潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS ヴァルネミュンデ着。「バルトの女王」の古都へ。

<<   作成日時 : 2010/09/07 22:35   >>

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5月18日、火曜日。
目覚めると、船は揺れていました。


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酒で千鳥足にならない自信はあるけれども、船酔いではすぐにヨタヨタ、千鳥足で歩く、滅法弱い、“船酔い下戸”なもので。。。

おっとぉ。
これは、危ない。酔い止めの薬を。

というワケで、目覚めてから以降、怖くてリド・デッキはもちろん、ベランダにも出れませんでした。

そういえば。
この、船の外部に張り出した床部分を、ステートルーム・ガイドで「バルコニー」と呼ぶクルーズ・ラインと「ベランダ」と紹介するクルーズ会社がありますよね。

「バルコニー」は、プリンセス・クルーズやクリスタル、ロイヤル・カリビアンなど。一方「ベランダ」派は、HALやセレブリティ、カーニバル、リージェント・セブンシーズなど。

もともと、英語が語源の言葉ですから、米国籍の船会社それぞれ、どんな根拠で呼び違えているのか。何か理由があるのでしょうね。

その理由が知りたくて、英語版ネットを巡ってみると、言葉の違いとしては屋根のあり、なしで区分けしているようですが。クルーズ船では双方とも、屋根はあって、違いの根拠にはならないのでは?

面白いですね。どこかに違いは、あるのですかね〜。


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と。
またまた。
とりとめのない余談、雑談ばかり。

というわけで、プロムナード・デッキを写真撮影場所に変えて。

下りてみて気づいたのですが、バルト海は、地中海や日本沿岸よりも、海の潮の香が薄いです。
初めは、荒れた天候のせいかと思ったのです。
が、その後も、あまり潮の香がしない。

船のスタッフが教えてくれたのですが、塩分濃度も薄い。塩っ辛くないそうです。
帰国後、ネットで調べてみると、やはり、そのように書いてありました。


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午前8時20分過ぎ。
北ドイツの海岸特有の、籐製の屋根囲い付きビーチ・チェア、シュトラントコルプがズラリ並ぶ、ヴァルネミュンデのビーチが見えてきました。

プロムナード・デッキに下りてみると、波は案外小さかったです。

しかし、気温は、わずか12℃。
船内新聞「セレブリティ・トゥデイ」によると、天気予報は本日は曇り。

日本語にすると「曇り」ということになってしまうのですが。。。
英語での案内は「オーヴァー・カスト(Over-cast)」。陰鬱な。悲しい。
そんなニュアンスのある英語の方が、よほど似合っている、寂しく寒々とした天気の中での、ヴァルネミュンデの港入りでした。

やがて、ヴァルネミュンデの埠頭に接岸。
停泊後、ようやくリド・デッキへ上がれました。


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船を下りると、ツアー会社手配のバスが待機していました。
向かうは、ハンザの盟主で“バルト海の女王”と呼ばれた古都、リューベック。

ガイドさんは、こちらの方と国際結婚した日本の女性。ほぼ一日行動をともにして、心打たれる、魅力的な方でした。屈託なく優しく、ほがらかで、それでいて芯の強さを感じさせる、そんな女性でした。最近の日本女性は見失ってしまったのではなかろうか、と思うほどの、大和撫子、の本筋をキチンと備えてらっしゃるような。。。

ドイツへ渡ってもうン十年、とおっしゃっていました。もちろん、きちんとした数字で。こちらが書かないだけです。
日本で知り合ったドイツ人と結婚して渡独したけれども、その男性は二年も経たず、ドイツ人女性へお好みが回帰されたのだとか。

「日本に帰ろうか。しかし当時は、国際結婚に対する日本の社会の目は現在のように無頓着ではなかったでしょう? だから、帰れない、と。歯を食いしばって」。
その後。
その別れた前のご主人の知人で、その後、相談に乗ってくれたりしたのが現在のご主人なのだと。
そのご主人との間でお子さまが二人。共にご子息で、大学を卒業して、既にドイツ人として(当たり前か)ドイツ社会の第一線で働いてらっしゃる由。


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ガイドとして働いている目的は、お金ではない。

「やっぱりね。日本が恋しいのね。だから、日本語を話して日本の方とオハナシをするのが楽しくて、ガイドの試験の難関へ挑んだの」。

。。。と、プライベートな事柄をも何のわだかまりも屈託もなく、自らオハナシになりました。
身につけてらっしゃる衣装も装身具も、一級品でした。豊かな家庭の奥さま。

そして何よりも、本当に、30年前の日本人ならばほぼ全員が持っていたような、やさしさとおもやりと純朴さ、というか純粋さを備えた魅力的な方で、帰船するころには、ツアーのお仲間の皆さん全員、彼女のファンになっていました。

ヴァルネミュンデからリューベックまではおよそ120キロ、1時間半。
バルト海沿いの高速道路を一路、西南西へ走るわけですが、ここらは菜種油の産地だそうで、途中、見渡す限り、一面の菜の花畑が続いていました。


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そしてやがて。
ハンザ同盟が栄えたころに、「バルト海の女王」と呼ばれた古都、リューベックの街並が見えてきました。


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コメント(6件)

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 hiroshiさん (* ^-^)ノこんにちわぁ〜

愈々ヴァルネミュンデに入港ですか?


それにしても高浪です。 
まだこんな様子に会った事が無くて〜 船酔いの経験ないからイザって時が心配です。(予定がないのに〜)

懐かしい様子です。赤い電車が見れて嬉しいナ〜
やっぱり、浜辺のかご「Strandkorb」が沢山有りますね〜
リューベックの観光は流石です。
トラヴェ川に囲まれた美しい街!!
街歩きで見ましたよ〜

こちらも行きたかったかなあ?です。
愈々ですね?
たえこ
2010/09/08 14:30
たえこさん、こんにちは

そうなんです。

>愈々ヴァルネミュンデに入港ですか?

教えていただいた、この街に行きました。
船はこの日、午前9時入港、深夜の零時出港だったのです。だから、夕刻にリューベックから帰ってきて、いつかお話しましたが、たえこさんがお乗りになった時よりも格段においしくなっていた寿司バーで軽く腹ごしらえして、今度はヴァルネミュンデの街へ。

寿司バーは、おそらく職人、というかスタッフが入れ替わったのでしょう。とても旨かったです。過去に乗った2船よりも。

ヴァルネミュンデの街中では、食事を。そして、港界隈をぶらり、ぶらりと。日没は午後10時近くだったので、外は明るかったですし。

このツアーを選んだのは、リューベックへ行くことになっていたからです。いつかお話したかもしれませんが、あのあたりはブレーメンからハンブルグまでしかいったことがなかったのです。写生旅が好きな姉は、リューベックからトラヴェミュンデへ行ったことがあるようで、「いい街だ、いい街だ」と良く言うもので、以前からいってみたかったのです。

それに、根がヴェネツィア好き、でしょ? 映画「ベニスに死す」の原作者のトーマス・マンの故郷へ行ってみたいとも、以前から思っていましたから。

やっぱり、いい街でした。
今度は中欧だそうですが、機会がおありならば、次の旅かその次の旅でぜひぜひ、ご検討を。お勧めの街でした。
hiroshi
2010/09/08 16:55
hiroshiさん、こんばんは〜

荒れていますね〜
僕はhiroshiさんのは全くの逆で、酒は下戸(アルコールを分解するアセトアルデヒド脱水素酵素が無いと思います)ですが乗り物酔いを経験したことが無いのです。
クルーズ中、就寝の際は、多少揺れが大きい方が揺り篭見たいで熟睡できます。

>「バルコニー」と呼ぶクルーズ・ラインと「ベラン 
  ダ」と紹介するクルーズ会社がありますよね

日本船では、飛鳥Uがバルコニーでにっぽん丸がベランダと呼んでいますね〜
違いは

素晴らしいガイドさんとの出会いは、思い出深いものになりましたね

nao
2010/09/09 21:06
naoさん、今晩は

ほんと、逆でらっしゃいますね〜。
わが家の相棒も、naoさんと同じ、です。
船酔いには滅法強くて、おっしゃっている「揺り籠」も、同じです。

船酔いしやすい人間って、医学的にどうなんですか?
平衡感覚とか、何か欠けているのですかね?

恥ずかしながら、高校時代から大学時代にかけて、ヨットをやっていたんです。しかし、この船酔い癖が問題で、結局、一流選手になど手も届かず、凡庸なヨットマンにさえなれず。モノになりませんでした。

へぇ〜
知りませんでした。日本船3船、そういう風に違いますか? 日本船は船底の部屋か、下から数えた方が早いキャビンしか取らないもので、調べたこともありませんでした。

その後、コスタの記事、いかがなんですか?
写真はまだあるんでしょ?
また見せてくださいね。

ガイドさんは、海外へ飛び出した、ど根性大和撫子風で、とても好感が持てましたよ。純粋さが伝わってきました。
hiroshi
2010/09/09 21:56
今晩はー。
素敵なガイドさんにあたると旅行が何倍も思い出深いものになりますよね。
何十年もいたらやっぱりいろんな面で日本が恋しくなるんでしょうね。欧米の食事にどんなに慣れても、年をとるとやっぱりお魚や煮物などの日本食に戻っていくと、こちらに住んでいる年輩の方もおっしゃっていました。
私も日本にいた頃は渡航先で日本人をみても話しかける事なんてほとんどなかったですが、今は船内やヨーロッパの観光中なんかに日本人をみると、「隙あらば話しかけちゃおう!」みたいな感じに変わりました。やっぱり私も日本語で会話したいです〜!!(ネットではこうして日本語書いていますが、実際に日本語で会話といえる会話をしたのは3月のクルーズ中に出会った日本人とで、それ以来まったくないんですよねー。さみしい………)

一面黄色の菜の花畑がきれいですねー。風車もあって。
でもどうしてこの手の風車はいつも真っ白な色なんでしょうね。なにか模様をたして、回っている時におもしろい絵が見えるようにするとかできたら楽しいのになぁ……なんて、そんなに早くは回ったりしないですよね。。。

最後の写真の写真、南ドイツしか回った事のない私にはドイツの建物っぽく見えないのですが、北の方にはこういうのがたくさんあるのでしょうか??
みーな丸
2010/09/12 15:00
みーな丸さん、こんにちは

と、ご挨拶をこう書きながら、みーな丸さんの場合、何となく違和感を覚えるんですよね。いつも時差換算して、あ、やっぱり、そちら時間で挨拶した方がいいのではなかろうか、とか。。。

日本語の話。
そうなんでしょうね。
今回のツアーでも、ご案内いただくのは皆さん、それぞれのお国にお住まいの日本人でした。そして、この街をご案内いただいたガイドさんと、もうお一人、コペンハーゲンをご案内いただいた方も、同じ趣旨でお話をされていました。日本語を話したくなるのだそうですよね。

風車の話です。笑い出しました。
おっしゃるとおりですよね。
そんな風車が合ったら、なんと楽しいことか
hiroshiメはそんなことを思いつきもしませんでしたが、夢いっぱいのみーな丸さんだから思い浮かべられるのでしょうね。ほんと、あってほしいですね。そんな風車。お住まいのそちらでも、ヨーロッパのほかの国でも見たことありませんね〜〜。

最後の写真とおっしゃると、ホルステン門ですか?
リュービックのシンボルだそうです。
自分も北ドイツは、今回と、以前にメルヘン街道を回った経験しかないんですよ。だから、同じく、あまり知らないのです。

メルヘン街道では、ザバブル具の眠れる森の美女」のモデルの城が、似た印象でした。とんがり屋根、陶器の積み上げた壁面を持っていて。
おっしゃるとおり、ポーランドのワルシャワのバルバカンも似た外観ですよね。申し訳ないですが、良くワカリマセン。残念。
hiroshi
2010/09/12 15:59

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