 が、どうも、そうではなかったような。まだ操縦になれていない、日本のクルマ社会ならば「若葉マーク」が必要な、操縦初心者クルーたちがかなりいる感じ。夕刻の帰船時に、そのことが明らかになるわけですが。 あ、左上及び左写真の方は違います。オフィサーです、この方は。 訓練不足のクルーが目立つため、急遽、応援に繰り出した、、、と想像する、上級航海士さんです。話を振り出しに戻して。そう、若葉マーク・クルーたちの操縦ぶりの話です。そして結果、キャビン1部屋当たり、100ドルも返還されることになるわけですが、、、。ええ、儲かっちゃった。後段、その話はします。が、 それはともかく、ここでの下船は1時間近く待ってようやく順番が来ました。左写真正面、小さくフェリーが見えるその左側が、「センチュリー」のテンダー上下船埠頭です。で、ガーンジー島の港には、思っていたよりもはるかに遅い時間帯にやっと到着出来ました。 チャネル(Channnel)諸島。 「チャネル」、の名のとおり、文字通りイギリス海峡(English Channel)にあり、しかもすぐ傍がフランスのコタンタン半島。その西側の海上に連なる5島です。 ガーンジー島のこの港。上陸最初の印象は、エーゲ海の島々を思わせるような。緑の丘陵も家並みも、港のヨットや漁船の群れも、明るいイメージでした。 ![]() この港から、大陸のケルトの人々が住む地域、フランスのブルターニュ地方のサンマロまでは、距離約40キロ。日本で有名なモンサンミッシェルも、ほぼ似た距離です。 東のコタンタン半島の中心都市、映画「シェルブールの雨傘」の舞台の街も、同じくらいの距離だそうです。 ![]() JR中央線でたとえると東京〜立川間程度で、フランスは、「天気がよければ見えますヨ」という、間近なお隣さん。この日は遠くが靄でかすんでダメでしたが。 この女性、船のカメラマン、イエ、カメラウーマンの一人です。セルビア出身。性格も、とても可愛い子デシタ。 左の写真、テンダーやショア・エクスカーションのバスの乗り場案内。ここから英国本土までは120〜130キロと聞きました。というわけで、5島のうち英国、つまりアングロ・サクソンやブリテン人の子孫に当たる人々の住む島は1島だけ。残る4島は、ノルマンディー地方、つまり、現在ではフランス人にあたる、ヴァイキングの子孫の人々が住んでいます。 といっても、アングロ・サクソン人やデーン人とノルマン人はともに、さらにさかのぼれば、北欧ヴァイキングにたどり着きますから、大元は同族なのでしょうが。 土地は英国王室領です。だからか、スコットランドやウエールズのようにUK、いわゆる「英国」には加わっていません。国旗 イヤ、島旗?も、独自のクロス旗を持っています。なぜ? 歴史をひもとくと、なるほど、という、納得のいく理由があるわけですが。 ここら辺りの人々の移動も、歴史と照らし合わせて考えてみると、面白いですヨね。 昔、「世界史」の教科書で習いましたヨね。「バイユーのタピスリー」。亜麻布に刺繍で描かれた、ノルマンディー公ギョーム(ウィリアム)率いる軍団のイングランド征服の絵巻物。ヘイスティングの戦いまでの、いわゆる「ノルマン・コンクエスト」の物語。 教科書で、市販のノートの表紙で、刺繍のパック商品でと、70メートルもある物語の絵は、日本では部分カットされて、良く見かける絵です。イラストとして面白い図柄なのか、え、こんなところに、というほど、思わぬところで目にします。で、そのホンモノが見たくて、2001年秋、モンサンミッシェルの帰路、下左写真の、バイユーの「征服王ウィリアム会館」に立ち寄りました。 会場内は写真撮影、ビデオ撮影は禁止でした。変わりに、ここでも絵葉書やガイド本、写真集などがヤマのように。 絵葉書は買いませんでしたが、タピスリーの刺繍絵入りTシャツを1枚。ちょっと珍しいTシャツなので、持ち帰ったはいいが、目立ちすぎて逆に、ほとんど着る機会がありません。家の中だけ。 上に掲載の絵巻物と展示物は、会場で配っていた11カ国語の解説パンフレットのうちの、日本語版からの複写です。ちなみに、この街も美しい街でしたが、この地方では、バイユーよりもさらにモンサンミッシェルに近く、距離約30キロの位置にある小さな田舎町、フジェールが、とてもとても、素晴らしい街でした。機会があれば、もう一度訪ねたいと思っています。 脇道にそれました。地理関係からいけば、チャネル諸島は、順当にはフランス領となるはずの至近距離なのに、なぜ英国王室領となったのか、、、。そんな話をするつもりで、長々と余談になってしまいました。 後は簡略化して。 フランス・ノルマンディー地方のギョーム公所有のチャネル諸島が、彼が英国王室ウィリアム1世となってノルマン朝を開いたために英国領となり、次いでプランタジネット朝、ランカスター朝、ヨーク朝、チュダー朝のヘンリー8世へとそのまま継承され、、、 現在の女王、エリザベス2世のウィンザー家へと、チャネル諸島は代々、王家が変わっても引き継がれてきたのですね。 だからでしょうか。第二次世界大戦当時、映画化もされたあの連合国軍の「ノルマンディー上陸作戦」。映画タイトルは「史上最大の作戦」だったですヨね。1944年6月6日、その大作戦が展開されたフランス北部。 そのノルマンディーの地に住む人々と同じ血を持つ人々が住むこのガーンジー島は、かなりのカズの道路名も、地図を読むとフランス語。島の人々も、バイリンガルが多いのだそうです。 で、「ワールド・カップは、どのチームを応援する?」。この土地のガイドさんに聞いたら「それは、もちろん!」。笑顔で目元をくしゃくしゃにしました。 で、答えを引き続き待ったのですが。いつまでたっても、ただ笑っているだけでした。 ※ガーンジー島のカントリー・コードはhttp://www4.plala.or.jp/nomrax/TLD/ |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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hiroshiさん こんにちわ〜 |
たえこ URL 2007/09/24 15:56 |
や、や、たえこさん、ようこそ! |
hiroshi 2007/09/24 18:15 |
テンダー好きな私です。 |
まゆき URL 2007/09/27 02:29 |
やぁ、やぁ、まゆきさん! |
hiroshi 2007/09/27 15:40 |
hiroshiさん、こんばんは。 |
まゆき URL 2007/09/27 22:03 |
まゆきさん、今晩は! |
hiroshi 2007/09/27 22:32 |
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