潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS ボルガ河クルーズ〜ゴリツィ、北の要塞修道院

<<   作成日時 : 2008/11/06 11:43   >>

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北部ロシア平原の、キリーロフ村の小さな湖。
そのシヴェルスコエという名の湖の水際に立つ、ロシア正教会のキリロ・ベロゼルスキー修道院(英語表記=Kirillo Belozersky Monastery)。そちらを観光したと、前回に書きました。

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キリロ・ベロゼルスキー修道院。
ボルガ河クルーズの川港、ゴリツィから、距離にして7キロ。
こちらはシャトル・バスで往復しましたが、歩くと、シヴェルスコエ湖畔を進む、距離は少し短い遊歩道があるようでした。

修道院。ロシア最大、と聞くとおり、壮大な敷地を持つ、美しいたたずまいでした。
そして、争い攻め込んでくる各民族やポーランドの人々への要塞役を果たし続け、帝政ロシアが中世、周辺各民族を統合し、革命を経て現代へ、多民族国家へと昇華していった、その、一つの象徴のような場所でもありました。

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修道院入り口の外壁の塔。下写真は、その内側からの光景。

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で、またまた、心残りではありますが、ご助言というか、ご忠告を。

よほど時間を持て余していて、下手な文章も読んでやろうという奇特な方以外、以下の文章をお読みになるのは、お取りやめになった方が。
どうぞ、お帰りを。ご遠慮には及びません。

ありがとうございました。お訪ねいただいて、感謝、感謝です。
これに懲りず、またの機会に、ぜひぜひ。では、では。。。

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そして。
で、お暇な方にも、一つ、ご忠告を。以下、お進みいただくとしても、、、それはそれで、まことにうれしいのですが。。。文章はパスして、写真だけを、チラチラっと。

前にも似たようなことを書いたことがあります。
が。
今度は、あれ、以上です。つまらなさは、あのときの比ではない。

書き手が言っているのですから、これほど確かなことはありません。
胸を張ってお伝えします。面白くない。請け合います。絶対です。

「覚え書」ですので、書いている本人は、旅の記録として書き残すだけで満足、納得している風情、ですので。。。
と、他人事のようにすまして逃げ口上。。。
繰り返します。本日は、まことにありがとうございました〜〜。


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さて。。。

この修道院、残念ながら、日本のガイドブックには、まったく紹介されていません。
旅の出発前に書店を数店ハシゴして、何冊も調べました。ロシアのガイド本自体、発行種類は少ないので、大して苦労はしませんでしたけれども。

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で。
うち、時折、その標題から揶揄されることもある、国別に数多いガイド本を発刊する「○球の○○方」。
言葉尻を捉えて揶揄される「迷い方」。。。

(自分も、かれこれ十数年昔、当時のドイツ編を携えて旅して、迷ったことがあります。が、それ以降、迷ったことは一度も。あの出版社の名誉のために、あえてひと言。旅行先ごとの発行分冊の多さが証明するとおり、あの本はなかなかいい。最近はそう、思っています)

。。。そのガイド本でさえ、載っていませんでした。
迷い歩きをする前に、掲載されていないのですから、迷いようも歩きようも、走りようもないわけです。

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内壁沿いに村に通じる小経が伸びていた。

ネット上でも、日本語では関係サイトはゼロ。町名、地方名、湖名、クルーズ名、宗教関係用語、その何で検索しても、この修道院は片鱗さえ発見することが出来ませんでした。

英語版で検索して、ようやく、わずかのサイトを見つけました。

見つけたうちで、一番詳しかったそれは、例の「wikipedhia」のサイトです。
どうぞ、ご覧ください。

ボルガ河クルーズのシーズンは終わりましたが、最近、日本でもじわり、じわりと人気度を高めている旅のコースの一つなのだ、とか。
来年にあちらを目指している方々の参考になれば。。。おこがましくも、そうなればと念じて、サイトをご紹介しました。

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キリロ・ベロゼルスキー修道院。

現在は、ほとんど無人状態なのだそうです。在籍する修道士は、これだけ広大な施設なのにたったひと桁。ほんの二十年前までの残酷な歴史の尾を、いまだに引きずっている風情でした。

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要塞として使われていた名残でしょう。城壁は二重に、内陣の聖堂群を取り巻いていました。

うち、外側の城壁は、高さ7メートル、全長732メートル。何本もの塔屋が、その城壁の要所、要所に設置されています。こちらは、案内がなかったので目測ですが、5〜6階建て、高さおよそ15メートル。塔屋は、内部の構造と使途がそれぞれ目的別に分かれており、たとえば「鍛冶職人の塔」などと呼ばれているのだそうです。

そして城壁にも塔屋にも、ところどろに銃眼が繰り抜かれています。用途上、見かけはどうでも良かったのでしょうが、直線と曲線の組み合わせが美しく、全体が見事な造形を描いていました。

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外壁の内側には、中央に幅5〜6メートルのメイン・ロード。敷石を並べ、中央に馬車道、両脇に歩道。
歩道上には、さすが北国、白樺の並木が続いていました。

メイン・ロードは、内陣を取り巻く第二の壁まで、距離、およそ300メートル。
高さ2メートル弱の白壁が両サイドに続いていました。そして、その白壁の向こうは、3階建て構造の修道士たちの宿舎が。宿舎の向こうはやはり城壁構造になっており、銃眼以外は窓もなし。その銃眼の向こうは、湖でした。
宿舎は、1階部分だけは納屋というか、倉庫として使われてきた風情でした。

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第二の壁。
こちらにも塔屋があり、その内部を繰り抜いた通路上には、聖母子や聖人たちを描いたフレスコ画が飾られていました。

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内陣。
正面は、聖母被昇天大聖堂(聖マリア大聖堂=The Assumption Cathedral)。

そして、ここでもリラの花。純白のライラックの花が真っ盛り。満開でした。
いつか書きましたが、こちらでもだから、「スミレの花咲くころ」の鼻歌が、ついつい、何度も口に出てきて。。。
「スミレ、違いまんねん、リラ、ですねん」。。。


そして。
こちらでも、正教会の修道士たちの美しいハーモニーの祈りの声、聖歌を聴きました。

次回にもう一度。この修道院の歴史を中心に、「覚え書」を。。。
 
地図は、キリロ・ベロゼルスキー修道院。



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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
hiroshi さん (* ^-^)ノこんばんわぁ♪

ハイ! 飛ばして読みました? ウソです。
真面目に目を通しましたが「Wikipedia」は横文字です。゜(*/□\*) '゜゚゚・。うわぁ〜ん

何をそんなに謙遜されてるかな?と真剣に見ましたが〜 何時もと同じではないかな? ガハハハ~~

>キリロ・ベロゼルスキー修道院。
ですか? 何か恐ろしい歴史が有るのですか? 

>聖母子や聖人たちを描いたフレスコ画
これは長い時代を経て修復もされてない様に見えます。
淡い色彩と今まで見たマリア像とは様子が違い、惹きつけられるフレスコ画です。
まあ〜以上です。

そう〜そう〜 白樺が綺麗! そして川に枝が覆いかぶさってる画像好きです♪
たえこ
2008/11/07 21:40
やぁやぁ、たえこさん、こんばんは

>何をそんなに謙遜されてるかな?と真剣に見ましたが〜

アッハッハ。そう言っていただくと、嬉しいです。
面白くもない思いをして帰っていただいては誠に相すみませんもので、最初に煙幕を張っているんです。

>何か恐ろしい歴史が有るのですか? 

いえいえ、そういうワケではありませんが、あの国時代が怖いですから。あ、次回はその歴史の片鱗を書き残すつもりですが、本当に長くうるさいだけの文章になると思います。謙遜、、、ってワケではありませんが、次回こそ本当に、お読みにならない方が。こちらの本当のメモですよ。

白樺の並木。これは、おっしゃるとおり、とてもキレイでした。自分もあの画像が好きです。
hiroshi
2008/11/07 22:34
ウムウム・・・ハー!ですが。
何となくは分かります。
ハイ。ソ連・ロシアの歴史からのお勉強ですから。
少ない脳細胞ですから少しずつしか入りません(ρ_`)〃エーン

サイトも読めませんので(辞書を出しお勉強)写真だけ。
素朴な風景に見えました。

そこで質問です。
(前に書いていらっしゃったらごめんなさーい)質問OKですか

この建物はいつ建てられたんでしょうか。
何様式とかあるんですか?どちらの影響とか。
それともこの建物がどちらかに影響を与えてる。
フレスコ画といい、古ーい(歴史)ようですが。

と、こんな事を感じましたので
感じるがままの覚書コメントでーす
mayumi
2008/11/08 11:45
やぁやぁ、mayumiさん、こんにちは

たえこさんに続いてmayumiさんまで、こんなムサクルシイ(家!じゃぁない!、ての)ブログをお訪ねいただき、ましてや素晴らしいコメントまでいただいて、汗顔のいたりです

わかりにくく、読み難い文章で申し訳ありません。
あまり難しいことはご質問いただいてもわかりませんが
創建は、日本の室町時代らしいです。画、最初は小さな木造の施設で、聖堂をはじめ修道院ぜんたいはの建物は、主に15〜16世紀の建築のようでした。聞きかじりの、走り書きのメモを見ると。ロマノフ王朝が栄えたロシア自体の歴史は、ギリシャやイタリアはもとより、それよりもちょっと遅れて隆盛期を迎えるイギリスやフランス、スペインなどの西欧に比べて新しいですから、古いものでも15〜16世紀ぐらい、らしいです。
書いているとおり、実際に良く知らないんですよ。ごめんなさいね〜
hiroshi
2008/11/08 12:14
hiroshiさんありがとうございます。
なるほど。なるほど。
いかにフランス・イタリアが建物の修復にお金と手間をかけているかですねー!かな?
私が目にした建物だつて、そのままの状態ならば、この建物のように?

でもこれはこれで、風情がありますね。景色が周りと溶け込んでいます。
これからの地域・人気のコースに♪分かります。ウン。ウン
mayumi
2008/11/08 15:49
やぁやぁ、mayumiさん、今晩は
そうですよね。行ってらっしゃったイタリアからみれば、修道院の造りもフレスコ画などの装飾も、質素、華やかさはありませんよね。しかし、それも歴史的な必然では?イタリアは、ローマ文化の遺産の上に4〜5世紀にはもう初期キリスト教文化というか、ビザンチン様式文化を開花。以降も、ピサやヴェネツィアなどの都市国家が栄華を極め、豊かになってさらに文化が花開き、やがてフィレンツェでルネッサンスを生み出した美術先進地。対するロシアは、10世紀になって初めてキリスト教が伝来し、しかも貧しく文化錬度は低く絵描きと言う専門職員は育たず、農民が片手間に描いた時代が続き、17世紀のロマノフ朝が誕生以降初めて、西欧に追いつき追い越せと頑張り始めた美術後進国です。やはり見劣りしますね。
>でもこれはこれで、風情がありますね。
はい。自分もそう思いました。
hiroshi
2008/11/08 19:35
有り難うございます
個人授業のよう
ブログでこんなに教えて頂くなんて思いませんでした。色々とご存知でーす手のかかる生徒とそっぽ向かないで下さい。
これからのボルガ河も楽しみながらお勉強させていただきます
mayumi
2008/11/08 21:04
いえいえ、お礼を言われるほど、こちらは、ヨーロッパの歴史も文化も承知していません。ご質問を受けたりすると、オタオタするだけで、首を捻っているだけの始末です。
加えて、寄る年並みに脳みその方は蕩けていく一方で、ダメですネェ。

ボルガは、正直、船のキャビンの狭さで泣きました。魅力度はもう一つだったですが。。。人それぞれのご判断が有るはずなので、あまりこんなことは書きたくないのですが。とにかくリバークルーズは、せめてあと1〜2度、試してみないと意見は言えないと思っています。
hiroshi
2008/11/08 21:24

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