潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS トリエステ。暗い街だと想像していた。大違い。

<<   作成日時 : 2012/04/29 09:39   >>

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イタリアへ。
シャルル・ド・ゴールでもフィウミチーノでもなく。ひさびさ、ドイツ国内のハブ空港経由で入りました。
そして、乗り継ぎで、この航空会社の飛行機に。
初体験、はつたいけん


画像



ちょっとかわいい機体の塗色が印象的。
クルーズ船の、あの真っ赤な唇を船首に描く、アイーダの船のように魅惑的です。

イタリア国内の空港で時折、目にはしていたのですが。。。

全日空の加わるスターアライアンス・グループの、ヴェローナを拠点とし、イタリア北部各都市とミュンヘンやフランクフルトなどのハブ空港を結ぶ、ルフトハンザの地域航空会社です。

画像名前はそのまま、イタリア最北部、「真珠」とたとえられる自然美溢れるアルプスの世界、ドロミテ山塊の名をつけています。

この会社、いたく省力化?が進んでいるか、はたまた優秀な方々が多い??らしく、往復とも同じCAが、仲間にマイクをバトンタッチすることなく、ドイツ語、イタリア語、英語の順で、一人で三カ国語をぺらぺら、ぺら。

かわいいサンドイッチと飲み物のサービス時には、加えて、スロヴェニア語(??多分?)まで。
なんとまぁ、素晴らしいバイリンガル。
機内でサービスする人の数もメジャーなヨーロッパ圏域内航空会社よりもかなり少なめなのに、それをカバーするバイタリティーあふれる働きぶりをかわいい顔に汗を浮かべて披露。。。

あれは、ドイツ人だったのだろうか? まさか、まさか、イタリア人???。


画像と。かく、優秀な“貧乏会社”風に見えながら。

EN、エア・ドロミティは、座席の前後左右の幅は広く、これまでに乗ったLHのヨーロッパ圏域便機内よりもゆったり度は高い印象で、片道、わずか1時間ほどの乗機でしたが、スタッフの心地よいサービスぶりとあいまって、乗り心地はナイス、ナイスでした。

次回、イタリアへ乗り継ぎ入国する場合。もういちど、この会社の飛行機に乗りたい。


画像フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港を飛び立つと、2006年、ドイツ・ワールドカップで会場の一つであった、あのちょっと変わった外観のアリアンツ・アレーナ(Allianz Arena)が、巨大なドーナツのように見えました。

そして。
アホな奴、時代錯誤の古いヤツ、と笑われるのを承知で書き留めれば。

。。。飛行機。
あんなに重いものが。。。
かてて加えて、乗り込むと乗客の中に必ず何人かいる、多分、ファーストフード??肥満の方々。
彼らを乗機拒否するわけでもなく、小さくなるように呪文をかけて座席に座らせるワケでもなく。
ありのままの姿でキチンと乗っけて、空中に浮き上がって、電車やくるまよりも早く空を飛び進む、なんて。。。

摩訶不思議を通り越して、ちょっと怖い。


画像で。
飛行機のことは知りたくないの、の、無関心、無知人間なのですが。。。


プロペラがあるのはいいモンです。

竹とんぼと同じで、ジェット機と違い、これならば、と、浮き上がることを、なんとなく納得。
感覚的に理解できる。

昔、仕事でしか乗ったことはありませんが。。。
何度か降機、給油を繰り返してようやくヨーロッパ入り出来る、南回り、プロペラ機時代がありました。
時間がかかったけれども、あのころは、なぜか、今ほど疲れなかったなぁ。
やっぱり、プロペラがついていたからだろうか???


画像純白の雪を抱いたアルプスが、プロペラの下に見えてきました。
そしてこの、いや、こんな、プロペラのある飛行機は、肥満の方が真横の座席にいらっしゃっても、ちょっと安心出来ます。

肥満の方。
あの小さな座席に身体の全部を納め込むのは至難の業なんでしょう、きっと。
今回は、1時間余り、隣席からはみ出した肘で脇腹をつつきまくられて、ちょっと不快でした。


久々、ハイルブロンで図々しくも熱っぽい歓待を受け、竜宮城のごとくに日が過ぎて行き、アッと驚いて重い腰をあげ、兼ねてから行きたかった目的地、イタリア、東北部のエリアに入って、また数日。。。

“うらしまたろお”で帰国したら、日本は連休直前。わが、趣味と実益を兼ねたトマトやナス、ゴウヤの苗の植え付け作業が待っていました。とほほ。




画像



というわけで。

以下、今回はまず、そのさわり、だけ。
ミュンヘンから飛行機で1時間ほど。ヴェネツィア、メストレへは電車で2時間ほどの街、トリエステ(Trieste)と、その南部郊外、スロバキアとの国境までおよそ2キロほどの位置にある小さな村、ムッジャ(Muggia)の画像から。。。


画像イタリアの「覚え書」では、『ザッテレの河岸で』など、これまでに何度か引用させていただいています。

須賀敦子さん。
昭和4年生まれ。

こちらが幼児のころ。
ほんとうは、我が母親とかなり齢の離れた妹、こちらにとっては叔母にあたるのに。
物心ついたころ、彼女はまだ三つ編み姿の旧制女学校の生徒であったため、母親の実家へ遊びに行った折に「おねえちゃん」と呼び始め、その後、敗戦、日本のまだ貧しかった時代に彼女は結婚。

そしてやがて、齢とってひと昔ほど以前にこの世を去るまで「おねえちゃん」と叔母を呼び続けた、我が親類縁者の中ではいちばん、こちらと気心が通じた、母方の実家を継いだその叔母と、須賀さんは同じ年齢。

だから。というワケではないのでしょうけれども。

その、昭和ひとケタ生まれの須賀さんのエッセイ。とても親しみがわきます。
そして。
イタリア好きな方に多いですね。あのエッセイに魅せられる人。


画像その須賀さんの作品のうち、お亡くなりになる3年前、『ヴェネツィアの宿』と同じ年、1995年に刊行された『トリエステの坂道』という作品があります。

イタリア好きな方は、ご存じのとおり。

41歳の若さで、東京オリンピックが開かれた3年後、1967年、昭和42年に急逝された、彼女よりも3歳年長であった須賀さんの夫、通称“ペッピーノ”こと、ジュゼッペ・リッカさん。その“ペッピーノ”さんの、決して豊かではない母親や身内との関わりと思い出の話とともに、“ペッピーノ”さんが好きであった、ユダヤの血を引く、トリエステ生まれで、この街で古書店を持つイタリアを代表する詩人、ウンベルト・サバ(Umberto Saba )のことが記されています。

≪サバが書店主だったこと、彼が騒音と隙間風が大きらいだったこと、そして詩人であったことから、私の中では、ともするとサバと夫のイメージが重なり合った。しかもその錯覚を、夜、よくその詩を声を出して読んでくれた夫は、よろこんで受け入れているようなふしがあった。≫〜『ミラノ霧の風景』より

そのサバの足跡を追って。。。当然、そのご主人への追慕の思いを抱きながらの、サバの足跡をお追いになった旅であったと思いますが。。。“ペッピーノ”さんの死後、2年のちに初めてトリエステを訪ね、1990年に再びこの街を訪問した際の思いがつづられている作品が「トリエステの坂道」です。



画像



そのトリエステ。
初めて訪ねました。

ユーラシア大陸、ヨーロッパの大地から南、地中海に蹴り出した、長靴型の足、イタリア半島。
その足の付け根辺りの、バード・アイで高空から眺めれば右、東側。アドリア海の北東、最深部の沿岸に開けた港湾都市です。

とすると。

あの辺りの地理的位置関係から、ヴェネト州の街々はもとより、フリウリ・ヴェネツィア・ジュリア州の海沿いの街々など、イタリア国内の北部アドリア海沿いの街同様に。
さらには、イストラ半島、イタリア語ではイストリア半島の、スロヴェニア、クロアチアのアドリア海沿いの街々と同じく。

界隈の街にほぼ、今も残る有翼のライオン像が象徴するごとく、ヴェネツィア共和国に統治されていた被支配時代の匂いが、なんとなくするではないですか。
加えて第二次世界大戦後、ベルリンのごとく東西両陣営に分断され、分割統治された歴史を持っているから、でしょうが。。。

なんとなく、イメージは暗い。



画像しかし。
まったくの誤解でした。
街は、驚くほど、明るいイメージでした。

そして、ヴェネツィアをはじめイタリアの匂いはほとんどしなかったうえ、むしろ、こちらトリエステは、オーストリア、ウィーンの街の雰囲気を醸していました。

つまり。
赤い屋根、下地の煉瓦が一部むき出しになった、崩れかけた壁も並ぶイタリアの街のイメージよりも、どっしりと落ち着いた外観の石造りのビルが整然と並ぶ、18世紀〜19世紀に整備されて街並みを造り替えた、碁盤の目状の優雅な街路と建物。そんな表情が、印象的でした。

当然、なのでしょうね。

ヴェネツィア共和国に支配されていた時代よりもハプスブルグ家の直轄領であった時代の方がぐんと長いし、時代も新しい。

画像オーストリア帝国最後の皇帝、フランツ・ヨーゼフ皇帝の妃で、ジュネーブで凶刃に倒れた美しかった皇妃、シシィことエリーザベト。。。

=右写真は、2007年秋にウィーン、シシィ博物館で撮影したビデオカメラの映像からの抜粋です=

エリーザベトも、この街からマルタ島やコルフ島などへ放浪の旅へ出発していますし、皇帝の実弟でメキシコで暗殺されたマクシミリアン三世も、直轄領の総督として、今は観光名所となっているミラマーレ城に居住していた時代がありました。


画像さかのぼること、ホンの90数年前。
日本で大正時代にあたるころ、関東大地震直前ごろまで、500年以上にわたってハプスブルク家領であった街です。ウィーンの雰囲気が漂っていて、当然であったのでしょう。

詩人サバの経営していた古書店は、海に面した市庁舎の建つ大きな広場、イタリア統一広場からほど近い一角にありました。昔、ゲットーであったエリアに隣接した一角。です。


画像以下の写真は、ムッジャの旧市街です。

話を戻して。。。

詩人サバの古書店。
そちらから。
須賀さんが名指した「トリエステの坂道」はまた、ほんの200メートルあまり。。。

≪トリエステには冬、ポーラという北風が吹く。夫はその風のことを、なぜかなつかしそうに話した。瞬間風速何十メートルというような突風が海から吹き上げてくるので、坂道には手すりがついていて、風の日は、ふきとばされないように、それにつかまって歩くのだという。「きみなんか、ひとたまりもない。ふっとばされるよ」と夫はおかしそうに言った。≫〜『ミラノ霧の風景』より。


画像ボーラ。
時には時速200キロ、日本式の風速になおして秒速55メートル強、にも達することもある、すさまじい嵐、らしいです。そしてこの嵐は、たとえてみれば、日本で言う、からっ風か六甲おろしのごとくの、トリエステを中心とするここら一帯だけの地方季節風で、「トリエステの代名詞」にさえなっている、とのこと。

お借りしたYou Tubeの映像のごとく。
あちらのサイトに今年の冬のその記録を含めて嵐の光景は、かなりのかず、アップされています。


画像左写真はムッジャの市役所。

再び、ハナシを戻します。

そのボーラに吹き飛ばされないようにと、手すりのある坂道、「山の通り(Via del Monte)」。

旧ゲットー近くのシルビオ・ペンコ(Piazza Silbio Benco)という名の小さな広場から始まっており、広場正面の5階建て建物の、坂道の入り口に当たる壁面に、エッセイで書かれているごとく。通りの名と、「悲しいことも多々あって、空と街路の美しいトリエステには、山の通り、という坂道がある」と須賀さんが訳した、「「A Trieste ove son tristezze molte, e bellezze di cielo e di contrada, c’è un’erta che si chiama Via del Monte.」との、サバの詩の白いプレートが掲げられていました。


画像広場を左に折れて坂道に入ると。とば口に、ユダヤ教の集会所・ミュージアム。
こちら辺りは、もう、ゲットーのエリアでした。

イタリア人の父親が出奔してユダヤの母親の手一つで育てられたサバは、第二次世界大戦時、ナチス・ドイツがこの街を蹂躙するに先立って、一時期、街を離れます。


画像その間。
驚いたことに。
今回の旅で初めて知ったのですが、ナチスの強制収容所はこの街にも置かれていたのでした。

この街の収容所には、トリエステはもとより、周辺のイタリアや旧ユーゴスラビアに住むユダヤ人たちが捕捉されて収容され、悪名高いアウシュビッツのガス室に列車で送り込まれて悲惨な最期をとげたり、この街の収容所のガス室で命を落としたりと、暗く哀しい歴史を刻んだようです。


画像収容所跡は、当時そのままの外観で、トリエステからムッジャに向かう途中の小さな町に今も残っていて、博物館となっていました。


吹きすさぶボーラから身を守るようにと、右回りの急な坂道に取り付けられた手すり。
海の近くでも、しっかりした転落防止柵のある場所も。
そして、強制収容所跡。

トリエステの街は、海に面して広い広場と埠頭、遊歩道が広がっているせいか、一見、カラリと爽やかな街の風情ですが。。。多分、こちらの勝手な思い入れから、でしょう。哀しい表情を垣間見せる街でもありました。

こちらの街や須賀さんが結婚式を挙げた同じフリウリ・ヴェネツィアジュリア州、ウーディネの街の光景も、勝手なこちらの思い入れでしょうが、心なし、哀愁に満ちて見え、味わい深いエリアでした。


画像そうそう、味わい深いと言えば。この街は、エスプレッソの旨い街としても有名なのであった。

あの有名なイタリアンコーヒーの名ブランド「illy(イリー)」の本社所在地で、イタリアに加えウィーンの血もひくコーヒーの街なのだから、当然、といえば当然でしょうか。

今回同様、文章はすべて、しつっこく、ねちねちと長く長く。
いずれ、「覚え書」するつもりです。




画像



というワケで。
今回は、前回に続いてサグネイ・フィヨルドの続きで、ラ・ベェの街を。。。

と、思っていたのですが。。。
少々、トリエステの「覚え書」の“総括”が長くなり過ぎました。
ラ・ベェの街の写真は、次回へ積み残し、です。

個人的な「覚え書」で、今回もまた、書きっ放しで文章を切り詰める努力を割愛しています。
ということで。
コメント欄を外しました。




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