潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

アクセスカウンタ

zoom RSS ボストンの「心臓のような場所」周辺、そぞろ歩き。

<<   作成日時 : 2011/12/05 21:19   >>

ナイス ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 5

 

ボストン。

ツアー・バスで、ボストン南部の海際にあるクルーズ・ターミナルを離れると。
街中に、米国第35代、ジョン・F・ケネディ大統領のポスターが、あちら、こちらに張り出されていました。
サウス・ボストンにある、ケネディー・ライブラリーの手で。

画像



画像我ら世代の、かつて憧れであった「偉大なアメリカ」の、そのまた象徴であった、若き大統領であったのですが。。。

節目の年であったことを、すっかり忘れていました。あれほど印象深く、続いて起きたショッキングな、20世紀有数の出来事であったのに。
我とわが身に、ちょっと赤面。。。

。。。今年は、就任50周年の節目の年であったのでした。
もう半世紀になるのですね。

右上写真は、ボストン東部、ウォーターフロントのローズ・ケネディー・グリーンウェイからダウンタウン中心部へステート通りを臨む。正面にオールド・ステートハウス(旧州議事堂)が見える。

画像50年前の就任式から、およそ2年10カ月後。

日本時間、昭和38年11月23日、土曜日、勤労感謝の日、朝。
まだ学生であった自分は、連休を利用して、夜行列車で京都へ向かいました。
新幹線は、まだ開通していなかったころの、貧乏学生です。東海道線、夜行列車を、このころは愛用していました。

京都、東寺で。
相棒と落ち合ったのが、約束した時間、午前11時。もちろん、まだ結婚していなかった、こちらも向こうも、まだ尻の青い若造のころ。

東寺で。
この朝放映の、史上初の日米衛星生中継で、ダラスでのケネディー大統領暗殺事件が報じられたことを、彼女から聞かされて初めて知りました。
こちらが車内で眠りこけていた東京から京都への移動中、世紀の大事件は起きていたのでした。

右上写真正面右の緑の森、国立歴史公園の手前、花の温室建物を左に行くと、18世紀にボストンの貿易商から寄贈されたファニュエルホール。クインシーマーケットもこちらだ。

画像古い街並みを、若い女の子に案内してもらってぶらぶら巡る、などというちょっと不埒で退廃的な楽しみへの期待は一度にどこかに吹き飛んで。京都駅からそのまま、Uターン、帰京したことを昨日のように覚えています。

尻の青い学生が。
急いで帰ったところで、することはなんにもなかったのです。
が、遊びにうつつを抜かす、そんな時間を持つことは、許されることではない。帰って学生本来の道をしっかり頑張れ。そう、叱られたような気持になりました。

右上写真は、ボストン・マラソンのゴール地点や、ショッピング客でにぎわうニューベリー通りが近い、ダートマス通りの一角。右手に見えるのはホテル、フェアモント・コープリー・プラザ・ボストン、その向こうがコープリースクエア。


画像



画像今回の旅。
クルーズで、たった一日、しかも日中だけのボストン滞在で、加えてツアー、でした。

だから。
訪ねた名所旧跡、観光場所は、ほんのわずか。
ケネディー・ライブラリーはもちろん、ブルックライン市のケネディーの生家も訪ねませんでした。

アメリカの大都市としては珍しく、ヨーロッパの街並みに、小さくまとまった旧市街、ダウンタウンを持っている街なのに。
フリーダムトレイルも、ファニエルホール周辺のみ。
ボストン・コモンさえ、入りませんでした。
チャールズ・ストリートから柵越しにのぞいただけ。
コモンは、リンクさせていただく、写真のお上手なブログ「粘土と花」主宰、たえこさんが美しい画像でまとめてらっしゃいます。



画像


画像


画像そのチャールズ・ストリートを、道路一本挟んで反対側、西に広がるパブリック・ガーデン。
こちらには、行きました。

昔。
今や、高校生、中学生の息子や娘。こちらにとっては孫。
そんな思春期世代の子供を持つ、嫁いだわが家の娘が、まだ幼かったころ。
相棒が買い与えて、その後、成人するまで肌身離さず大切にし続けていた何冊かの童話絵本のうちの、彼女お気に入りの絵本。

その絵本を記念した、銅像が置かれています。



画像



画像絵本は、ロバート・マックロスキー作「MAKE WAY FOR DUCKLINGS(邦題=かもさん おとおり」。

お話は〜。
ほら、カモのマラードさんとマラード奥さんが、ボストンのチャールズ川とこの公園を舞台に、お巡りさんたちの応援を得て巣作り、子育てをする物語。

娘が高校生であったころ、一家でこちらを訪ねたことがあるのですが、そのころ、物語の舞台にこの銅像はまだありませんでした。
銅像はその5年後に設置されたのですが、彼女はそのころ、大学生から実社会へ巣立つ準備で慌ただしく、その後は結婚、子育てと、主婦、仕事の両立で忙しい毎日の連続。「行きたい、見たい」と、折に触れては言い続けていながら、いまだに訪ねられずにいる風情です。



画像


画像



物語は〜。

You tubeに、英語版ではありますが、読み上げ動画がありました。
お借りしました。




カモのマラードさんとマラード奥さんが、ボストンのチャールズ川を始め、周辺の水辺で、子育てのための巣作りの場所探しに頑張るお話。お巡りさんも手助け。。。

ご存じの方は、多いと思います。


画像


画像

ボストンとケンブリッジを結ぶロングフェロー橋から眺めたチャールズ川。この川が、物語の舞台の一つ。

川向こうに見るのは、ボストンのランドマーク、ジョン・ハンコックタワー。あの高層ビルの真下あたりが、ボストン・マラソンのゴール地点。道路一本チャールズ川寄りのニューベリー通りは、ブランドショップが並ぶボストン有数の繁華街だ。

↓ 同じ物語の舞台、パブリック・ガーデンの池。園内にはリスも数多い。



画像


画像


画像


画像




パブリック・ガーデンやボストン・コモンと、ビーコン通りを一本挟んだ北側。
名高い、「ビーコンヒル」も訪ねました。

チャールズ川沿いの、現在のバックベイなど繁華街一帯、かつては一面の湿地帯を埋め立てて、高層ビルが林立する地域へと変えた、その埋立用土を生み出した、ビーコンの丘の南斜面エリア。
清教徒たちがこちらにたどり着いたころに比べて格段に高さを減じた丘であるこちらには、18世紀から19世紀にかけて造られた街がそのまま、残っています。

そして。
昔の面影を留める、英国風のレンガ造りの街が広がる、ボストンでも名だたる高級イメージの街並み。
たたずまいは美しく、芸術作品を見るような街並みが見事でした。

かつて、そして現在もなお有名人の居住者が多く、「若草物語」の作者ルイザ・メイ・オルコットやエドワード・ケネディーも住んでいた。そうです。


画像

パブリック・ガーデンとコモンの間を南北に走るチャールズ通りをビーコンの丘方向へ登る。かつての小高い丘を大きく削り取ったとっつき口の一つだとかで、現在では、ここらはまだ比較的にフラットだ。ファッショナブルな街並みに似合う、瀟洒な店が目立つ。緩斜面を北に登っていくと、左手に小さく三角形の小屋根が見えるあたりが、奴隷解放運動の人々の集会場であったミーティングハウス。

画像

チャールズ通りから東に延びるブランチ通り。

画像

さらに一本、丘頂部へ向かって登ると、左、東方向に延びる美しい通り。名前はチェスナット通り。こちらへ折れ入る。

画像

チェスナット通りを、今度はまた、再び丘頂部へ。可愛いウェストシダー通りに入る。そして、その途中の曲がり角。

画像

ボストン1美しい通り、と、アメリカの人々の間で知られるエーコン通りだ。

画像


画像


画像


画像


画像


画像


画像



一方の、丘の頂部の反対側、北斜面のケンブリッジ通りは、同じく街の名所で、アメリカのアフリカ系移民の子孫たち、つまり黒人奴隷解放へ向けての歴史をとどめる奴隷制廃止へ向けた歴史的モニュメントの揃う街。ブラック・ヘリテージ・トレイルが設定されています。

黒人たちが周辺の街へ散って行ったあと、アイルランドやドイツ、イタリア、ロシア系ユダヤの人々など、遅れてやってきた移民たちが足をとどめた街としても知られます。

このビーコンヒルも、ほんのわずか、短時間ですが、巡ってきました。


画像

チャールズ通りの北斜面側、かつて黒人奴隷解放運動に携わる人々やアフリカ系の人々が住んでいた、ビーコンヒル北斜面、ケンブリッジ通りの登り口。坂が折れる少し先が、ミーティングハウスのある場所。

画像

ケンブリッジ通り側から北斜面、ジョイ通りを見上げる。右手に、全米のブラック・コミュニティの中核となった、アメリカ最古のアフリカ系アメリカ人の教会である、現在のアフリカン・アメリカン歴史博物館の入り口が見える。


地図は、ボストン、ビーコンヒルとボストン・コモン、パブリック・ガーデン周辺。






テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 2
ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(5件)

内 容 ニックネーム/日時
hiroshiさん お早うございます。

以前に行って居られて〜流石にお詳しい!!

カモのマラードさんとマラード奥さんのカモの物語・・お恥ずかしいですが知らないんです。
パブリック・ガーデンも〜美しいエーコン通りも知らないんです。

>訪ねた名所旧跡、観光場所は、ほんのわずか。
同じですね〜 ほんの僅かの時間で物知り顔に画像満載だけのブログがお恥ずかしいです。


リスちゃんの画像良く撮れましたね〜〜

  
たえこ
2011/12/06 11:06
たえこさん、こんにちは。

いえいえ、詳しくありません。お恥ずかしい。
今回のクルーズでは、あまり下調べしませんでした。
てきめんで、ツアーの自由行動時間になったら、どちらへ行こうか?? と迷いっぱなし。生半可な知識などない方がいいですね。しっかり下調べしますから。

たえこさんは、良いですよね〜。写真が、なんとも素晴らしい。
たえこさんのブログのあとに書くんじゃなかった、と、いま、臍をかんでいます。レベルローの写真が目立って、目立って。。。先に下手なのを載せちゃってたら、ノホホンとしていられたのに。

>画像満載だけのブログがお恥ずかしいです

とんでもない。
ご本人の前であまりにも露骨で、お世辞と受けとられ兼ねないのが嫌で、ホントは以下のことを書きたくないのですが。。

たえこさんの写真とブログは、拝見させていただく人々に癒しのひと時をいただける、ネット世界では、最高の作品だと思っています。murmur1あんと、どちらがどっち、というほど、温もりに満ちていて、リンクしていただいていることを光栄に思っています。

「かもさんおとおり」は、日本では、絵本の名作を出版することで名高い福音館書店の刊行でした。相棒は、この出版社の絵本を選んで子供たちに与えていました。で、娘や息子たちは、影響でしょうね、同じようにこの出版社の絵本ばかり選んでいます。
絵本とは縁遠い男親であるこちらも、「グリとグラ」シリーズなど、温もり感いっぱいで、なかなか魅力的だと今でも思います。
hiroshi
2011/12/06 13:01
こんばんは、hiroshiさん。
うふふ。呼ばれた様な気がして〜〜。
たえこさんのブログは、気持ちがほわほわ、暖かくなって
本当に大好きです。hiroshiさんのももちろんです。
私のは、食い気専門のブログで、一緒に並ばさせて頂くのは、
だめで〜〜〜す。
いいえ、その前に読ませて頂いてましたよん。
コメントは遅くなってしまいました。

そうでしたか、そんなに時間が経ったのですね。勿論実際には知らないけれど、あの映画で、ジャックリーン・ケネディー・オナシスが、ケネディの体の一部を瞬時に何のためらいもなく後部座席から身を乗り出して取り戻すシーン、あれはショックでした。その日、夜まで、血の付いたままのコートを絶対に脱がなかった意味とか、そんなお話もアメリカの一部を感じさせられました。

hiroshiさんのショックでらした事、文面でも伝わって来ました。恋人でらした奥様と折角待ち合わせしたのに戻られる位ですもの。。。
アーリントン墓地の炎と隣に並ぶ墓石、かなり、ぐっと来ました。

ボストン、良い街ですね。もう一度ゆっくり行ってみたいです。寒い時のボストンも素敵でした、
murmur1
2011/12/09 21:35
murmur1さん、こんばんは。

ごめんなさい。
ちょっと突発的なことで、昨夜遅くから外出していました。返事が遅れました。
たった今、帰宅しました。

>うふふ。呼ばれた様な気がして〜〜。

お耳に入りましたか〜〜。おだいかんさまぁ〜。うわさばなし、おゆるしを〜〜。

と冗談はともかく。
ネットであまたあるブログを巡っていると、際立って見えますね。お二人のブログは。
あまり語ると、お世辞風に見えかねませんから、これでやめます。

ご覧になった映画とは「JFK」ですか?
そうですよね。ご年代から考えて、ケヴィン・コスナー主演のあれでしょうね。
良かったですね。あの映画も。

ケネディー大統領は、我々世代、現在の70代前後の人間には、アメリカの光り輝いていた時代に登場した、英雄であったですね。世界の人類はこの後、彼を筆頭とする世界のリーダーたちに導かれて、素晴らしい道を突き進んでいく。そういう夢を与えてくれましたです。
hiroshi
2011/12/10 20:23
〜上から続く〜

「Ask not...」で始まるあの有名な就任演説が象徴的でした。アメリカ人ばかりでなく、我々に向けたメッセージも多かった。

「My fellow citizens of the world, ask not what America will do for you, but what together we can do for the freedom of man」。

よおし、もう、ぎぶみーちょこれいと、は絶対に言わない。だから、もうすぐ、あの一年半ほどで社会人になったら、絶対に、一緒に歩んでくれよなぁ〜」と、涙ぐむほど感動したものです。映画館のニュースで。。。そうなんです。あの当時、映画館では上映前に、短いニュースも映し出されたのです。。。

おっしゃる通り、ショックでした。
アメリカに対して膨らんだ夢が、いっぺんにしぼんじゃったですものね。

アーリントン、他国のこととはいえ、やはり身が引き締まりますよね。ケネディーも、彼の死後、いろいろとマイナス要因の話も流れていますし、多分、真実もそのあたりに一部あつのだと思いますが。。。やっぱり、それでもなお、彼がもし、あの時ダラスで命を終わっていなかったら、世界は多分、もう少し、ほんのわずかかもしれないけれども、いい方向に歩んでいたに違いないと、今でもそう信じています。
hiroshi
2011/12/10 20:23

コメントする help

ニックネーム
本 文




会社設立 大阪市
   
アクセスカウンター
出会いライブチャット出会いモバコイメル友

ボストンの「心臓のような場所」周辺、そぞろ歩き。 潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる