潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS カナダ、サグネイ国立公園エタニテ・エリアの紅、黄葉。

<<   作成日時 : 2012/04/08 23:45   >>

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ずぅぅう〜と昔。大昔から。
こちらの街を訪ねてみたいと思いながら。なぜか、機会がなく。


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画像本日、車で行ってきました。
期待通りの、ひなびた、いい街でした。

上のポスター。
右写真の、小さな木造の駅舎内に貼ってありました。
何とも、味のあるポスターではないですか。



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一転、ハナシは変わって。

1912年4月14日深夜から15日未明にかけて、客船『タイタニック』は大西洋に沈みました。クルーズ・ファンはもとより、世界中の人々も、良くご存じのこと。

そして。あれからちょうど1世紀。
もうすぐ100年の節目(Titanic 100th Anniversary)を迎えます。


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画像クルーズ旅の面白さを知る前はもちろんのこと、8年前にそれを知って後も、毎年、この日がやってきても、さしたる感慨はなく。。。

いや、だいたい、『タイタニック』の沈んだ夜など気にも留めず、思い浮かべることさえなく、毎年、その日を通り過ぎてきたのですが。。。

新春にコスタ・コンコルディアの事件がありました。

加えて。
全遺体のわずか5分の1程度、とはいえ、『タイタニック』の乗船客たちの遺体を陸地にまで持ち帰った、『タイタニック』ゆかりの街の中でも唯一の街、ハリファックスの港や、その港に残るあの船の遺品も並ぶ博物館を昨秋に巡ってきた身として。

そしてまた、今年はその100年の節目ともなると、さすがに、少々、物思う気持ちになります。

右上写真=客船『タイタニック』の遺品なども展示するハリファックスの「大西洋海洋博物館(Maritime Museum of the Atlantic)」で、タイタニックゆかりの品々にまじって、タイタニックと同じくベルファーストのハーランド&ウルフのドッグで建造され、同じくホワイトスターラインの船で、ハリファックス近くの海岸で1873年3月に座礁、沈没し、乗客や乗組員535人が死亡した客船『アトランティス』の沈没現場の海底から回収されたマリア像が、タイタニックの遺品にまじって展示されていました。

↓ 映画『タイタニック』の動画は、You Tubeからお借りしました。






Googleで『Titanic 100th Anniversary』と打ち込んでサーチすると。
検索数は、このブログを書き込んだ日で2960万にも、達します。そして多分、この後、引き続き、一世紀の節目の熱がさがるころまで、カウント数は増え続ける、と思います。

内容は、メモリアル・クルーズあり、記念式典あり、記念DVDや模型船などメモリアル用品の販売あり、ニュースあり、ブログあり。。。

いずれにしろ、3000万近いその膨大なサイト数が示す通り、人類史に残るあの事件は、この日、大きな節目を一つ、乗り越えるところなのでしょう。


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画像以下。

文章は『タイタニック100年』関連、で、ず、ずぃ〜〜と続けます。

しかし、以下の写真は、カナダ、サグネイ・フィヨルド国立公園=下、グーグルの地図=のうちのもう1カ所、「エタニテ湾セクター(Baie-Eternite Sector)」=左地図=です。

フィヨルドが切り込んだ崖上には紅葉、黄葉の森が広がり、枯葉の舞い落ちた道がその森を縫って走り、夏のリゾート・エリアが持ち味である一帯は既にシーズン・オフ入りし、静かで美しい場所でした。




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『タイタニック』の100年目にあたって。

「少々物思う」と、↑ 書きました。

上に書いた以外に、もう一つ、物思う理由というか、ワケはありそうです。

それは、こちらが老いたから。
もう少し、あと3〜4年若かったら。多分、この日、この節目も、冷たいようだが、どうってことはなし。意に介さなかったような気がします。

客船『タイタニック』の沈没では、犠牲となったさまざまな人々の、船上での逸話や死んでいく様子が、生存者から伝えられて、今も各博物館や研究機関に残されています。


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画像前回のアンス・サン・ジャン地区からバスで西へ、およそ40分。エタニテ川沿いのベェ・エタニテ・エリアに入りました。こちらでもエリアの入り口に、小さな木造平屋建ての事務所棟があり、たった一人、入場料徴収の職員がいました。

さらにおよそ10分。バスで走ると管理棟兼休憩所が一つ。建物の裏手が、フィヨルドの海岸でした。
こちらはキャンピングとハイキング、カヤックやゾルディックなどを楽しむサマー・リゾート・エリア、でした。本格的なシーズンは6月から9月まで。とのことで、、我々が訪ねた時は、我々以外の来場者はなし。紅葉と黄葉を独り占め、の状態でした。




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伝え残されている、タイタニックゆかりの人々の、タイタニックと運命を共にしたその生き方、のうちの一つ。

沈みゆく処女航海の船の上で。最後まで演奏を続けて、船と運命をともにした8人編成のオーケストラ・バンドがありました。バンドマスターは、当時33歳の若いバイオリニスト、ウォレス・ヘンリー・ハートリー(Wallace Henry Hartley)←フリー百科事典「ウィキペディア」より。

4月14日深夜。
ハートリー率いるメンバー8人は、乗船客を心理的に落ち着かせ、平穏な気持ちにさせるために演奏を開始し、船は、そして自分たちの命も、もう助からないことがはっきりしてもなお、演奏を続けて、8人もろとも、船と運命をともにしたのだそうです。

そのメンバーたちが、最後に演奏した曲目は。。。

諸説ありますが、最後に演奏したのは、讃美歌第320番「主よみもとに近づかん(Nearer, My God, to Thee)」であった、とされています。

アカデミー賞11部門に輝いた1997年公開の映画『タイタニック』でもそう描かれていました。まだ見ていませんが、昨日3D版で再び公開された映画『タイタニック』でも、そう描かれているに違いありません。


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個人ごとですが。。。

結婚した時に連れ合いから、いくつか口約束させられたうちの、真っ先のそれは。
「アタシが死ぬときに、あるいは死んだ時に、アタシの枕元で一度はかならず、この歌を歌って。。。
いいのよ。葬式は生きている人たちの事情でするもの、だもの。
世間体もあろうし、仏式でも神式でもいいワ。
でも、誰もいないところで、たった一度でいいから、必ずこの歌を枕元で歌って」。

たかが「口約束」です。
守るか守らないか、歌わなきゃならないときは、コイツは死んじゃっているんだから、分かるはずもなし。。。
「よしよし、了解、約束するよ」。こう、簡単に引き受けて。以来。。。金婚式まで、あと数年、となりました。


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と、いうことで。
飛行機で12時間もかけて行く旅は、かなり肉体的に負担になってきました。

大仰に慟哭するのが慣習の国ではなく、「3.11」の際にも見られたように。静かに耐え忍ぶ惻隠の情の国に生まれてきたことを誇りとして人生を歩んできましたが。。。

老いる、ということは、悲しいことです。

お借りして上で載せたあの動画の中で描かれている、二つの人間グループ。
その2グループのうち、悟って、静かに運命に身をゆだねられる側にわが身を置く自信は、ちょっと前までは揺らぎようもなくわが身のうちにあったのですが。。。

身体が弱っていくと同時に、心も脆弱になっていく。

ホンの些細な出来事でも、涙が止まらなくなる。しかも、そういうことを何の後ろめたさも、恥も外聞もなく、かく、誰が目を通すかわからないネット上にあっけらかんと書き込んで、平気で居れる。

恥ずかしいことです。


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この4月中旬は、ほかにも物思うことがいくつかあって。。。
なんか、泣けてくるのです。なぁ。
かく、情けない文章を綴るようになってくると。もう、たとえ個人的な『旅日記』程度とはいえ、ブログの止め時に、きているのでしょう。そう思う、このごろです。

「主よ。。。」は多分、歌うでしょうが。。。
人生の終盤、恥をさらして、情けない文章を書き殴って死んでいくのでは、ちょっと意気地がない。


4月13日から27日まで、休みます。
上でつらつら、駄文をつらねていることとは関係なく。
ちょっと旅へ。。。
コメント欄をはずしました。



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