潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 痛快、隠れ家。童心に帰り“秘密基地”、クルーズ船に。

<<   作成日時 : 2012/08/30 10:51   >>

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2012年6月2日、土曜日、夕刻。スロヴェニア、コペル港。
全員乗船〜All Aboard 〜午後5時45分。。。


画像



画像出発、離岸〜Departure〜午後6時、の予定をさかのぼること、およそ40分前に船に戻れました。通常、1時間前には帰船することを、クルーズ旅の際は原則としているのですが。。。この日は、ちょっと遅れました。

キャビンのベランダに出てみると。まだ続々とお仲間の乗船客たちが帰船中です。

画像同時に。

コペル旧市街の高台にある、先ほど、赤十字奉仕団の避難救助訓練を見学していた小広場やその広場下のクルーズ・ターミナル前には、見送りのコペルの人々が、次々に集まってきていました。
クルーズ船の寄港は、この街の港ではまだまだ数少なく、10万トンを超す大型客船の出港風景はやはり、ちょっとした見もの、なのでしょう。

画像ダイニングの定席、フィックスド・シーティング(Fixed Seating)は、こちら、午後6時、ファースト・シーティングなんですが。。。この日は、そのダイニング入りを諦めました。なんとなれば、お昼をご一緒したコペル在住のご夫妻が、我々の見送りを、とおっしゃっていたから。

画像せっかく見送っていただいているのに、姿を見せないのでは、いささか失礼です。

船から街を見下ろしてお二人を探してみると。
間近な場所で、お二人そろって手を振ってらっしゃる姿がすぐに見つかりました。
こちらも手を振りかえして。。。

画像「セレブリティ・シルエット」は、予定を5分ほど遅れて離岸。

サイドスラスターが海水をかき回して、ゆっくりと沖合へ平行移動。次の寄港地、スプリットへ向けて、238海里、およそ440キロの旅へ出発しました。


画像


画像

出港後、間もなく、南へ向かうこちらとは反対に、北上するコスタ船とすれ違った。ちょっと遠く、船名は確認できなかったが、船型と航路から、コスタ・クラシカだろうと思う。アドリア海でも最深部、東端のこの辺りはクルーズ船の少ないエリアで、コペルへ寄港するか、トリエステに向かう船以外はあまり遊よくしていないはずだ。

コペルでは、むしむしと蒸し暑かったが、終始雲は出ていた。しかし、夕方も遅くなった時間帯から、次第に雲は消えていき、サンセットの午後8時半ごろから、きれいな夕焼けが観られた。


画像



画像コペルの人々の姿がはるか遠く、ほぼ見えなくなったところで腕時計をのぞくと。。。

午後6時40分ちょっと前。予想通り、わがアサインド・ダイニング・タイム(Assinged dining time)から30分以内のルールをとっくに過ぎており、入室不可能。

で。
夕食としては初めて、デッキ14のブッフェ、「オーシャンビュー・カフェ」へ。「寿司セレクション」と名付けられた寿司のコーナーへ向かいました。

言っちゃぁ、なんですが。。。

大きな声で言えませんが。。。

画像所詮、日本船でもなければ、ラグジュアリー・クラスの船でもない、お寿司。です。
味は。。。これまでに乗ったセレブリティの船の中では、ほぼ最低。。。といってもいいほどのレベルでした。

結構「いける」、と思った、ミレニアム・クラスの船も、以前に乗った中にはあったんですけれども、ね〜〜。

ま。
異動で調理場スタッフが入れ替わって、作り手がチェンジするのを待つしか手はありませんね。
。。。もう一度、この船に乗るかどうか、わかりませんが。。。


画像



画像食事のあと。

乗船以来この夜まで毎夜、遅くまで飲み続けているもので。。。

この日は、静かにおとなしくしようと、バーはいかず、ショーも見ず。
エレベーターが上下する吹き抜け空間に面して10デッキ+11デッキの上下2フロアをつないだ図書室へ。

画像お、ジャック・ライアン・シリーズで大ファンになったトム・クランシーは新作を出したのか。なになに? Against All Enemies だって? 翻訳版は日本でまだ出てないんじゃないのか。原文の小説なんて読めな〜い。
はやく翻訳版、出してぇ〜。

などと、蔵書をみて回るうちに。

こちらの図書室でも、日本語の本、およそ10冊ほどを見つけました。
いずれも、背ラベルはなく、分類票もなし。ということは、先に乗った日本人客が寄贈したか、キャビンに忘れていったモノをこちらに集めたか。。。

画像カラー写真ならば、英語も日本語も関係なしですから。アドリア海沿岸諸都市の観光案内書、何冊かをパラパラっとめくって。。。

入り口のドア横に、こちらでも、数独やクロスワード・パズルなどの日替わりパズルが、図書室で毎日プリントアウトされていました。


画像



そのパズルを持って。

居心地良かったのが、こちら 、この空間でした。

乗船以来、近くを通った時に目撃して、おもしろそうではないか。
こちらでちょっとのんびりしてみたいと思い続けていました。

名前は、ザ・ハイダウェイ(The Hideaway)。

セレブリティ・ソルスティス・クラスの先行3船の中にはなかった、子供心に帰ったような、ちょっと面白い空間。

同じ吹き抜け空間のデッキ7+デッキ8、2フロアを結んで。文字通り“隠れ家”、です。

壁の中に穴倉があったり。
樹に見立てた高さおよそ2メートルほどの台上に、ターザンの家のような、鳥の巣のようなゲージ小屋が設けられていたり。
砂糖、ミルク、などを添えたコーヒーメーカーとスタンドが置かれ、小さなキャンディーもそろって。


画像。。。子供のころ。

悪がきたちを集めて隣の町内の同じ悪がきたちとチャンバラや戦争ごっこで優劣を競った、なかなか出来の良いガキ大将が、我が町内におりました。

彼は、当時、小学校の6年生。統率力もあり、喧嘩も強く、頭もよく、かっこよく。。。

こちらは、小学2年生でした。
彼に声をかけられて、その悪童たちの集団に選別、許可されてガキ集団に“入団”することが、その当時のこちら、の夢でした。

その悪がき集団の最大の魅力は。。。

町内の、その当時からさかのぼってつい先、4〜5年ほど前の太平洋戦争の空襲で。

焼け落ちてコンクリートの基礎だけとなった、コンクリート塀で囲まれた廃工場跡の、放置されたままの広い敷地の奥深くに。
大人たちに秘密で。敷地の焼け跡から拾い集めた材木片やトタン板などを組み合わせて、隠れ家というか、“秘密基地”を作っていたのです。


画像秘密基地。

仲間に加わった後、知ることになるのですが。
なんてことはない、ただのたまり場、に過ぎなかったのですが。。。

自分たちの大切なマンガ本や遊び道具、大人たちに見とがめられるに違いない、親父たちのちょっとエッチな。。。

といっても、現代の底抜けにあけすけなインターネット時代のその分野から見れば、比較にならないほどつつましいものですが。。。

エッチな小説本などを密かに持ち込んで回し読みしたり。。。

きっと、大人たちの監視の目から逃れられる、自分たちの空間を持つことだけで、楽しかったのだと思います。

“秘密基地”は、遊び終わったら、材料を基礎のコンクリートの陰に隠すなど、大人たちに見つからないように、しっかり知恵と工夫を働かせて、維持されていました。

画像幼い子供は、その秘密基地の仲間に加えてもらえなかったのですが、自分は、なんとか、あの中を見せて欲しかった。。。

で。
子供心に。
「これは、ガキ大将に貢物をして、ふところ深く飛び込んだ方が、仲間に入れてもらえる近道だ」と。こう考えたんですね。

誰に聞くともなく。7〜8歳にして早くも、賄賂の効能を理解していたんですなぁ〜。

画像で。
手近にあって、簡単に入手できて、ガキ大将が欲しがるに違いないほど高価なモノ。。。

何が良いか。何かないか。
そう、考え続けていたある日。

洗面台の、父親の歯ブラシやクシ、髭剃り道具の入った棚で。ジレットの髭剃りの、当時の日本ではなかなか入手し難かった、炭素鋼の剃刀の両替え刃入りの小箱の束を見つけた。

電気シェーバーや使い捨てT字型髭剃りが全盛の現在、若い人たちはご存じないでしょうが。。。
戦後〜昭和30年代に入るころまでは、レザーにとって代わった、ジレットの安全剃刀こそ、最新鋭の髭剃り器であったのです。

そして。
その剃刀の替え刃も、終戦直後、焼け跡闇市全盛のこの時代は大変な貴重品で、なかなか高価でした。

で。
その替え刃の小箱。

現在の、ホッチキスの針ボックスくらいの大きさで、中には、替え刃10枚くらい入っていたのか、20枚ほどだったのか。細かなことは、今ではすっかり忘れましたが、油紙に一枚づつキレイに包まれて、美しく入っていたのは、しっかり覚えています。

父親の棚に、そんな小箱が十数箱も並んでいた。


画像きっと、親父は、モノのない当時。将来を見越して、無理して大量に買い込んで、大切にしまっていたのでしょう。

対するこちらは、「こんなにいっぱいあるのだから、一箱くらいなら消えてなくなっても親父は気づかないだろう」と。こっそり、ひと箱だけを抜き出して、ガキ大将に貢いだ。

ガキ大将は、オオモノだったですね。
その貴重な剃刀の刃を、自分だけで独り占めには、しなかった。

すぐにこちらを、最年少の“秘密基地の組員”に迎え入れてくれると同時に。
箱から剃刀刃を抜き出して、秘密基地の仲間たちに山分けした。。。

こちらは、そのガキ大将の集団の一員として受け入れられて、念願だった“秘密基地”への出入りも許されて、わずか2年生なのに、どうだ、みたか。羨ましいか。まだ幼くて仲間に入れてもらえない同級生の2年生たち、諸君、と。。。
しばらくは興奮、感動の日々でした。


画像が。

数日後。
学校から自宅に帰ってきて。

親父に、詰問されました。
「剃刀の刃、どうした!」と。

一瞬、何故、ばれたのか、と驚愕。
そして、なんとか嘘や誤魔化しで、この難問を潜り抜けられないか。。。
同時に。
「なんだ、親父もケチだな。もっと金持ちだと思っていたのに」と。
さらに加えて「あんなにいっぱいあったのに。どうしてたった一箱だけ、無くなったのがわかったのか?」。。。

何度も書きますが。。。
剃刀の刃は、当時は貴重品でした。
まだ配給制で米やタバコや食べ物が配られていた時代です。

きっと。
秘密基地の仲間の子供たちの誰かが、闇市に持ち込んでなにがしかの食い物と交換したか。。。
好きな自分の父親に認められたくて、そんな貴重品を手に入れてきた自分を褒めて欲しくて、父親にプレゼントした。それで、大人たちにばれた、に違いない。。。

そう、想像もしました。


画像そして。
親父のあまりの剣幕に。
かろうじてウソや誤魔化しをせず、「自分がもらって近所の子供たちにくれてやった」と。ホントのことを白状したのですが。。。

父親に、思いっきり、ひっぱたかれました。後ろにすっとんで、倒れ伏したほど、でした。
叩かれた手のひらの跡は、その後、1週間ほど、左頬にくっきりと残り続けたほど強く、強く。

自分が悪いと知っていましたから、泣きませんでした。
涙があふれて、頬を伝って流れ落ちましたけれども。。。堪えました。

先にも後にも、親父からひっぱたかれたのは、あれ1回だけです。。。

後日。
といっても、それから数年後、こちらが中学生になったっころ。

母親から教えられて知ったのですが。。。

剃刀の刃を裸で持ち歩いている子供たちが町内に何人かいる、と、大人たちの間で大問題になったのだそうです。

考えてみれば当たり前ですよね。
あんな危険なモノ、小学生たち何人かが、こっそりと持ち歩いていたのですから。
出入り間近なヤクザの集団じゃあ、あるまいし。


画像事件当時。
大人たちは、危険だと、剃刀を持つ子供たちや持っていない子供たちを含めて、町内の子供たちを芋づる式に調べ始めて。。。さすが、オオモノのガキ大将は、貰った相手は誰なのか、ひた隠しに隠したそうで。。。

一応、こちらは低学年であるとともに、ちょっと成績もよい。。。ま、たいしたことはありませんが。。。町内の模範児童でもあったもので。

まさか、あの家のあの子が。。。ということで、こちらへの聞き取り調査も事情聴取も、最後までなかったのです。

いえ、そんな調査をしていること事態、当時、つゆほども知らなかった、です。。。

ところが、ところが。
不純な動機で、替え刃を持ち出して子供たちに配った一番の悪ガキは、こちら、自分の息子だった。。。


父親があんなにも激怒したのは、よほど高いもので、それがなくなったから怒ったのだと当初は思っていたのですが。。。

子供たちを危険の渦に巻き込んだ張本人の悪ガキが、わが息子であった。
そのことにショックを受け、いたたまれないほどの思いになったのだと。。。
きっと。
情けなかったでしょうね。こちら、悪ガキの息子にも、そういう子育てをしてしまった父親、自分自身にも。

当時は。

これも知らなかったのですが。。。
親父は、ご近所の、関わる子供たちの父親たちの元へ、深く頭を下げて、謝罪行脚した、そうです。

本人、親父は、その後、何も言わなかったのですが。。。
事件から5年ほど経ったころに母親から教えられて、ようやく知ったのでした。


画像“秘密基地”ですか?

事件を契機に、その存在も大人たちの知るところとなって。
「こんなたまり場は非行少年の温床となり、将来、犯罪を生む」と、すぐに撤去されてしまいました。

廃工場跡地も出入り口が封鎖されて立ち入り禁止となり、そのうち、住宅団地として再開発、造成されて、やがて市街地の中に消えて行きました。

。。。というワケで。
“秘密基地”とか隠れ家は、なんとなく、心ときめく のです。そこはかとない罪悪感とともに、昔を思い出して。。。

キャビンでゆっくり寛ぐのも良いですが、時折、キャビン・アテンダントが清掃などにのぞいたりして、心理的に、結構、うるさい、と感じる時、ってあるではないですか。

で。
「ハイダウェイ」の居心地は、乗船期間中、なかなか魅惑的でした。


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コメント(12件)

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hiroshiさん コンニチワ~~

まだ続く暑さに朦朧と〜〜 そして耐えられずに、エアコン 「ON」 足の冷えに悩むなんて贅沢ですが〜〜

さて、楽しい秘密基地と片刃?剃刀のお話! 凄く楽しい読み物でした!!
あれでエンピツ削ったものです。貴重な品です!!

お父さん流石です。 バシって、踏ん張って泣かなかったんですねエ〜〜 一発の効果スゴイ!!

楽しい一角でクルーズのひそかな楽しみが〜〜  

お寿司はキトキトの地のお二人ですから、それはお口に合わないですよね〜 
洋食に飽きたら、口直し位のものでしょうか? 
何時も、しじみの味噌汁だけは持参します。ワカメも〜
生き返りますよ〜〜 うふふ  
たえこ
2012/08/30 16:14
たえこさん、こんばんは。

8月はもう終わりですが。。。相変わらず暑いですね〜。
そちらも暑さ、厳しいようですね。こちらも同じです。エアコンは働きっ放しです。

隠れ家という、思いもしなかった設備がシルエットにあったもので、昔むかしの、恥ずかしい話を想い出してしまいました。

身内のことをなんですが。。。昔の親父たち、つまり明治生まれのオトコたちは、最近の、hiroshiメを含めた昭和世代の大人たちよりも、骨がありましたですね。ぺらぺら、いらぬことをしゃべらないかわりに、しっかりと、やるべきことは、きっぱりとやっていた。そんな気がします。

いつか書いたことがありますが。。。
冥土へ行ったら、父親からどやしつけられるような気がします。

>お寿司は

はい、ああなかったですね。今回は。
いつかお話しましたが、セレブリティには、日本ほどではないけれども、比較的にまずまず、という感じの船もあったですよね〜。

そういえば。
今度お乗りになるキュナードは、どんなでしょかね? お寿司は。お帰りになったら、ぜひぜひ、お聞かせくださいね〜。楽しみです

hiroshi
2012/08/30 19:44
hiroshiさん

クルーズ船で出会った秘密基地で童心に帰る、そんな経験を私もしてみたいです。
お父上のエピソードに昔の人の愛情を感じました。引っぱたいたお父様も心の中で泣いていたことでしょう。私の養父は大正生まれでしたが、明治大正の人(戦場へ行った世代)には現代人とは違った威厳や気骨がありましたね。滅多に叱られることはありませんでしたが、それでも怖かったです。今となってはいい思い出ですが…。

SUSHI(「寿司」とは別物)で充分な私は酢飯と海苔とわさびがあればそれだけで嬉しいです。味覚音痴もたまにはいいもので、味の評判が悪い国での食生活も平気、クルーズ船で出るお寿司(Oh!Sushi)も大いに楽しめます。野菜だけのSUSHIもOK、ただ一度どうにもダメだったのがエメラルド・プリンセスの半おかゆのSUSHI(魚ナシ)で、どうやったらこれほど不味くできるのかと不思議に思ったものです。
かいり
2012/09/01 05:25
かいりさん、

>SUSHI(「寿司」とは別物)で充分な私は酢飯と海苔とわさびがあればそれだけで嬉しいです

おっほっほ。
基本的に、まったく同感です。

だから、こちらも、この後も、何回も行きました。あの「SUSHI」を食べに。

ただ、きっと、かいりさんと感覚的にちょっと違いがあるとすれば、やっぱり、外国にすんでらっしゃるお立場と、日本国内にいる、というこちらの立ち場の違いでしょうか?

1週間や2週間+α程度の寿司のない生活ならば、こちらは耐えられるから、ちょっと贅沢に反応するのでしょうね。寿司の味に。2カ月も3カ月も外国にいるとすれば、かいりさん以上に、あの、これまで乗ったクルーズ船のそれとしては最低ランクに近い寿司にも、欣喜雀躍していたと思います。

父親の話。
つまらぬ個人的な思い出を書いちゃったですが。。。

きっと、死期が近づきつつあることを、こちらは本能的に感じているのでしょうね。このブログを、旅の思い出の書き残しと同時に、これまで生きてきて、内心、忸怩たる人生の失敗談の懺悔と謝罪の場としても利用しているんでしょうね。恥ずかしいようなプライベートな話を、こんな場に書き込んでいるのは、ネットの匿名性の上に乗っかって、安易ながら、ごめん、などの言葉とエクスキューズを臆面もなく、行っているのではなかろうかと。
hiroshi
2012/09/01 12:59
〜上から続く〜

このような思い出談義のブログを書き終わった後、肩の荷を一つ下ろしたような気分になりますから、心理的にはそういう状態に近いのではなかろうかと、最近、良く思います。

そうですね。
明治、大正生まれ世代は、そういう意味では、現代のひ弱な親父種族よりも格段に「おとこ」であったのだと思います。
最近、時折、懐かしく、父親や祖父ら、彼らの言動を思い出すことが多いです。これも、いよいよ、命短しと悟り始めてのあがきなのかもしれません。
hiroshi
2012/09/01 13:00
非常に上質なワインを頂いた後の気持ち。随筆を読ませて頂いて、暫く余韻を楽しませて頂きました。言葉にされなかったお父様、ふんばって、耐えたhiroshiさん。大人も子供もみんなが分別有る、善き時代だったんですね。船の中の秘密基地。ワクワクです。私も近所の子と作りました。辺りのガキ大将だったので。秘密基地とか、ここにしか咲かない花とかの情報を、仲間とだけ分かち合うって、なんだか楽しいんですよね。狭ーい場所につるんて。

お寿司、海外に出た途端、私のボーダーライン思いっきり下がります。もう、お米が酢飯ならOKぐらい。日本人だと、やっぱり、セレニティのお寿司がベストなのかなあ。私は、きっと、乗る事もないと思いますが。hiroshiさんは、沢山のお船でお寿司を召し上がってらっしゃるので、きちんとボーダーラインがお有りになられますよね。やっぱり、お寿司は大切です。
murmur1
2012/09/01 14:23
murmur1さん、こんばんは。

ごめんなさいね〜。
お書き込みいただいた時間を拝見すると、その直前に家を空けまして。。。お返事、遅れました。

ワインにお譬えいただいはお話。ちょっと尻がむず痒い、です。
そんな風におっしゃっていただくと、非常に恥ずかしい。


一種の懺悔、なのでしょうね。

おのれが何者で、どれほどの人間であり、取るに足らぬ人物であるのか、などをご存じの、そういう方々の前で“白状”するのが面映ゆいから、こちらをチラッともご存じのない、不特定多数の世間さまの前で、読まれようが読んでもらえまいが、書き殴って罪の意識から逃れようとする、ちょっと「知能犯的」なブログの利用の仕方??なのかもしれません。

こちらにとって、きっと一種のカタルシスなのだと思います。心理的に。どこの何者なのかわかりもしないネット上で書き連ねて安易に、死にゆく前の精神的浄化をしおうとしている、ずるい行動なのかも。。。

しかし、それでいいんだと思っています。気持ちが軽くなりますからね。懺悔まがいの、こんなブログ程度ですが。。。
hiroshi
2012/09/01 21:24
〜上から続く〜

murmur1さんは、感性豊かな方でらっしゃいますから、なんとなくご想像いただけるのではなかろうか?と。
齢を重ねながら生き続けてくると、人生、やっぱり、ああ、あの時になぜ、あんな馬鹿なことをしたのだろうかと。悔いることも結構あるんですよ。
いや、ひょっとすると、そんなアホは、hiroshiメだけですかね〜。

そうですか?
先生もガキ大将でらっしゃった?
うん、多分、そうであられた、とわかります。ブログを拝見していて。
頭が良く、リーダーとしての資質に恵まれ、ご友人の皆さんから尊敬されてらっしゃったんですね。

話はかわりますが。。。
「紅の豚」の舞台。ドブロヴニクがその一つであったことは、名前でわかりますが、ポルコのアジトとかホテル・アドリアーノとかは、アドリア海のどちら辺りであったのか、ご存じですか?

もしご存じでしたら、教えて欲しいです。
自分は、今回初めてスプリットに停泊して、あの辺りではなかったのかと。。。ご存じだとお見mすが、フバルからスプリットはフェリーで1時間ほど、同じ郡内というか、地域内には素敵な島が目白押しだし、トロギールやヴィズなど魅惑的な街もいっぱいありますし。

どうなんでしょうね〜。
hiroshi
2012/09/01 21:25
再びこんばんは、です。

>こちらをチラッともご存じのない、不特定多数
確かにPCの向こう側は見えないけれど、でも文字で伝わって来る物って有ります。それも、何年も読ませて頂いているブログでしたら、顔が見えなくても、書き手のお人柄とか、考え方とかチャンと伝わって来ると思うんです。hiroshiさんのブログを読まれている方は、皆、hiroshiさんをとっても近くに感じている人ばかりではないでしょうか?うふふ。
私も、勝手にhiroshiさんの足元でまとわりついている気分でおりまする。カタルシス効果、多いに結構な事ではないですか〜〜。

あ、ガキ大将なのばれてましたか〜〜。私のは、ただ皆を振り回していただけです。全く尊敬されてませんです。懺悔と言えば、とびきりの奴が私も有って。中学生の時に、缶蹴りで逃げる時に、近くの大きなお家の作業場の大切な物を置いてある小屋の天井をぶち抜いちゃった事が有って。正確に言うと、その立派な小屋の屋根を走り抜ける時に、屋根に足で穴をあけてしまって小屋のどまん中に、ズボッと落ちたんです。親に言ったら謝りに行って、小屋の修理費と、小屋の中の物で駄目になった物を当然弁償するのが当たり前なのを知っていて、とうとう両親には言えませんでした。私が大学一年生になって、そのお家のおばあちゃまが亡くなったお通夜で、母は初めて知って。。。その大きなご商売をなさっているお家の方は、私が犯人だって絶対に分かっていたはずなのに、仰られる事もなく、そっと屋根を直されてました。2日後にソ〜っと皆で覗きに行って分かりました。。私、hiroshiさんの今回の記事を読んでこの事をすぐに思い出しちゃいました。

私もここで懺悔しちゃいました。恥ずかしい限りです。。

murmur1
2012/09/01 22:37
紅の豚。私もホテルアドリアーノとか、どの当たりなのか一寸調べた事が有るのですが知らないのです。
でも、ポルコのあの飛行する時の陸地の見え方はスプリット周辺だとの意見が多い様です。飛行機から見るスプリットの空港周辺の入り江とそっくりだと、言われていますが、でも宮崎駿監督の談ではないのでわからないんです〜〜。ってこのくらいの情報はhiroshiさんの方がよっぽど早くキャッチ済みだと思いますです。駄情報で済みません。うぁ〜〜ん。
murmur1
2012/09/01 22:39
murmur1さん、

またまた、コメント、ありがとございます。

そうですね。
確かに、そんあこともあるかもしれません。

>PCの向こう側は見えないけれど、でも文字で伝わって来る物

murmur1さんのブログを拝見していて、そう思うことが結構あります。

ご本人を目の前にこういうことを書くと、昔の植木等の「♪ゴマをすりましょ、ゴマをね♪」の、あの歌のごとくのように見えてなんですが。明るく楽しいですものね〜。murmur1さんのブログ記事。親しみ易いし、勉強にもなるし。hiroshiメのように、抱え込んで耐えて死んでいくのが普通でなければいけない個人的な「懺悔」を書き飛ばして、心の負い目から逃げ出そうという狡い、狡猾なブログの使い方などとは無縁でらっしゃいますし。

拝見し終わって、ほんわかと心が温まった思いになるブログは、ネット上でもあまり見られないですものね〜。
hiroshi
2012/09/01 23:36
〜上から続く〜

「紅の豚」、やっぱり、そうなんですか。

いえいえ、知りません。
あれの原作というか、原本というか、飛行艇時代、だったですか? あれを、ある方からお借りして見せてもらったことがあるんですが、もちろん、その謎の解き明かしにつながる記述はなかったですね。

もちろんネットで調べたこともあるのですが、オーストラリアとかアジアの、なんという名前だったかな、度忘れしましたが、そちらがモデルだとか、いろいろとありますが、話の中身から言って、やっぱり、アドリア海のどこか以外であるわけは絶対にないと思いますし。。。

今回のクルーズで、実は、教えていただいたフヴァルへ行ってこようかなと一度は考えたこともあるのですが。。。スプリットから高速フェリーでおよそ1時間で行けることも調べて分かったのですが、時刻表がこちらの希望と合致しなかった(スプリットに戻るのは、船の出港ギリギリになりそうな具合だった)ので、止めました。スプリットも見たかったし、フヴァルも行きたかったし。
機会があれば。。。ありますかね〜??
本人は、もう少し、元気で遊び歩けると思いたがっていますもので。。。
。。。機会があれば、陸旅で行きたいです。いつの日か。

murmur1さんの懺悔、というか失敗談というか。屋根の踏み破り事件。可愛いですね。懺悔なんて、お感じにおなりになる必要は全くないのでは?
人を欺いたり、だましたり、盗んだり、恫喝したり。。。hiroshiメが罪悪感を感じるのは、そういう、人間としてあるまじきことを、この、自分自身もやってきたではないか、という、おのれへの嫌悪の思いです。上に書いたように、嫌なヤツ、だということ。
冥土へいけても、天国には行けないですよね。覚悟済みですが。。。
hiroshi
2012/09/01 23:37

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