潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 復元家、教会も。リューベック歴史街区と共存。

<<   作成日時 : 2010/09/12 16:02   >>

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リューベック。
「バルト海の女王」とも、「ハンザ同盟の女王」とも呼ばれる街です。


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小さな小さな街なのに、見どころは多かったです。

その一つが、マリエン教会。英語では、聖マリア教会と表記されているようです。
レンガ造りのゴシック建築。ドイツでは大きさ第三位だが、レンガ造りとしては世界最大、とか。
1250年から1350年にかけて造られた教会、だそうです。

二つの塔の高さは、124・95メートルと124・75メートル。
8512本のパイプを持つ世界最大級のパイプオルガンがあるのでも有名なのだとか。
バルト海沿いの街では、この教会を手本として造られた教会が多いそうです。


またまた、面白くもなく、長いだけです。
お訪ね、ありがとうございました。

今回は、こちらまでで。
本当にありがとうございました。



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以前、書きましたが、ツアーのガイドさんは、土地の方、ドイツ人とご結婚なさった、この街にお住まいの50代の日本女性でした。

日本語でガイドしていただくと、やはり、とてもわかり易いです。
わからないことは質問も出来ます。

で。
いろんなことを知ったのも、この街がおもしろかった、背景であったと思います。


画像そのご説明から〜〜。左写真は、何度も空襲にあったハンブルグの街の市庁舎です。


第二次世界大戦時の1942年3月28日から29日にかけて。
当時、ナチス・ドイツの指導下にあったこの国のこの教会は、英国を柱とした連合国軍の無差別爆撃に合い、街の4分の1が破壊され、この教会も爆撃で倒壊、炎上。

ドイツが初めて、空襲にあった日であった、そうです。
塔の上にあった鐘は塔の真下に落下して割れ散り、土にめり込んで、ステンドグラスや教会内の壁画も焼失。見る影もないほど無惨に破壊されたそうです。


画像以降、連合軍の無差別爆撃にあったのは、ドイツでも、この街だけではなかったそうです。左写真は、同じく爆撃で倒壊し、復元、再建されたドレスデン、フラウエン教会です。

同じく教会が破壊されて、リューベックのこちらの教会と同じように。。。
ただし東ドイツにあった影響もあって復元、再建するための費用が足りず、東西統一なってようやく復元へ重い腰の上がったドレスデンの街並やフラウエン教会。
さらには、激しい空襲を何度も体験したハンブルグ。ほかにも、いくつもあるそす。

無差別爆撃の被害を受けたのは、日本も同じでした。

ドイツより遅れて1942年4月。
初めて東京が空襲を受けたのを筆頭に、東京はもとより北は北海道から南は沖縄まで、全国200都市以上が連合軍の爆撃を受けました。

その後の再建。
新たに都市計画を構築してまったく新しい都市構想を描き、引き続く非爆撃直撃一帯の伝統的な街並も残さず、スクラップ・アンド・ビルド方式で街づくりを進めた日本。
ドイツのやり方と根本的に違う手法で街を再建した我らが日本の街並からは、子どもたちの安全な遊び場であり、住民交流の場でもあった古き良き路地裏や横丁、小さな広場=辻などは、まったく消えてしまいましたが。。。。



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リューベックのマリエン教会。

倒壊する前の、あるがままであったそっくりの外観でと、戦後すぐに再建作業が始まったそうです。

外観がほぼ元通りになったのは建設700年を記念した1951年。
割れて地面にめり込んだ鐘はそのまま、歴史の記念として教会内に残され、あらたに鐘も設置されました。そしてその後、パイプオルガン、天文時計、ステンドグラスなどが、爆撃した英国の人々の協力も得て次々に復元されていったのだそうです。

作曲家バッハがかって、この教会のオルガン奏者の演奏に感動して、この教会へ通い詰めた、との逸話が残るパイプオルガン。見事に、当時そのままに復元されたのだそうです。

そして。
割れた鐘は「平和と和解の鐘」と名付けられて、訊ねた時には、教会内の一角に残っていました。

カトリックの教会と違い、プロテスタントの教会は、飾りはほとんどありません。
その、すっきりした大空間の中に、爆撃の歴史をとどめて、写真や文献が並べられていました。


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さらに。
この教会を一歩出た、南側の壁面下。
寝かせた石柱の上に、一体の、ユーモラスな像が置かれていました。
大きさは、小学低学年の児童大。頭に角。笑っています。

リューベックに伝わる伝説を元に、1999年年に建造され、置かれた像だそうです。

この像は、悪魔。
.伝説によれば、さかのぼるおよそ700年〜600年昔、この酒好きな悪魔は、人々が頑張って造り続けている建物は酒場なのだと、誤解したのだとか。根が酒好きなもので、早く出来上がれば自分もご相伴にあずかれると、建設作業を一生懸命手伝ったのだとか。

ところが。やがて。
造っていたのは教会だとわかって。みるみる顔は蒼ざめ、出来上がった教会の壁を叩き壊そうとし始めた。
ここで壊されては大変。街の人々は悪魔を説得し、必ず酒場ホールを作るから、と約束。やがてこの教会の隣に、その酒場を造った。悪魔はそれから、いつも入り浸りで、酒を楽しんでいた、そうな。。。

そういうオハナシを元に、像はおかれたのだそうです。

そしてこの像が、大空襲で倒壊した教会の、復興作業、最後のシンボルであったそうです。


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第二次世界大戦。

先ほども書きましたが、日本も、無差別大空襲の被害者でした。
広島、長崎が、その最後の、大きな哀しみを生んだ最後のそれであったワケですが、ほかにも、焼夷弾を中心に200を越える都市が、投下された総合計16万トンもの爆弾の爆撃にさらされたそうです。

16万トン。4トン積みダンプカーの荷台に載せて運ぶと、4万台分です。1日に100台投入して運び続けても、1年と1カ月もかかる。膨大な量です。
ドイツは、投下された爆弾は、日本のその17倍。270万トンに達するそうです。戦争と関わりのない幼い子どもや女性を含めて、どれだけの人々が死んでいったことか。。。

自分も、憶えています。
まだ4〜5歳の幼児でしたが、熱く真っ赤に燃えあがったわが街を、そして火が収まった時に、何もかも灰燼に帰していた我が家のことも、はっきりと覚えています。

いま、戦争体験を語り残そうという運動が、我々以上の年代層の戦争体験者の方々の間で、密やかに、しかしメラメラと紅蓮のように広がりを見せて、静かではありますが、燃え上がっているようです。

呼びかけに応じて、このほど、自分もとある会合に参加してきました。

こちら、このようなブログやソーシャル・ネットワーキング・サービスで残したり語り合うのも、一つの方法なのでしょう。
しかし。
自分は、ブログはやはり、所詮、お遊びの場として使いたい。
その方が楽しいですし。。。


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画像リューベックの街の、第二次世界大戦のニオイ。
マリエン教会や街並ばかりではありませんでした。

この街、第二次世界大戦敗戦直後から始まった、東西冷戦時代の西ドイツの、端っこ、ほんのわずか歩けば東ドイツとの間の国境線に達する場所に位置していたのですね。


クルーズ船で上陸したヴァルネミュンデは、旧東ドイツ。
一路西南西へ、ツアー・バスで旧西ドイツへ向かって旧東ドイツ領を走り続けて、リューベックに到着しました。

その途中のアウトバーンでは、こちらは旧東とか、こなたは旧西とか、の施設や設備の格差、落差はほとんど目に付きませんでした。


画像当然でしょうね。
もう、20年経っているのだから。

東ドイツの中に浮かんでいたベルリンだけは、壁の跡とかチェックポイント・チャーリーとか、ブランデンブルグ門とか、東西冷戦時代の残滓を見られます。
が、その後の東ドイツの街、ボツダム、ドレスデン、マイセンなどを訪ねても、たかが観光で数日間入るだけでは、経済的な落差などは、ほとんど感じなかった。。。

ところが今回。
たった数時間の滞在だけであったのに。
説明をうけたこともあったのでしょう。
ヴァルネミュンデからリューベックに入る直前、しみじみ、その残滓を目で味わい、考えさせられました。。


画像かつて。
東と西の国境線、中間地帯には、幅およそ5キロの無人地帯が延々と続いており、地雷が埋められ、監視塔が立ち、東ドイツでは、この地帯で働くか住んでいる人でも証明書がないかぎり、立ち入りは出来なかったそうです。

その「残滓」は、今もしっかり残っていました。

広大な森林帯が続き、なるほど、なるほど、これが人間の憎しみあった末の愚行の跡か、とひたすら感嘆。
自動車道はその森の中を縫って走っているんですが、道の両側は、かつての原始時代を思わせる鬱蒼とした森また森。

「幸か不幸か。結果、この中間地帯に、絶滅したと思われていた植物が見つかったり貴重な動物が生存していたり。今では、ドイツの貴重な自然遺産の宝庫なのです」。
とのことでした。



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こうして、リューベックの街に入りました。

街の周りには、トラベ川とトラベ運河。
落ち着きのある佇まいを醸し出しているのでした。



最後になりました。

今回のこの「覚え書」、コメント欄は外しました。

普段、お忙しい皆さんに、長々と面白くもない雑文を読んでいただいた上、コメントまで頂戴することに、精神的な負い目を感じています。

これまで、旅に出かける折などは、どうぞ、コメントへのお心遣いはご無用に、と書き残してきました。
しかし毎回、うれしくもありがたくも、ついつい、遠慮もなく頂戴して、ご迷惑をおかけし続けてきました。

「他人さまにはご迷惑をおかけしない」ことを、生きる上での最大の処世訓としております。
たかが旅の「覚え書」のブログです。本来ならば1〜2回程度で終わらなければいけない、ハズなのです。ならば、これほど負い目は感じない。

が。。。
今回、この街を気に入ったこともあって、またまた、「馬鹿」とつくほど文章が長い。。。
ということで、コメント欄を割愛いたしました。

ありがとうございました。


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