潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS ハレム〜エーゲ海で、12歳で誘拐された女性

<<   作成日時 : 2009/02/17 17:57   >>

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ミュージカル映画「マンマ・ミーア!(MAMMA MIA!)」を観てきました。
遅ればせながら。



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ロードス島、イポクラテス広場。オン・シーズンにこちらを訪ねると、カフェの呼び込み合戦が激しい。上写真は2006年夏、下写真は2004年初夏。

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久しぶりに聴いたABBAも良かったですが、それにも増して、エーゲ海の光景がナイス!でした。
 




エーゲ海。3000ほども島があるそうです。
うち、映画「マンマ・ミーア!」のロケが行われたのは、スキアトス島とスコペロス島。

まだ、行ったことがありません。
行ってみたいです。ね〜〜。


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エーゲ海、サモス島

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さて。

イスタンブール散策のハナシに戻ります。
前回に続き、トプカプ宮殿の話です。


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画像イスタンブールのトプカプ宮殿。最深部に、ハレムがあります。

ハレム。
ご存知の通り。
世継ぎを生ませるために、略奪したり誘拐したり、金で買い集めたりした、絶世の美女たちを奴隷として囲い込んだ「女の園」です。集められたのは、すべて、ローマン・カトリックやオーソドックスなどの異教徒の女たちでした。具体的には、アジア、アフリカ、ヨーロッパの女性たち。


画像その女性たちの中で、歴史に名をとどめる何人かの女性がいます。

うち、有名なのは、少女時代にエーゲ海の島で海賊に誘拐されてトルコのスルタンに献上された、当時のオスマン・トルコと敵対関係にあったヴェネツィア共和国の二人の女性と、ロシア・カフカス地方でカネで買われてハレム入りした一人の女性。

彼女たちは、時のスルタンの愛妾となり、出産。
その子がやがて、成長して次のスルタンの座について、スルタンの母として歴史に名を残すことになったわけですが。。。



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上下写真とも、皇帝の広間。

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画像ヴェネツィア好きで、あります。

だから、その、歴史上に名を残す、ハレムの女性の中でも最も印象に残るのは、トルコ名ヌール・バヌ、ヴェネツィア名チェチーリア・ヴェニエール・バッフォ( 1525年〜1587年)。

「ヴェニエール」の名でわかるとおり、ヴェネツィア共和国の約1100年の歴史の中で歴代、任務を全うした計120人のドージェのうち、第86代セバスティアーノ・ヴェニエール(就任期間1577年〜1578年)ら計5人のドージェを生んだ、ヴェネツィアの貴族、名家ヴェニエール一族の女性です。


画像彼女は1537年、父親の赴任にともなって同行して、家族と共に12歳で、エーゲ海のサントリーニ島から船で4時間ほどの小さな島、パロス島でオスマン・トルコに捕らわれ、イスタンブールへ送られて奴隷としてハレムに入りました。

そして、第11代スルタン、セリム2世の寵愛を受け、第12代スルタン、ムラトを生んだのでした。



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皇子の部屋

画像現在のトプカプ宮殿にハレムが新たに造営されたのは、コンスタンチノーブルを攻め落としたメフメト2世のひ孫にあたる、オスマン・トルコ最大の王と言われ、日本では「大帝」の名を持つ第10代君主、スレイマン1世の時代、1530年代です。

日本では武田信玄や上杉謙信が生まれ、少年から青年へと成長していたころでしょうか。

そして、このスレイマン1世の時代に、オスマン・トルコは最大の領土を持ちます。
チェチーリアは、そういう意味では、史上最強のトルコの君主の初孫を生んだ女性、にあたりましょうか。


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ハレムに住む女性たちのための中庭。この中庭以外、青空の見える場所に出る術はない、囚われの女たちであった。

画像映画「マンマ・ミーア!」のオハナシに戻って。。。
映画の舞台であったエーゲ海。

左写真はサントリーニ島です。そして、ここら一帯は、当初は東ローマ帝国、すなわちビザンチン帝国の領土でしたが、コンスタンチノーブル陥落からさかのぼる二百年ほど前ごろからは、ほとんどがヴェネツィア共和国の領土に。聖ヨハネ騎士団の島、ロードス島と、ヴェネツィアと海の覇権を争ったジェノバが一部、島を保有しているだけでした。

ところが、それから二世紀の間に、アルジェリアに本拠を置いていたイスラムの海賊バルバロス(赤ひげ)とオスマン・トルコ軍が連携して、次々にエーゲ海の島々を侵略。ロードス島を含めてエーゲ海のほとんどの島は、間もなくトルコに攻め落とされます。


映画「マンマ・ミーア!」のロケが行われたスキアトス島もスコペロス島も、チェチリーアのころはトルコ領となっていたようです。

チェチーリアは、密かに、落日のヴェネツィア共和国のために、情報を提供し続けたと、彼の地の小説「海の都の物語〜ヴェネツィア共和国の一千年」(塩野七生著、中央公論社)では書かれています。

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事実は、どうであったのか、知りません。

が、母国のために諜報活動も敢然と成し遂げ、権謀術数に長けていたことは、間違いないところではないでしょうか。
150人とも300人とも言われるのが、ハレムの女性たちです。
激しい競争に打ち勝ってわが子を後継者の地位に就けることが出来たのは、美しい、カワイイだけの、ただの美女では、きっと、無理であったのではないでしょうか。

あの時代でも現代でも、天性の才能や容姿だけでは、ナンバー1には、なれないのです。

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ちなみに、「wikipedhia」で彼女の名を紐解くと、以下のように表記されています。


ヌール・バヌまたはヌールバヌ (Nur-banu, Nurbanu, 1525年- 1587年)は、オスマン帝国スルタンセリム2世の妾。
ムラト3世の母。

画像元の名は、チェチーリア・ヴェニエル=バッフォといい、ユダヤ系ヴェネツィア貴族の女性である。伯父はヴェネツィア共和国の元首(ドージェ)を務めたセバスティアーノ・ヴェニエル。

1537年、彼女はエーゲ海のパロス島でオスマン・トルコに捕らわれ、イスタンブールへ送られて奴隷としてスルタンの後宮に入った。名をヌール・バヌ(光の姫、という意味)と改めた彼女は、セリム2世の寵愛を受け、王子ムラトを生んだ。

1574年、セリムが死ぬと、彼女はその死を外に漏らさないよう棺を氷室に隠させた。遠くアナトリア半島のマニサで知事を務める息子ムラトが首都に到着するまで、時間を稼いだのだった。ムラトが即位したのは、父の死12日後だった。


イスタンブール新市街のショー・レストラン「キャラバン・サライ」でのベリー・ダンスショー。
画像ヌール・バヌは後宮の実権を握ったのみならず、大宰相ソコルル・メフメト・パシャと協力しスルタンの摂政として政治を後宮から動かした。彼女は、ハレム女性の最高位であるヴァリデ・スルタン(Valide Sultan スルタンの生母。母太后)の称号を得た初めての女性だった。

摂政であった1574年から1583年まで、ヌール・バヌはカトリーヌ・ド・メディシスやエリザベス1世らと協力関係を結び、親ヴェネツィア共和国の強力な同盟を築いた。このため、ヴェネツィアと敵対するジェノヴァ共和国に非常に憎まれるようになった。彼女は、1587年(没年を1583年とする説もある)に不可解な死を遂げるが、ジェノヴァの送り込んだ暗殺者により毒殺されたといわれる。


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コメント(12件)

内 容 ニックネーム/日時
hiroshiさん。
何時もながらの博識です
σ( ̄∇ ̄ )

映画からトルコに話が流れて行くなんてさすがゥ
素晴らしいです

面白くて一気に読みました(^o^)
ユックリ読み直して、
又カキコさせて下さい
(^_-)
第一の感想です(^-^)v
mayumi
2009/02/17 19:13
mayumiさん、今晩は

そんな〜。身に余るお言葉、お恥ずかしい。穴がないかな、キョロキョロ
そして、全部、調べて書いたことです。おおよその概略は、昔、本で読んだり、聞いたり、旅の中途で説明に聞き入ったり案内板を見たりしたことですが、寄る年並みに勝てず、ほとんど失念していますね。ヴェニエール家出身のヴェネツィアのドージェは何人いたかなど、遠く忘却の彼方で、書棚から本を引っ張り出して書いているんです。どうぞ、内緒、ご内聞に。

そして、馬鹿長い文章に目を通していただき、ありがとうございました。感謝、感謝です。

映画「マンマ・ミーア!」は、mayumiさんの四季の舞台のお話をうかがって、せめて映画でもぜひ、見に行かなければ、と、昨日に見てきました。舞台はみれませんでしたが、映画はきっと、舞台同様になかなかの出来だったに違いないと思いました。ノリノリで、身体をゆすってみてきました。
hiroshi
2009/02/17 19:59
hiroshiさん
ふ〜ん、ふ〜ん・・・
長文を一気に興味深く読ませていただきました。
面白かったです。 

博識に加え徹底的に調べて書いてありますので、ここまで面白いのだと思います。

続きはアザマラから帰ってきてからの楽しみです。
みえこ
2009/02/17 20:17
みえこさん、今晩は

明日ご出発のお忙しいなか、こんなつたないブログにまでお立ち寄りいただいて、ありがとうございます。

煽てに乗りやすい性質でして。手近にある木に登って、口笛を吹き出しそうな心境です。うふうふうふ。

そうですね。アザマラ、こちらもウキウキしています。あのルネッサンス・クルーズの落とし子の8姉妹、豪華、豪華ともてはやされたクルーズ・ラインの船ですから。。。プリンセスの2船もオーシャニア・クルーズの船の日本に寄港していますし、来月にも寄港する予定であることは知っているんですが、どちらのブログやサイトでも、あの「R」の名船たちの内部を紹介したものがありません。そういう意味で、藤原さんとみえこさんの実況中継やご帰国後の掲示板を楽しみにしております。どうぞ、お元気で、良きご航海を。
hiroshi
2009/02/17 20:44
hiroshiさん (* ^-^)ノ(* ^-^)ノこんばんわぁ♪

映画「マンマ・ミーア!」
でしたか? お若いなあ〜 その前向きの姿勢 
ヴェネツィア・スキアトス島とスコペロス島・イスタンブールのトプカプ宮殿
縦横無尽にお話が行き交い楽しいです。
お上手にまとめられて〜
私は良い頭に生まれ変わってから出直そう〜と 思うのですよ〜
下手なコメントしか出来ません。

「恥ずかしいワ・タ・シだ」 って 何時もそう思いますわ〜 

チューリップキレイ♪ ・・・ こんなコメントで終わり(涙)
たえこ
2009/02/17 20:45
たえこさん、今晩は

映画は、ご存知のとおり、昔からのアホバカぶりの入れ込みようで、面白いと聞くと見たくて見たくてたまらなくなるんですね〜〜。で、見てきました。良かったですよ。30年ほど前に大ヒットした「アバ」というグループ、ご存知でしょ? 彼女らの音楽を、久しぶりに聴きました。昔、若いころを思い出して、踊りたくなるほどでした。
下手なコメントなどと。とんでもありません。たえこさんのコメントは実に楽しいです。心豊かになるコメントです。murmur1さんが、あれほどたえこさんのコメントを大切にしていらっしゃる風情なのも、納得、です。自分も、たえこさんのそれは、非常にうれしいですね。
どうぞ、これからもどしどし、楽しいコメントを。お待ちしています。
hiroshi
2009/02/17 20:58
マンマ・ミーア楽しいでしょう

アウ"ァの曲って軽快で良いですよネ、

リフレッシュ出来ましたか(^o^)

私も来週辺り見に行きますリ
友達と

mayumi
2009/02/17 23:04
mayumiさん、

>アウ"ァの曲って軽快で良いですよネ、

ホントに。ノリがいい曲が多いですよね。
なかでもDancing Queenは、踊りだしたくなるくらいに。あの歌詞ではありませんが、mayumiさんらは、あの曲がヒットしたころは、歌詞どおり本当に17歳くらいだったのでしょうね。あるいはもっとお若かったか。ディスコで軽快に楽しんだ世代の方々は羨ましいです。映画を見ながら、そう思いました。
hiroshi
2009/02/17 23:58
hiroshiさん。
こんばんは。
ハレムの話し初めて知りました(;_;)

歴史の影に女ありですかネ
ヌール・バヌですか。
映画になったりはしてないのでしょうか(^_^;)

それとトルコとギリシャの島々。
ノンビリユックリ廻りたいですね。
クルーズだと忙しいのでしょうかσ( ̄∇ ̄ )
mayumi
2009/02/18 20:31
hiroshiさん こんばんは(^^*)

ハレムの話。
女としては、ちょっと複雑な気持ちになるのですが。
でも、チェチーリアはその境遇を嘆き悲しむわけでなく、逆に高みを目指したわけですね。凄い女性です。強く賢い女性だったのですね。

>あの時代でも現代でも、天性の才能や容姿だけでは、ナンバー1には、なれないのです

例えて言えば、「篤姫」のような女性だったのかなと思いました。

ところで、トプカプ宮殿の意匠が美しいです。青い文様はタイルでしょうか?やはり実際に見てみたいです。
まゆき
2009/02/18 21:14
mayumiさん、今晩は

ハレムの女性たちの話、日本の観光ガイド本には載っていませんね。だから、ヴェネツィアにのめり込む前は知りませんでした。ヴェネツィアの歴史書(といっても、イタリア語はわかりません。トホホ。で英語版です)を何冊かで初めて知りました。
何時の時代も、どんな場所でも、歴史を紐解くと女性は強いのですね。誘拐されて奴隷の身分になってもたくましく生き続け、やがて権力を手中にする人は結構いるのですね。

>トルコとギリシャの島々。
ノンビリユックリ廻りたいですね。
クルーズだと忙しいのでしょうか

西地中海をクルーズでお巡りになったですよね。エーゲ海を含む東地中海も、基本的に同じではないでしょうか。ゆったりしている、といえばゆったりですし、忙しいと思えば忙しいし。。。エーゲ海には一度だけですが、夏に島で10日間ほど過ごしたことがあります。それはやはり、船よりものんびり出来ました。が、まだ仕事をしていたころですので、現在のようにリタイアした生活だと、何にもすることがなくて逆に面白くないです。島だけの休暇は。
hiroshi
2009/02/18 21:22
まゆきさん、今晩は

>強く賢い女性だったのですね。
自分も、そう思います。ハレムの女性の話、日本では、ロシア・カフカス出身の「ロクセラーナ」は、そこそこ知られているようです。十年ほど前に講談社から「週間・地球旅行」という百冊シリーズの旅行雑誌が発行されたことがあります。それにロクセラーナのことは紹介してありました。次回で、ロクセラーナともう一人のヴェネツィア女性のことを、今度はほんの少し、簡単にご紹介します。
>ところで、トプカプ宮殿の意匠が美しいです。青い文様はタイルでしょうか?やはり実際に見てみたいです。
さすが、お目が高い。これも次回で載せるつもですが、「イズニック・タイル」といいます。イズニックと言う街の名を取ったタイルです。現在では、その技術も消えてしまっており、古窯復活を目指して努力が続けられているようです。現在は、イズニックではなく、もう少し硬度の低いタイルが、別の街で作られてトルコ土産の一つになっています。
hiroshi
2009/02/18 21:37

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