潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS コペルのパラッツォ群。ヴェネツィアのそれと酷似。

<<   作成日時 : 2012/08/24 22:00   >>

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クルーズ旅日記、スロヴェニアの小さな港町、コペル  の、「覚え書」中です。


画像


画像けれども。。。

こんなへたくそな“絵日記”程度で話題にするのは、おこがましく。
触れないつもりでいたのですが。

ここ10日間弱、きりきりと胸痛む出来事が、多発していまして。。。
日本が手ひどい侮辱を受けたり、苦々しく思いながら事を荒立てるのは大人げないと、向こうの良識の戻るのをじっと待っていた国土と領海の不法占拠問題に対して、今度は、堂々、居直り始められたり。
ブログなど、書いておられるか と。
生意気にも、「覚え書」をサボり続けてきました。

右上写真は、アレッポ市内。

画像うち、一つ、泣きたくなるほど胸痛んだニュースは。

騒乱続くシリア北部の古代都市アレッポで、日本人ジャーナリスト山本美香さんが、取材中に政府軍の乱射を受け、お亡くなりになった。という報道です。

もとより、存じ上げている方ではありません。
が。。。
命をかけた、使命感。感じ入るとともに。明日、ご帰国とか。心よりご冥福をお祈りしたい。です。

右上写真は、アレッポ城砦。

画像この「覚え書」を始めるにあたって。

たかが“遊び旅”を書くしか能のない“遊び人”ブログ、政治問題や国際問題ほか、まっとうな話題は触れないでおこう。第一、そんな能力も知識も資格もなし。。。と、固く誓って始めたのですが。。。

どうも。我慢できなくなりました。

右上写真は、アレッポ博物館。

画像シリア。

12年前に。たった一度だけですが。
しかも、個人でこの辺りを旅するのはちょっと怖いもので。
意気地なくも、ツアーで、ですが。シリア→ヨルダン→レバノン→再びシリアへ、と旅したことが、あります。

その、いわば、たかが“遊び人”の「覚え書」です。今回も。

右上写真と下写真は、アレッポのスーク。石屋根の下で“迷路”が広がり、蜂蜜、オリーブ、香辛料など、さまざまな商品が豊かに、数多く並んでいた。シリアの国民性は「のんびり」した性格だとよく言われるが、その言葉通り、出会う人々はみな、温かであった。

画像その旅で、最初に訪ねたのは、シリア。

アムステルダムで乗り継いで、首都ダマスカスで一泊。
翌日はパルミラ遺跡観光、パルミラ泊まり。
3日目にはパルミラからドゥラエウロポス遺跡、マリ遺跡を観て、イラクと国境を接する、大河、ユーフラテス川沿いの、のどかなデリゾール泊まり。

アレッポ博物館前で出会った子供たちの靴磨き集団に協力。ピカピカの靴を、またまた磨いてもらって資金援助した。

画像その翌日、デリゾールからアレッポへ入って市内観光&宿泊。
翌日にアレッポから、十字軍のクラック・デ・シュバリエの要塞を見学してダマスカスに戻り2泊。

7日目にダマスカスからボスラ、ジェラシ、ペトラへとヨルダンに入り、映画「インディージョンズ・最後の聖戦」のペトラや映画「アラビアのロレンス」の舞台ワディ・ラムやアカバの名所をかかえるヨルダン。
巨大な神殿、バールベックやレバノン杉、ベイルートなどの観光地を抱えるレバノンを観光。2週間の旅を終えて、再びダマスカスからアムステルダム経由で帰国しました。

右上写真は、シリアのパルミラ遺跡。

画像アレッポは、昔ながらの、アラビア風隊商宿、キャラバンサライや迷路のような路地が走るスークなど昔ながらの一角があるかと思えば、高級ブティック街、広い公園、ヨーロッパ風の高層住宅が並ぶ一角があるなど、など。。。

とても魅惑的な街でした。。。


画像たった1回だけの中東の旅。
なのに。
迷路のようなスークや人懐っこい人々、なかでも働く子供たちの笑顔にいたく感動して。。。

一昨年秋。
実は、あの笑顔と、パルミラ遺跡とアレッポの街並をもう一度見たくて。
その翌年、つまり昨年。
2011年春にかの地を訪ねる、こちらにとっては2度目となる、ある旅行社の中東ツアーに、申し込んでいました。


画像しかし。

ご存じの通り。この年の始まりのころ。チュニジアのジャスミン革命を契機にアラブ世界各地で始まった『アラブの春』はシリアにも飛び火。日本の中東ツアーは、レバノン、ヨルダンを巡るコースしかなくなり、結局、申し込んだツアーは催行中止となりました。

右上写真はボスラ。右下写真はマリ遺跡近くの家庭を訪問した折の記念写真。

画像シリア。その後。

政府による大規模な国民への無差別攻撃で。かの地では、騒乱が始まって以来、死者は現在まで、既に2万人を超えているそうです。

そして、口封じ、でしょうか。アメリカ、フランスのジャーナリストをはじめ、世界の報道陣およそ30人近くの殺戮に続いて、ついに。日本人ジャーナリスト一人も犠牲に。。。


画像子供も大人に伍して働くのが慣例のイスラム圏の例に漏れず、アレッポ博物館前で、靴磨きに精を出していた少年たち。こちらの靴はとてもきれいだったんだけれども、彼らの暮らしの手助けをしたくて磨いてもらったら、茶色の靴なのに、茶色の靴積みがなかったから、真っ黒の靴ずみで真剣な表情で指先に力を込めた、あの少年。

マリ遺跡の近くで、民家を訪問し、家の内部を見学させてもらった、ちょっと肉付きの良かった奥さま。。。

皆さん、命は大丈夫なのだろうか?


画像たかが、旅マニア、“遊び人”風情のブログ、です。
書き残す、まっとう“”な言葉など、持っているハズもないのですが。。。

“遊び人”風情として、身のほど、身の丈だけで書かせていただければ。。。


画像もう一度、あの、喧騒とした、迷路のような路地の走る一角もある、独特の雰囲気のアレッポの街並みを訪ねてみたい。そのためには、一刻も早く、国の政府が国民を殺戮するような無謀な騒乱を中止させ、あの土地に平和と人々の笑顔を、と。そして、いつの日か、もういちど、あの土地に行かせてほしい、と。強く強く、願っております。




画像


さて。
クルーズ談義の続きです。

まだ「コペル」。
今回は、2012年6月2日、土曜日、お昼近くに入った、コペル博物館の話。です。


画像


画像街の中心、チトー広場から歩いて1分ほど。

内部に展示されていたのは、この地を支配した、ヴェネツィア共和国をはじめ各時代の“覇者”たちのうち、近世最後の、オーストリア・ハンガリー二重帝国時代の末期、以降の資料群が中心でした。

つまり、オーストリア帝国の消滅、“世界の火薬庫”と化したバルカン半島と第一次世界大戦、イタリア領へ、第二次世界大戦、ファシスト・イタリアの進駐、ナチス・ドイツの侵略、チトー元帥率いるバルチザン闘争、ユーゴスラビア建国、社会主義時代へ、旧ソ連との路線対立、独自社会主義国家路線。。。と波乱の時代を歩み、やがて内乱、旧ユーゴの解体。。。虐げられ続けたイストリア半島の住民たちが、近代と出会って苦闘した時代の記録。


画像


画像


が。
こちら、たかが旅好き、クルーズ好きの一介の“遊び人”です。
展示物には、ほとんど関心はなく。。。

しかし。
パラッツォ、ベルグラモニ・タッコと名付けられていた、17世紀に建てられたというこの建物には、興味津々。

それは、なぜか?
ヴェネツィアのパラッツォと、造りも平面図もそっくりであったからです。

ほら、あの運河沿いの、フランケッティ美術館として開放されている「カ・ドーロ」や現代美術館・東洋美術館として公開されている「カ・ペーサロ」、1700年代美術館として開かれている「カ・レッツォーニコ」などと、間取りはほとんど同じでした。


画像



画像当たり前、なのでしょうね。
コペルは13世紀末から18世紀末、オーストリア帝国、トリエステ地域に併合されるまでの500年間、ヴェネツィア共和国領土で、共和国・イストリア地域の首都であったワケです。そしてこの、かつてのパラッツォ2棟をつないだ建物、ベルグラニモ邸もタッコ邸も、ヴェネツィア共和国領土であった17世紀に建てられているのですから。

画像そのヴェネツィアでは、名だたるパラッツォは運河に面して入り口はあるのですが。
この街では当然、運河はありませんから、小路に面して入り口のドアはあります。
建物は、この違いがあるだけで、玄関を入ると、大理石を敷き詰めた天井の高い広間が一直線に建物の奥まで突っ切り、その両サイドに小間割された部屋が並ぶ。。。そんな具合でした。

ヴェネツィアでは、その1階の小部屋は、商う商品の倉庫として使われたそうですが、こちらも、同じ方式であった、ということでした。

2階、3階も同じ造りで、大広間の両サイドに個室が「目」の字型に並ぶ。そうそう、文字に換えて間取りを象徴的に表現すれば、「目」「口」「目」と平面上に並ぶ。ヴェネツィアのパラッツォと同じく、そんな印象でしたが。。。

1階、大広間を奥まで突っ切った先に広がっていたのも、ヴェネツィアの邸宅と同じ、コルテ。つまり中庭または裏庭。

ただ、ヴェネツィアと違って街の住民数は少なく、その分、土地にゆとりがあったからでしょう。コルテは、ヴェネツィアの中庭の2倍〜3倍ほどの広さ。博物館のコルテは、住んでいた一族の趣味の問題なのでしょう。
コルテに、ローマ時代の遺跡から採収された石柱や彫塑、レリーフなどが数多く並べられていました。

もう一つ、ヴェネツィアに酷似していたのは、海の上に造られたヴェネツィアだからこその、雨水を濾過して貯水する方式の井戸が、このパラッツオでも設けられていたこと。地中から突出した井戸の外観も、良く似ていました。


画像


このような豪邸、パラッツォは、コペルに30軒ほど、あるそうです。


画像

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コメント(6件)

内 容 ニックネーム/日時
hiroshiさん  暑いですね〜

我々もシリア・ヨルダンは行くつもりで果たせなかったんです。
今のシリアはどの様な結果に成るんでしょうか?
地中海(ギリシャ)も何時不穏な事態に〜〜

>ヴェネツィアのそれと酷似
いいですね〜 この歴史ある街々を散策・・・
上品な色彩と重みの街の風情です。

 

>ここ10日間弱、きりきりと胸痛む出来事が、多発していまして。。。
>日本が手ひどい侮辱を受けたり、苦々しく思いながら事を荒立てるのは

皆同じですよ〜 ゴルフは男女とも賞金を総なめでそれすら悔しさを増幅です。
イライラ続きです。     

歴史はともかく尖閣って中国に近いですね〜 欲しがる訳です。

近隣諸国で共同所有なんて無理なんでしょうかね~
(大甘なのは承知ですが〜)戦争だけは避けて欲しいです。
大人の知恵で解決は無理 
たえこ
2012/08/26 16:49
たえこさん、こんばんは。

お返事、遅れました。
空港まで来客を迎えに行ってまして。。。
今夏、最後のお客さまです。明日から数日、またまた多忙です。

忙しくなるもので、次回分を書き貯めして、ちょっと早めに載っけちゃいました。

>皆同じですよ〜

そうですよね。日本人は、どなたも同じ思いでらっしゃいましょうね。

これまで、ついつい、遠慮して引いちゃう癖がついていて、それが悪かったのでしょうか?近隣諸国にもう一つ、上手に付き合ってもらえないのは。

ちょっと後先になりましたが。。。

hiroshiメは、これを書いているだけで満足なんです。
どうぞ、お気遣い、ご無用に。ご無理なさって、コメントを、と思わないでくださいね。よんでいただけるだけで大喜び、なのですから。

そうですか。
シリア・ヨルダン行きを、たえkそあんご夫妻もご計画中であったのですか?
とすると、hiroshiメとおなじころだったのでしょうかね?
こちらは、昨年3月出発分を一昨年の秋に申し込んでいて、アウトとなりました。
ヨルダンも良いですが、シリアの遺跡群が素晴らしいですよね〜。
hiroshi
2012/08/26 21:12
こんにちは、hiroshiさん。

Louisクルーズ初乗船ということで、hiroshiさんにいろいろ教えていただきながらシリア/レバノンクルーズ(2010年8月27-30日)へ行ってからちょうど2年が経ちました。レバノン侵攻やヒズボラの影響もあり情勢が不安定で観光客にも神経質だったのはレバノンの方でしたから、当時平穏だったシリアで騒乱が勃発したのは意外でした。たった一日港町を歩いただけの国とは言え、行って半年で情勢が一気に悪化しましたからどうなっていくのか気にかけておりましたが、このたびは日本人の方が残念なことになってしまいましたね。命懸け覚悟の取材でも無念だったことでしょう。山本さんのご冥福を祈らずにはいられません。
シリアに一日も早く平和が戻ることを切に願っています。そして、hiroshiさんがまたシリアの遺跡を訪れられる日を。

あのユーゴスラビアを一つにまとめていたチトー元帥のカリスマや手腕、今の日本のリーダーに欲しいですね。外交問題に関しては、小泉元首相やサッチャー英元首相のような毅然とした対応をとってもらいたいもの。竹島は長年韓国に実行支配を許してしまったことが問題を根深くしてしまっていますから、尖閣諸島はそうならないよう強い姿勢で挑んで欲しいと思っています。
かいり
2012/08/27 04:14
かいりさん、こんにちは。

そうですね。お乗りになったですよね。
羨ましく思ったのを、良く覚えています。といっても、あの時は、キプロス島に行ってみたくて。。。ヴェネツィア共和国ゆかりの島として、あの地へはまだ、行ったことがありません。行ってみたいですね〜。あちらも。
そういえば、ケファリニアとかザキントスとかクリミアとか、まだ行っていない、昔のヴェネツィア共和国領土の街は、指折り数えると両手両足でも足りないくらいですが。。。

あちらを航く船にも乗ってみたいです。エーゲ海であの会社の船に乗った時、結構、好きになりました。気楽で気軽で、あんな船も愉しいですよね。
かいりあんもお楽しみになったことと思います。

車、いかがですか?
いろいろと大変でらっしゃったと思いますが、もう一段落、なさったでしょうか? かくコメントを頂戴しているのだから、峠をお越えになったということでしょうね。

山本さん。
哀しい出来事でした。全身に、被弾した弾の破片が散っていたそうです。ご両親やご姉妹は、さぞやご無念であったことでしょう。おっしゃるとおり、かの地に一刻も早く平和が訪れてほしいものですね。

スロヴェニアは今回、初訪問でしたが、チトー大統領への敬慕の思いは、国民の方々になお、深く残っている、と感じました。おっしゃるとおり、稀有の政治家の一人であったのでしょうね。
hiroshi
2012/08/27 13:42
hiroshiさん

「ケファリニアとかザキントスとかクリミアとか、まだ行っていない、昔のヴェネツィア共和国領土の街は…」

hiroshiさんほどのヴェネツィア共和国への情熱と知識と興味と好奇心があったら…と心から思います(上の記事を読んでいても)。
ケファロニアとザキントスへは行ったことがあっても、写真を見て振り返らないときちんと思い出すことができない自分が情けないです。安いからと(11泊で2人合わせて$250弱)、現在はクルーズ事業をやっていないeasyクルーズで行きましたが、定員230人ほどの船に80名しか乗船しておらず、採算が合っていないのは明らかでしたね。クルーズの最後には全員で記念撮影もして楽しいクルーズでしたが、下調べもせずに行ったらイオニア諸島の島々が混ぜこぜになってしまいました。3〜40km歩いた島もありましたが、それすらどこだったのか…。クリミア(と言ってもヴェネツィア共和国とはあまり関係ないヤルタ)は今年行きましたから覚えていますが、こちらもオデッサの印象が強くてかき消され気味です。
hiroshiさんのブログに出会うまでヴェネツィアに何の興味も持てなかった自分が恨めしいですよ。

車のことをご心配いただきありがとうございます(苦笑)
満身創痍の車、なんとか公道を走らせるまでになりました。7月でしたか、hiroshiさんがイタリアに来られる時にドライブにお誘いしては?などと夫婦で話しておりましたが、お誘いするのも恥ずかしいポンコツ車になり、今では走らせるとヘンな音を奏でる個性の強い車になっております。事故は関係なくもう寿命のようですね。
かいり
2012/08/28 05:40
かいりさん、こんにちは。

えぇ〜
と、ちょっと驚きました。ザキントス島やケファロニア島へも行ってらっしゃるんですか!
それは、それは。
羨ましいです。
ヴェネツィア共和国領土であることもさりながら、海が素晴らしいらしいですね。あの辺りのイオニア海。

旅行雑誌のどれであったか? ちょっと忘れましたが、ザキントス島のビーチで、アニメ映画「紅の豚」の場面に出てくるような、難破船のある隠れたビーチの写真がしょうかいされていたことがありまして。。。

年甲斐もなく、「紅の豚」のマルコ・パゴット、ポルコ・ロッソの大ファンでありまして。。。20年ほど昔ですか?あのアニメが公開されたときに、ああいう風に人生を送れる、大きな男に、もうあと、20年ほど若かったら、ぜひぜひなってみたかった。。。などと。中年男←hiroshiメのことです←ながら、いたく感動した者でしたが。。。

そうですか?
イージー・クルーズは、あの島を巡るクルーズもやっていたのですか? クルーズ初心者のころ、ロードス島やピレウスであの船を何度か見まして。。。システムが合理的で、一度はのってみなくっちゃ、と思ったりしたものですが、良く調べないうちに、こうなっちゃって。。。

そうですか。立ち寄るクルーズ船は、ピレウスかドブロヴニクあたりから出る、マイナーな船しかないことは分かっているのですが、ぜひ、行ってみたいです。

車。「何とか。。」とか。
よかったですね。
わが家の愛車も、現在、17年目です。まだまだ動くので、壊れるまで乗り続けたいと思っています。そして、ドライブのお話、ありがとうございます。おことばだけ、嬉しくいただいておきます。来月は、レンタカーを借りました。あちら辺りは、車でないと無理ですね。
hiroshi
2012/08/28 14:06

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