潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

アクセスカウンタ

zoom RSS ボルガ河クルーズ〜「赤」の広場

<<   作成日時 : 2008/12/01 18:52   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 4


ネット上で自然の「赤」が飛び交っています。
最盛期から終盤へ。季節は移ろっています、けれども。
数多いHPやあまたのブログの、あちらこちらで。日本各地の名所や北半球の各地の、世界の「紅葉」が。

画像

画像画像


ちょっと真似をさせていただいて。
わが家の庭の「紅葉」のいくつかを。今朝、撮ってみました。
さして珍しくもない画像です。で「覚え書」に記録するほどのこともないのですが。

画像画像画像
画像画像


今回は、ボルガ河クルーズ、最後のショア・エクスカーションの地、モスクワの、「赤の広場」のおハナシなもので。「赤」にちなんで。

半ば駄洒落、お遊び。同時に、手前味噌ではありますが、眺めたりしていると、そこそこ、きれいだなぁ〜と。そう思って載せました。

画像

南東から北西へ向けて広がる「赤の広場」の、南東側、正面に立つ聖ワシリー聖堂(ボクロフスキー聖堂)。計9個の”葱坊主”ドームの中央に立つ最も高い尖塔の先端は、地上から高さ46メートル。

モスクワに到着して、最初に訪ねたのが、「赤の広場」でした。
現地ガイドさんによれば、「モスクワを訪ねる観光客の大半が、いちばん見たいと望む名所」であるノダ、とか。ウン、ワカル、わかる。そういういう感じでした。

画像

聖ワシリー聖堂の前に立って、背後を振り返った写真。
足元の石畳の広場を取り囲んで、左側はクレムリン(城塞)の、イタリア人が築いたという煉瓦の壁。見える塔は、ニコリスカヤ塔、高さは70メートル余り、1491年に完成。対フランス戦でナポレオンによって一度爆破されたが、19世紀初めに再建されているという。

画像正面は国立歴史博物館。

向かってその右手に見えるのはヴァスクレセンスキー門。
17世紀に建てられたが、パレードの邪魔になると1931年にスターリンにより壊され、ソビエト崩壊後の1995年に再建されたという。


画像右はグム百貨店。1921年にレーニンによって開設され、鉄のカーテンのソビエト時代に時折、物資不足のモスクワで困惑する市民たち、との、西側へ密かに持ち出された映像であったり、意図的にソビエト中枢部が流してきた、長い行列が続いていた国営百貨店はこちら。現在では、3階建て高級商業街となっていた。

聖ワシリー聖堂は、カメラを構えるこちらの背後にあって、もちろん、写ってはいない。

右上の小さな写真2枚は、1964年の、旧ソビエト時代の「赤の広場」で行われたメーデー。いずれも、国際情報社発行、「これが新しい世界だ〜4〜、ソビエト@」より



画像川港、レチノイ・バクザールから貸し切りバスで約20分。朝夕のラッシュ帯を外れていたためか、スムーズに到着しました。
後ほど触れますが、モスクワの大渋滞。プロローグでも触れましたが、すさまじいものでした。

道路の一寸ズリ状態? イエイエ、大駐車場に迷い込んで、身動きが取れない。交差点の信号など、あってなきがごとし。そんな具合でした。


画像ペレストロイカ以降の激しい経済発展でクルマが激増した割に駐車場も道路の整備も進んでおらず、道路は澱んだどぶ川のようなものなんですね。

水量が少ない通常は何とか流れているが、ひと雨降る朝夕は、クルマが流れからあふれ出して、にっちもさっちも行かない状態に。なっちゃうんですね〜〜。

と。脇道に逸れました。本題にハナシを戻して。



画像赤の広場。

旧ソビエトの、メーデーの軍事パレード。ニュース映画で良く流れた、重々しくおっかなく、近寄りがたかったあのイメージ。ミサイルと軍靴とお立ち台のスターリンやフルシチョフ、プレジネフ。

良く見た、映画館のニュース映画で、背後に翻っていたのは、革命を意味するという、真っ赤な地色に、労働者を意味するハンマーと農民を象徴する鎌、そしてその革命を五大陸に広げようという意図を持つ赤い五芒星。


画像そして、歴史の中で彼らが引き起こした大事件、キューバ危機、ハンガリー動乱、プラハの春、などなど。怖い、おっかないKGB。
そんな、暗い印象しかなかったこの国の、かの時代の象徴の広場へ。
初めて足を踏み入れました。

ペレストロイカ以前まで、近寄り難かった? 
いや、ホントに、簡単には入国出来なかった国です。崩壊するまでは。政治的な、あるいは経済的な、コネクションがない限り。

聖ワシリー聖堂の前の銅像は、ロシアの乱世の時代の1612年、モスクワをポーランド軍の包囲網から解放したと言われる英雄ミーニンとパジャルスキー。

画像

クレムリンのシンボル、スパスカヤ塔。高さ71メートル。1491年に建設された、数多い塔のなかでも唯一の時計のある塔。尖塔の最上部にはルビーが埋め込まれている、とか。大統領をはじめ幹部だけがこの入り口から出入りできる、という。


画像どなたも同じではないですか? 
先進国諸国の首都の中で、意識上でも、実際のアクションとしての、物理的にも。これほど遠い街はなかった。
東西冷戦時代を知る我々の年代、及びその前後の世代にとっては。

ワシントンやパリ、ロンドン、ローマなどの首都は、簡単に、いつでも行けたけれども、この街は長い間、そうではなかったではないですか。
行くに行けなかったし、行きたくもなかった。

レーニン廟。家族の反対を押し切ってレーニンの遺体が永久保存されているのだ、とか。この廟の壇上に、ソビエトの政府要人たちが揃って立って、メーデーを見下ろす写真が毎年、当時の新聞紙上を飾った。

画像そういう意味で、少し興奮しました。
広場が近づいて来た時は。「禁断」の土地に立つ。そんな興奮。

ケネディが暗殺されたあの場所を訪ねた時も、ドゴールが暗殺されかかったあの広場を訪れたときも興奮しました。
決して爽快な気分の場所ではないが、、、
「あの歴史的な場所に、いま、立とうとしている」。。。


画像「赤い広場」。

革命と共に消えていった、ロシアの皇帝の時代からあった広場であり、言葉だそうです。
革命の、あの真っ赤な旗の色で生まれた言葉ではない。。。

ロシア語で「クラースナヤ・プローシャチ」と言うそうです。
そしてその本来の原スラブ語、つまり古い時代のロシア語では、「クラースナヤ」とは、現代ロシア語の「赤い」と言う意味ではなく、「美しい」の意。つまり、「美しい広場」という意味であったのだとか。17世紀に広場を整備して模様替えしたことから、「美しい広場」と呼ばれるようになった、のだそうです。


画像革命後の、あの鎌とハンマーをあしらった赤い旗にちなんで名付けられた広場ではない。
と。これは、知っていました。

が。あの、旧ソビエト時代の軍事パレードと、その後の労働者たちの赤旗を連ねて行進する印象が強すぎて、革命の赤旗から来た「赤」の広場、と、ついつい、考えてしまいますよね。


画像

カラフルな外観は、テーマパークに置いても似合いそう。カザンの聖母聖堂。

赤い広場を訪ねた約5週間前。
つまり、今年の5月9日。ロシアでは、対ナチス・ドイツ戦「勝利の日」。記念日です。
その記念日に、報道によると、8000人の将兵、新型戦車、迎撃ミサイルなどが、ソビエト連邦崩壊後、初めて赤の広場に姿をみせた、と、大きなニュースになっていました。

17年ぶりの赤の広場での軍事パレード、とのことでした。
あのニュースを見て、少し、心寒い思いになりました。
先立って、チェチェンへの介入。そしてこちらが帰国した後のグルジア、南オセチアへの侵攻。

経済の目覚しい進展などを背景に、大国意識が膨れ上がってきて、ロシアは再び、東西冷戦時代へ逆戻り志向なのでしょうか。スキンヘッドの若者が増えている、とも聞きますし。。。

画像

ヴァスクレセンスキー門。
と、時事評論をするつもりは毛頭ないのです。

言いたかったのは、初めてこの国の象徴の広場へ入るに当たって、複雑な思いが脳裏を駆け巡った。
そういうことを「覚え書」に書き留めておきたい。それだけです。

画像

グム百貨店

観光資源としての広場、及びその周辺の世界遺産の建物や教会、百貨店などは、ガイドブックやネットの各サイトに書かれているので、詳しく触れません。
初めて訪ねて、あっと言う間に通り過ぎるだけの、ただの観光客です。良く知らないし、受け売りの話以外、わかるハズもない。

画像ただ、初めてなもので、すべてモノ珍しく。

見える風景は、子供のころからこの歳になるまでさまざまに報道記事やニュース映像で見聞きしてきた有名な場所ですが。。。
で、写真をいっぱいに撮りました。


画像初見の印象は〜〜。
西欧の格式ある広場の光景とは、ご覧いただくとおり、しっかり異なっていました。

西欧の広場は、たとえ儀典用のメイン広場であっても、市民たちのための街角の小さな広場と同じように、オープン・カフェの設置が許され、パラソルが並び、地元の人々や観光客がお茶を飲み。。。そういう光景が広がりますよね。

が。それはまったくなし。

かつての共産諸国の、軍用用途を第一とした歴史の名残であったのでしょうか。
「赤の広場」は間違いなく、旧東欧圏諸国のメイン広場の、総本家のごとくのそれでした。たとえば、ブダペストの英雄広場、ベルリンのジャンダルメンマルクト、ワルシャワの王宮広場、などのように。。。


画像で、温もり感は薄く。
ましてや、目つき、小刻みな体の動き、獲物をあさるがごとき周囲への目線の走らせ方など、どうみても、マドリッドやローマで良く見られるスリ、置き引き、かっぱらいのごとき若者たちのグループが目について、さらに楽しめませんでした。

自分もそうですが、大都会にやってきた、警戒心の薄い物見遊山の「おのぼりさん」は、経済発展著しいこの国で、その発展から取り残された若者たちにとっては絶好のカモなのでしょう。

というわけで。
見ようによっては、活気に満ちた、威厳と威圧感溢れる、観光客が群れる大観光拠点では、ありました。



テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
hiroshi さん  コンニチ(^ヮ^)  

さわやかなスキンになさいましたね!!

さて!こんなに沢山のモミジが有る邸宅は素晴らしいです。紅葉狩りに行く必要は有りませんです。
それも色合いが多彩で素晴らしい画像に拍手です。

それにしてもロシアの玉ねぎ屋根も沢山写されてこれにも驚きです。
派手です。教会ですのに、なんとも言えない色ですね!! 

下の4コマの色合いは綺麗で上品です事  でも市民の憩いの場所では無いのですすね?
スリも〜、スキンヘッドの子も?
急激な経済発展の谷間に暗い前途が世界中に見えて来ます。長生きも苦痛でしょう~~~
おお〜脱線です。日頃の心配がツイ~~  
たえこ
2008/12/02 15:56
やぁやぁ、たえこさん、今晩は

>さわやかなスキンになさいましたね!!

はい、イメチェンしました。12月も団栗と銀杏というわけにはいかないだろうと思いまして。

邸宅などと、とんでもない。古い家ですので庭木だけは多いものですから。木々が裸になるこれからの季節は大変です。風が吹くとご近所迷惑になるので。親たちが生きていたころは、気楽でしたけれども。。。
>下の4コマの色合いは綺麗で上品です事
百貨店でしょ? 世界の名だたる有名ブランド店がそろって出店していました。
>でも市民の憩いの場所では無いのですすね?
いえ、どう言えばいいのでしょうね。モスクワはお金持ちの方々がいっぱいにいらっしゃるから、縁遠いのは一般庶民である日本の我々であったのかも。お店には、いかにもお金のありそうなモスクワのお嬢さん、奥さま方で賑わっていました。我ら夫婦には無縁な場所のような。トホホ、でした。


hiroshi
2008/12/02 20:29
紅葉といえば・・・・白い湯の温泉
それは、私の趣味ですが・・・・
お庭にこれだけ紅葉があるっていいですね。
ボーンヤリとお庭を眺めて、あつ〜いお茶をズズッとすすりながら飲んで・・・・あ〜妄想がぁ〜〜〜〜

モスクワってきれいな街ですね。色彩が豊かというか、日本人とは色の使い方が違うんですね。
歴史背景や生活背景が違うから、色の使い方まで違うんですね。もちろん町並みというか町の作り自体が違うんですね。
ただただ感心いたしておりました。

しかし、ある意味、日本は平和なのだなぁ〜と思いました。いろいろと今は大変ですが・・・・
らあく
2008/12/03 08:04
やぁやぁ、らあくさん、おはようございます。

お仕事、お忙しいのに、バカ長い文章に目を通していただいてありがとうございます。ご無理をなさいませんように。お返しなどと、気を使わないでネ。と言いつつ、お書き込みいただいて誠にありがとうございます。
>紅葉といえば・・・・白い湯の温泉
お〜〜! 同じですねぇ〜〜。で、新しい温泉を訪ねる時、お湯の色が気になります。好みでしょうが、寒い冬の季節や真夏のシーズンは、また違った色の温泉が。。。泉質はまったく気にならないのですが。
>色彩が豊かというか、日本人とは色の使い方が違うんですね。
ヨーロッパへ行くと、どちらの国でも、おっしゃるとおりのことを思います。日本の街は看板や家、ビルの壁など単体で見るといろんな色があってまぁまぁ、なのですが、集合すると、色が混じり合って雑然としてしまうのでしょうね。街の光景は、日本のどの駅で降りても同じで特徴がないですし。
そうですね。日本は平和なのですね。おっしゃるとおり、大変な状態にもなっていますが。

hiroshi
2008/12/03 10:13

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文




会社設立 大阪市
   
アクセスカウンター
出会いライブチャット出会いモバコイメル友

ボルガ河クルーズ〜「赤」の広場 潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる