潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS カルナック神殿。人を威圧する、圧倒的な力。

<<   作成日時 : 2010/02/13 14:28   >>

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エジプト、ルクソール、カルナック神殿。
この、人を圧倒する馬鹿でかさは、何なのだ。どうしてまた、こんな途方もない大きさの石造り建築が必要だったのだ。。。


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カルナック神殿の象徴は、こちらであろうか。大列柱室。巨大な柱の森。高さ23メートルの石柱134本が並ぶ。フィレンツェ・ボネーキ出版がまとめた「エジプト7000年の芸術と歴史」(A4版、274ページ)によれば、「エジプト建築の最高傑作であり、最も美しい美術作品である」という。


十数年前、初めてこちらを訪ねた時、不思議でたまりませんでした。
不思議な想いは、今も消えていません。

ピラミッドと同じ。第一義は「エジプトの王、ファラオの力の誇示」。だそうですが。。。

だから、でしょうね。
圧倒されます。巨大な石を積み重ねた、人のワザとは思えぬ威圧的な光景に。

敷地も広く、ガイド氏の話では、現在まだ発掘調査中のエリアを含め、大きく3つに区切られた神殿全体では、ニューヨークのマンハッタンの半分もの広さがあるそうです。まさに「力の誇示」。


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ビジターセンター、チケット売り場から入場して、最初の塔門をくぐると、左右に羊の頭のスフインクスがずらりと並ぶ。スフインクス参道という。正面には、カルナック神殿の第一塔門。第一党門は高さ43メートル、幅113メートルと、エジプトに点在する各神殿の中の塔門でも最大だという。

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羊の頭のスフインクス。この時代、牡羊はファラオを守護するアメン神の聖獣だったそうだ。スフインクスの前脚の足元には、このため、ファラオの姿が彫られている。


「力の誇示」。
いささか個人的な感想を。
今回は、見て回った印象記ではなく、たった2回っぽっちですが、この国を訪ねて、つらつら、感じたことを。。。

この神殿を含めて、エジプトの巨大な遺跡たち。
現地でいろいろ説明を受けても、ガイドブックや歴史本、解説書を読んでも、奇怪、怪訝と思う気持ちは、未だに解けません。


自らの豊かさと華麗な生活、地位と家族と、オマケでも良い、支配する貧しく弱い民衆を敵襲から守る城や城壁、宮殿にお金をかけるのならば、その巨大さも納得、です。。。が、たかが、神殿。ではないですか。
貧しく疲れ切った人々を酷使して、何十年もかけて築き上げる、いかほどの意味があったのか。。。


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第一塔門を過ぎると、第一中庭。正面に第二塔門。塔門の両サイドに巨大なラムセス2世像。そしてまた、数多い羊の頭のスフインクス。左側にセティ2世の神殿、右側にラムセス3世の神殿。第二塔門には、ラムセス2世の戦闘とその勝利を示す巨大なレリーフが描かれている。

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。。。この、途方もない豊かさは、何なのだ。

貧しく疲れ切った人々。。。

太平洋戦争直後の日本は、そういう人々があふれていました。

戦前生まれですが、小学校入学は戦後。焼け跡闇市が遊び場の一つでした。

小学校は午前と午後の二部授業。教室も教材も足りず、午前中の授業を終わった教室で、午後組が登校、授業を受けました。

入学した学校は、当時、小学校校舎が戦災で焼失したため、焼け残ったある企業の、学徒動員学生たちを寄宿させた、戦前の青年学校の校舎を使った、走ると廊下がぎしぎしきしむ、古い木造校舎でした。

机も椅子も学生用のサイズで、まだ6歳の児童には大きすぎ、駆け上がってやっと椅子に座れる、足も床に届かぬシロモノでした。

机のトップの平板上には彫刻刀で彫り込んだいたずら画がどの机にもあり、粗雑な漉きのわら半紙を綴じ込んだだけの、現代ならばノートともよべないほどの「帳面」に、これまたずさんな作りの鉛筆を走らせると、紙の下の机の彫り込みに鉛筆の芯が引っかかって、文字はいつも、思いもしなかった方向へ走り出して文字をゆがませました。

二部授業なので、机の引き出しには時折、午前中に授業を受けた高学年の生徒たちの忘れ物かゴミ類が残っていることが、良くありました。時には、午後の授業の、入ったばかりの一年生を驚かそうと、いたずらで、蛙やトンボが残されていることもありました。


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そんなある日。
自分の隣りの席の女の子が突然、お腹を押さえて痛い、痛い、と泣き出しました。

担任の教師は、すぐにトイレへ連れて行くなり、教員室へ連れて行って事情を聴くなりするべきだったのでしょうが、その、まだ若い男性教師は、きっと動転したのでしょう。慌てふためいてその場で、つまり自分のすぐ横で、いつから痛い、なぜ痛い、などと事情を聴き始めたのです。
まだ6歳の児童に過ぎない自分にさえ、これはウンコだ、とすぐにわかったのに。

女の子は案の定、間もなく、その背の高い椅子でお漏らし。
そして、その急激な下痢の原因は。。。これは、自分でも想像外のことでしたが、午前中に授業を受けた子供が、持参した昼食用おにぎりの、最後に残った梅干の種を机の引き出しに投げ込んで去って、腹痛の女の子は、登校するなりその種を食べちゃった。

同じく後から分かったことですが、その子は、その日朝も昼も、何にも食べていなかった。空腹に耐えかねて、梅干の種を口に放り込んじゃったのですね。それが、一時間ほど後、腹痛となって発症した。


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自分と同年代の方々は、こんな話や良く似たハナシは当時、格別珍しいことではなかったことを、ご存知だと思います。
それから十数年後、学生時代にそんな体験談を友人たちと話す機会があったのですが、みんな似た思い出を持っていました。中には、自らそういう類のひもじさの経験を踏んできた友だちもいました。

当時の日本は、そのくらい貧しかった。
「食うや食わず」という言葉がありますが、ごくごく一部の方々を除いて、まさに列島は、そんな状況でした。

自分は、そんな貧困日本列島の中で、ほんのわずか、恵まれた家庭に生まれ育ちました。
当時は、ほんのわずか、程度、恵まれているだけの家庭でも、これはほんとに、ごくごくわずか、しかいなかったのです。

そして、そんな自分の家がたまらなく恥ずかしく、身のおきどころがなく、立ち込めるにおいとその子の衣服の下で黄土色に濡れ染まっていく彼女の下着と背の高い椅子の座面を見据えながら、恥ずかしくて、身のすくむ思いで、顔を上げることが出来ませんでした。


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神殿内は、どちらへ行っても、きめの細かなパウダー・タイプの白い砂が広がっている。

どうして、世の中は、こんなにも貧しい人々と、一握りほどのそうでない人々とが、いるのか。
貧しくないことは、ひょっとすると悪いことではなかろうか。悪いことをしているから、いくらかでも、食べていけるのではなかろうか。

なぜ、大人は、自分の父親は、その富を、彼女の一家のようなもっと貧しい人々にも分配しないのか。。。

腹痛になることさえあったとしても、たかだか梅干の種一つでも口に入れずにはおられない、極め付きの貧しさが、いま、この、自分の生きている世界にある。
そんな人たち、そんな貧しさをを失くさないと、いけない。

幼いながらも、いろんなことを、俯きながら、隣りの女の子以上に泣き出したい思いで、ぐるぐる、考え続けていました。


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以来。。。
大人になって、あの時に考え続けたことを何とかしたいと、頑張って生きてきたつもりですが。。。
自らの命に関わる急病、昏倒事件に遭遇して、責任を放棄してリタイア世界に安易に逃げ込んじゃいました。


今、日本社会は、大きく方向を変えようとしている気がします。

豊かさの横並び、誰もがそこそこの衣食住に恵まれるやさしい社会を目指してきた旧来の価値観から、持てる層と持たざる層とを区分けして、しかもその差を、縮めるのではなく逆に拡大させる方向へ進んでいる。
政治の場からも行政の視点からも企業の理念からも、正義感が消失し、人類社会をどう向上、変革していくのかという、不可欠の大切なモノが見失われてしまっている。

そんな気がしてなりません。

日本人がこれまで目指してきた均質化社会から、かつてのファラオの世界のような社会へと、逆行し始めています。いや、逆光し始めているような気がしてなりません。

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以上。。。

だから、どうだ。
こう問われれば、格別、言う言葉はありません。
よりよき日本づくりを目指して汗を流さなければならない苦闘から離脱した、たかがリタイア老人、しかも旅だ、クルーズだと浮かれて遊び呆けている不良老人ごときには、言う言葉もありません。

ただ、千の風となっていく先行きのない立場で、本日、TV生中継のバンクーバー冬季五輪の開会式を観ていて、願うことはただ一つ。

人間社会。
理想へ近づく努力を積み重ねなければ、進歩はないのではないでしょうか。安易な解決手段をとってしまうのでは、とどのつまり、それで終わりです。

テロを防ぐために、国内の安全を守るために、外国人の日本入国チェックを厳しくしようという入管体制の強化を叫ぶ人々の安易な論理と同じで、理想に一歩でも近づこうという視点が欠けたらあまり意味はない。


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幸運を運ぶといわれるスカラベ、糞ころがしの乗る石柱。多分、現代社会の誰かが幸運の故事に倣って言い始めたのではなかろうか。この石柱の周りを6回巡ると、幸運が叶うといわれる。その石柱の巡りを、世界の人々がぐるぐると輪を描いて歩いていた。


カルナック神殿。
歴史遺産として、あるいは美術建造物として、意味と意義は大きいと、ツアーのエジプト人スルー・ガイド氏は語っていました。

そのカルナック神殿を一歩離れたルクソールの、小さな街の郊外。

こちらの一般庶民のかなりの方々がこういいう住まいで暮らすという、日干し煉瓦の上に枯れたサトウキビの枝を差し渡しただけの粗末な小屋は、ところどころで、ナイルの水を取り込んだ細い汚れた運河沿いに数多く並んでいました。

カルナック神殿が作られたころの、神殿を造るのに汗水を流した人々の住まいも多分、似たり寄ったりの、こんな粗末な小屋であったのではなかろうか。

きっと、進歩していないのだろうなぁ。
しみじみ、そう思った、カルナック神殿からの帰路の光景でした。


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hiroshiさん こんばんわ〜

エジプトの土木作業・建築は川の氾濫で農地を失った農民の失業対策の1つだと聞いたことが有ります。農民は、国から食糧を与えられ、喜んで国の事業 = ピラミッド建立に勤しんだ、ということを〜〜

今日は最近の心境をつづられて、本当にそうだなあ〜と
同じ思いです。 上手く言い表せ無い私ですが、不条理は数限りなく有る訳でして、人に施せる程のものは持ち合わせて居ませんが、クルーズだ! なんて浮かれてる私はおろか者? いやいや、もっと凄いお金持ちはごまんといます。それに比べてささやかな庶民の私!

幼いころは田舎でしたから、食べる事には困らなかったですが、多くの兄弟でしたから、教育費だけでも親の苦労は並大抵ではなかったです。

だから、今呑気でもこの先の千の風に成るまでの過程を思うと、とっても心配です。
2人1緒に船から海にポンって飛び込めたらキリが良いかな〜 と思う日々です。

釣られてコメント致しました。 ハッハハハ〜〜 支離滅裂でした。

 
たえこ
2010/02/13 21:03
たえこさん、今晩は

>エジプトの土木作業・建築は川の氾濫で農地を失った農民の失業対策の1つだと聞いたことが有ります

早稲田大学教授の吉村作治さんが言い始めた説ですよね。エジプトのスルー・ガイド氏は、カイロ大学歴史学科の卒業で今も研究室に在籍している学者さんでしたが、ツアーのお仲間の方のそんな質問に笑っていました。吉村先生だけが言い出している話で、まったく根拠はなく、エジプトではもちろん、世界の歴史学者の間でもまったく支持者のいない異論だそうです。一部専門の土木工事者はいたが、残る大半はその指示で、わずかの麦などとの物々交換で駆り出された貧しい人々が土木工事にあたった、と見るのが、現在の世界の通説なのだそうです。

やはり、貧しい人々が駆り出されて、あの巨大建造物を作ったのですね。

>いやいや、もっと凄いお金持ちはごまんといます。それに比べてささやかな庶民の私!

ほんとに、そうですよね。ささやかな楽しみを追っているだけだから、気にする必要はないさ。そう自分に言い聞かせて、遊んでいます。

政治の世界の人々と企業トップの方々に、もう少し頑張っていただかないと、日本は進路を誤っちゃいそうです。

hiroshi
2010/02/13 22:32
こんにちは〜
昨日とはうってかわって、寒い日です
エジプトの巨大な遺跡=力の誇示=奴隷的民
後世にのこったの建造物は素晴らしい遺産
ここまでつくりあげた血の結晶を思うことも後世の務めですね。失業対策説が吉村教授だけの見解ということに目からうろこデス〜

エジプトのイメージはスフィンクスと砂漠と暑さしかなかった貧相な頭の私には刺激的な巨大な柱の森でした
みてみたいと思いましたョ

日本はどうなってしまうのでしょう
豊かさも遠のき、心もまでも貧しくなってしまったような気がします 昔は貧しくても心は豊かで若者には希望が持てた時代でした 今はわが子をみてもたいへんです
この春卒業の二男も資格にこだわり大学院に進みます
いつまでつづくのか親の負担 高い教育費です 地方か東京の大学に入れると一人二千万かかるといわれていますが実感している数字です それでも就職は厳しいようです もっと充実した民主主義国家になってほしいです
政権が代わって期待しているのですが。。。。とほほ
エルママ
2010/02/15 10:28
エルママさん、おはようございます。

今回は、柄にもなく、少々↑生意気なことを書きました。お恥ずかしい。

遊び呆けていて言える立場でもありませんが。。。
しかも、リタイアしている身で、ブログ程度でこんなことを書いてもまったく意味のないことですが。。。

過ぎたる格差容認社会はいつの日にか崩壊する、もしくはそれ以上の発展を望めない袋小路の社会に陥落してしまうでしょうね。もともと人間社会に格差とか差別、区別とかは持って生まれた生活基盤とか知性とかで付き物なのでしょうが、その格差を縮小し、だれもがそこそこの幸せをつかめる可能性を持つ均質化、平準化の理想を持っていないと、人間社会などあっけなく原始分捕り合戦社会、封建身分制社会、王侯隷属時代へと帰っちゃうでしょうね。いまは、そんな逆戻りの兆し現象が多すぎる。特に、我々の時代では最大の責任であり、歯を食いしばって頑張った従業員への雇用責任を、最近の経営者達は簡単に切り捨てていることが気になります。

ご次男、博士課程?ですか。優秀でらっしゃるのですね。 

ほんとうに寒い日が続いています。
エルくんへの深夜のお食事サービス、お風邪を召されぬよう
hiroshi
2010/02/15 11:52
こんばんは、hiroshiさん。
どこか狂って来ちゃってますよね、今の日本は。
これから育って行く者への保証は大切だと思うのです。でも、一生懸命頑張って学費を出してくれる両親に、申し訳ない頑張ろう!なんて気持ちは何時か若者の心から無くなっちゃうのでしょうか。子供達の学費を保証するなら、今まで頑張って社会に貢献をして来て、私達を導いてくれた方達の命の保証にもお金を使ってくれ!!って、どうしても思っちゃうんですよね、私は。誰にでも平等に受けられる医療、どうか目指して欲しいと思ってます。デンマークの医療は素晴らしかったです。
>自らの命に関わる急病、昏倒事件に遭遇して
御心配な事がお有りになったのですね。
でも、今は旅行を楽しまれてらっしゃるので、大きな心配は超えられたのですね。良かったです。
なんだか、hiroshiさんのブログに関係のない事をコメントさせて頂いちゃって済みません。
お隣の女の子のお話に深く感じ入ってしまいました。
hiroshiさんが下さった、拍手コメント
「御花でとう」うふふ。最高でした♪
も一個チョコレートは飽きもせず WAKOルショワのものでした。何時も拍手コメントも有り難うございます。感謝しております。
murmur1
2010/02/15 20:31
murmur1さん、今晩は

>「御花でとう」うふふ。

う〜ん。
笑っていただけて良かったです。
あれは、駄洒落も過ぎた、下手糞な一文だと、拍手コメントをお送りしてから随分悔やんでいました。だって、もう一つ切れ味がねぇ〜。
しかし、まぁ、ほんとに、笑っていただけて良かった。ありがとうございました。

そして、まんぷく2号、このあとの成長具合が楽しみです。きっと、いつかまた、途中経過も見せていただけるのでは、と楽しみにしています。

ほんとに、世の中、どうなっちゃうんでしょうね。murmur1さんのお仕事の世界も、何か妙な具合ですし。わが身のことも内心忸怩たる思いは強いですが、死んで花実が咲くものか、という思いと相棒がかわいそうでもありましたので、わがまま、無責任をば、いたしました。だから、生意気にモノ申すなどはおこがましい立場なのですが。。。

お忙しいでしょ?
お体にお気をおつけになって。
あ、これもまた、立場が逆ですね〜〜。
hiroshi
2010/02/15 21:26

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