潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

アクセスカウンタ

zoom RSS ボルガ河〜サンクト・ペテルブルグ観光

<<   作成日時 : 2008/06/30 15:54   >>

ガッツ(がんばれ!) ブログ気持玉 1 / トラックバック 1 / コメント 7

 
前回までに書きとめた「覚え書」の、アエロフロート・ロシア航空と、モスクワの空港の「愉快」な初体験。
本当に愉快なワケはないのですが、傍観者然と構えて冷静に眺め直してみると、案外、オモシロ体験であったのは、間違いのないところです。

画像

【写真説明】レチノイ・ヴァグザールで停泊するリバークルーズ船「グルシュコフ」号から眺めた他のリバークルーズ船と河港前の街。庶民クラスのアパート群が並ぶ地区で、道路にはトロリーバスとトラムが走る。道路を挟んで港と反対側に食品スーパーが1軒あり、水はハーフボトル1本30円ほどであった。後刻、現地のスルーガイドの説明によると、ロシアの一人当たり平均月収は日本円で10万円ほど。リタイア後の年金は一人平均4000ルーブル、約2万円弱。

ほかにもまだ、バルチック艦隊と激突した「天気晴朗ナレドモ波高シ」の「日本海海戦」の東郷平八郎司令長官以下の帝国海軍ほどではないものの、ロシア人とわたりあったエセ武勇伝(?)もあるのですが、「Z旗」を掲げるまでもなく、せいぜい「K旗」止まりで、肩を叩き合って笑顔で分かれた経過があり、取り止めて。。。

画像ま、時間だけはたっぷりかかって、2008年6月8日深夜。目的のリバークルーズ船、「グルシュコフ」号にたどり着きました。船が停泊していたのは、ネヴァ川上流の河港。中心街ネフスキー大通りから東南約8キロの郊外、レチノイ・ヴァグザール。庶民のアパートが立ち並ぶ地区でした。

ミズ・グルシュコフ。ドイツ船籍で全長129.1メートル、5デッキ、全幅16.7メートル。定員240人とありました。
運行管理はロシアのオーソドックス社。乗船客数ではドイツ人が第一位でしたが、母国言語の区分けでは、英語圏がトップ。米、加、オーストラリア、インド、南アなど約100人が乗船しており、船内言語は英語でした。

画像というわけで、この夜から9泊10日の、河船生活の開始です。
といっても、最初の2泊は、サンクト・ペテルブルグの河港泊まり。2日間は市内観光。

久しぶり(といっても、たった2度目ですが)のサンクト・ペテルブルグの観光でした。
道路にあふれるクルマの量が比べものにならないくらいに増えていることと、街路に広告が激増していることだけが、妙に印象に残りました。著名観光地のことは、「ウン、見た見た」と鮮明に記憶に残っている場所もいくつかありはしましたが、ほとんどは、うろ覚え状態でした。


画像


〜サンクト・ペテルブルグ観光〜ロマノフ王朝の都を行く〜


画像


【イラスト地図】サンクト・ペテルブルグ中心部。丸印の番号はすべて、レストランとカフェ。その番号の@の下の、幅の広い青い部分がネヴァ川、@はペトロハブロフスク要塞と聖堂。入り江を挟んだ西(左)の2本の塔がロストラの燈台柱、その中間の錨マークの下の青い建物がエルミタージュ美術館、その左が旧海軍省、さらに左の丸いドームはイサク聖堂。その上はデカプリスト広場。イサク聖堂の下、イサク広場を挟んでさらにその下、ロシア国旗が描かれているのはマリインスキー宮殿、現在の市議会。Oの右側は血の上の教会。その下はロシア美術館とロシア博物館。Dの下はカザン聖堂。

画像6月9日朝。
目覚めると、キャビンの窓の外は、日本の梅雨時のような、小ぬか雨が降り続いていました。
そしてその雨の中を観光に出発して。。。天気はめまぐるしく変わりました。

ロシアに、天気予報はいらない。    の全部を表示するだけでこと足りる。
たった2週間足らず、ホンの短期間の滞在でしたが、そう思いました。

画像サンクト・ペテルブルグ。
朝食後、観光バスで出発しました。雨は止んで低く垂れ込めた曇り空。やがて青空の下で観光。昼食で入ったレストランで、再び窓の外は雨。。。食事を終わったら晴れ、夕食前、船に戻ったら再び、今度は滝のような土砂降りの雨。。。

中心街、大ネヴァ川が見え、国章・双頭の鷲をあしらった昇り旗がはためいて見え始めたころから青空がのぞき始めました。

画像そんな空模様の下で、数多い観光名所のうちの、いくつかを巡りました。
最初は、左写真、ロストラの燈台柱。
そして、ペテルブルグ名物の場所のかずかずへ。

サンクト・ペテルブルグは、北のヴェネツィアとも称される美しい水の都。
運河が縦横に走り、42の島々を約600の石橋が結んでいます。305年前の1703年、皇帝ピヨートル1世が、ヨーロッパ進出を目指しその拠点の街として、広大な湿地帯に建設を始めたのが、街の始まりです。

と、よく知られていることを書き留めてもあまり意味はありませんので、以下、各写真説明で簡単に、巡った場所の「覚え書」を。。今回は、その第1回です。

画像


画像画像

【写真説明】皇帝アレクサンドル2世が暗殺されたモイカ運河とエカテリーナ運河のクロスする場所に建つ「スパース・ナ・クラヴィー寺院(キリスト復活寺院=血の上の教会)」。1881年にアレクサンドル2世が暗殺された場所に建つ。きらびやかな色の玉ねぎ型の塔とモザイクや彩色タイル、大理石などで彩られた建物は、モスクワの赤の広場に立つ「聖ワシリー聖堂」とそっくり。ロシアrさの象徴としてワシリー聖堂をモデルにしたそうすから、当然なのかも。個人的なハナシですが、こちらは、いまだに区別がつきません。下右は、教会内部のモザイク画。

画像

【写真説明】サンクト・ペテルブルグを帝都としたピヨートル1世が、自ら礎石を据えた、この街の象徴する聖堂、イサク聖堂。バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール大聖堂、フィレンツェのサンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂に次ぎ、聖堂の規模では「世界第4位」と、地元のガイドは自慢する。しかし、金色に輝くドームは内径21.8メートルと、それほど大きくはない。ロシア正教やカトリック、イスラムなど宗教の壁を取り払ってドームの大きさだけを比べると、内径ではサンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂が43メートルとサン・ピエトロの42メートルを上回り、イスタンブールのアヤソフィアは30.8メートル〜31.88メートルの楕円形など、大きなものはほかにも多い。
ロシア帝国の大聖堂として、工事を途中で引き継いだニコライ1世が心血を注いで完成した。 
聖堂は奥行き110メートル、幅97メートル、高さは101.5メートル。堂内は宗教画で彩られ、19世紀のロシア宗教美術の宝庫と評価を得ている。イサク聖堂の名は、ピョートル大帝の誕生日の5月30日の守護聖人、イサク・ダルマツキーを祀るから。
堂前のニコライ1世馬上像は1859年に建造された。人物群のレリーフが施され、ニコライ1世は聖堂正面を見据えている。


画像


画像


画像


画像画像

【写真説明】ペトロパヴロフスク要塞。金色に輝くのは同名の聖堂〈左写真)。右写真はその内部。

画像画像

【写真説明】ロストラの燈台柱(海戦勝利記念柱)とその台座。ロストラとは船首部分を意味し、敵の船首を切り取って柱の飾りにして勝利を記念した古代ローマの慣習に由来し、1810年に建てられた。

画像画像

【写真説明】左はピヨートル1世の個人コレクションを基礎に一般公開された博物館、クンストカメラ。右はピヨートル大帝のの友人でペテルブルグ初代長官であったアレクサンドル・メンシコフの邸宅で、現在はエルミタージュ美術館の文官として18世紀のロシア貴族の生活ぶりなどを展示している。

画像画像

【写真説明】左はロシア美術アカデミー、右はニコライ1世の長女で最愛の娘であったマリア・ニコラエヴェナの結婚の祝いとして建てられたマリインスキー宮殿。現在は市議会建物。

画像


ペテルブルグ。「北のヴェネツィア」と言われます。運河が縦横に走っているからでしょう。
が、個人的には、まったく似ていないと思います。
ヴェネツィアは、スケールがこれほど大きくありまさせん。運河も、2本だけをのぞけば、あの街のそれは、水際で屹立する家の壁がなければ、飛び越えて渡れるほどの細いものばかり。歴史の長さも違います。

ロシアは、さすが、世界の国のうちの、国土面積第一位ほど、あります。訪ねたどちらの街も、平たく、横に大きく広がっていました。


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
ガッツ(がんばれ!)

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
『いつかモイカ河の橋の上で』 中野吉宏 著 (第三書館)
 副題は「会社を休んで59日間 地球一周」とある。 ...続きを見る
エルミタージュ図書館
2008/06/30 22:20

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
hiroshi さん 今日は良いお天気に成りました。 都心に行きましたが〜 何故か私が出かけると晴れます。ハハハ〜

サンクト・ペテルブルグは記憶に新しいので、hiroshi さんの覚え書きで フムフムと成る程! と復習しています。

渋滞はホントに大変でした。 客船が着いたからと思いましたが〜 常態なんですね!
 
イサク聖堂・血の上の教会・ロストラの燈台柱
などの外観だけ見ました。
しかし 教会内部のモザイク画は見てないから余りのキラビヤカさに フ〜〜ンスゴイ!! と驚いています。

燈台柱の奇怪な建築物は高いからアチコチでみえましたが〜〜
>「古代ローマの慣習に由来し、1810年に建てられた。」
いわれが有るんですね? 今勉強しました。

大河・ネヴァ川を高速艇で夏の宮殿に行った時の事が鮮烈に蘇りました。 綺麗でした。



たえこ
2008/06/30 20:13
やぁ、やぁ、たえこさん、ようこそ。

>何故か私が出かけると晴れます。ハハハ〜

そういえば、たえこさんのクルーズの記録で、雨の日って、記憶にありませんね。霧の朝は覚えていますが。雨、ありましたっけ?

サンクト・ペテルブルグ、たえこさんのクルーズ旅で拝見して、ドストエフスキー投獄の場所をぜひ、見てみたいと思っていました。前回の時は、行っていませんでしたので。
なるべく文字を書かないでおこうと思うのですが、クセですねぇ〜。いつの間にか、長く書き込んでしまっています。面白くもない文章を。どうぞ、読み飛ばしてください。

>大河・ネヴァ川を高速艇で夏の宮殿に行った時の事が鮮烈に蘇りました。 綺麗でした。

そうですか。船でいらっしゃったのですか? 大渋滞にお会いにならずに、良かったですね。

hiroshi
2008/06/30 20:53
ロシアは、知識がほとんど無く、hiroshiさんのお話と写真に興味津々です。

まずは、上から3番目の写真の市電?赤い電車ですが、日本では道路の真ん中を走っていることが多いように思いますが、ここは端っこを(独立した道)走っているのですね。我県のライトレールも一部道路の端を通っている場所がありますが、開通間もない頃、そういう状況に慣れない車と接触事故があったと聞きます。

それから天気の話。ロシアではそんなに目まぐるしく変わるのですか?知りませんでした〜(@_@)

>どちらの街も、平たく、横に大きく広がっていました

これは、何となく想像がつきますね。ということは、高層ビルなどはあまり無いのでしょうか?まぁ、土地が広ければ上に伸びる必要は無いわけですけど。
まゆき
2008/07/01 19:03
Hiroshiさん
ご無沙汰です。毎日みえこさんが、キャーキャーいいながら拝見しています。
そこで私も覗かせて頂いたら、何と活気のあることでしょう。人気絶頂ですね。
リバークルーズとエーゲ海クルーズは夢なのに、検討してみたらとても高くて行けません。これというのもバクチマネーが原油を押しあげているのが悪いのだ!!
ツアーの値段が38万円で心が動いても、その他で何と10万円以上!すぐに一人50万円!!
オットごめんなさい。こんなところでグチっていてもいけませんね。
Hiroshiさんの大作には本当に感服しました。
藤原雄一郎
2008/07/01 20:48
やぁ、やぁ、まゆきさん、ようこそ。

>赤い電車ですが、日本では道路の真ん中を走っていることが多いように思いますが、ここは端っこを(独立した道)走っているのですね。

確かに。端っこの専用道を走っていますね。が。これは郊外に近い方で、中心街では日本のと同じく、道路の中央を走っていました。
まゆきさんのお話に、先ほどから、蕩ける一方の脳みそをひねっております。ヨーロッパのほかの国ではどうだったか?と。ご指摘を受けるまで思いもしなかった事柄でして。印象に残っているのは、リスボンの下町、アルファマの坂道を走る市電。道路の幅と電車の上下線の幅とまったく同じで、レールの上を電車と自動車とが一緒になって、時には電車が3台も4台も、間に数多いクルマの行列を挟みながら団子状になって走ってきます。で、この街では電車専用道などの余裕はないし。ポーランドのワルシャワやチェコのプラハ、ドイツやベルギーなどではロシアと同じように専用道のある場所と、道路の中央にある場所と混在しています。郊外は専用道の街が多いんじゃないかな? 
hiroshi
2008/07/02 02:19
〜上から続く〜

接触事故ですか。最近の日本の若い人たちは電車混在の道路の走り方をご存じない方が多いのでは? 電車は消える一方ですものね。意識して直角に回るほどの気持ちになる、だけのことなんですけれども。
天気の変わりようは、すさまじかったデスネ。しかしこれは、ロシアばかりでなく、スコットランドや北欧でも。ロシアに限って言えば、かの国の小説にさえそう書かれているくらいですから。旅行中はなぜか、タイミング良くレストランに入ったり船に戻ったりしたときに天気が崩れることが多かったです。たえこさんのような「お天気」人物が、旅の仲間にいらっしゃったのでしょうか?
hiroshi
2008/07/02 02:20
やぁ、やぁ、藤原さん、ようこそ。

お忙しいのに、わざわざお訪ねいただき、ましてやコメントまで頂戴して、誠にありがとうございます。
実はこちらも、つい先ほどまで、小田原方式?の談議? 評定が続いていまして、日を超えて、ようやく帰宅できました。
>これというのもバクチマネーが原油を押しあげているのが悪いのだ!!
おっしゃるとおりですね〜。サーチャージに泣かされることが多いです。最近は。飛行機で取られて、船で取られて。加えて、ガソリン代金も、日本のみならず、世界どちらへ行っても値上がりは激しいですね。個人旅行でレンタカーを、ということも、出来にくくなってきましたね。
ロシアは世界第2位の産油国なのに、1リットル当たり24〜25ルーブル前後、日本円で120円前後しており、スルーガイドについてくれたあちらの国の方は、「ロシアの平均賃金は日本の3分の1。だから、日本式に換算すれば、1リットル当たり350円ほどの計算になるのよ。クルマに乗るなってことなの?」と、我々相手に怒りまくっていました。

と脇道にそれましたが、ホントに燃油サーチャージ、何とかならないものですかね〜。
hiroshi
2008/07/02 02:36

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文




会社設立 大阪市
   
アクセスカウンター
出会いライブチャット出会いモバコイメル友

ボルガ河〜サンクト・ペテルブルグ観光 潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる