潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 目覚まし3つセットして。世界一美しいコトル湾撮影。

<<   作成日時 : 2012/11/23 16:39   >>

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6月5日、火曜日。午前5時ちょっと過ぎ。


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↑ 「セレブリティ・シルエット」のリド・デッキから、コトル湾の30前後のかわいい街や村のうち、見どころの一つ、下段の地図のうち、番号G、ペラスト(Perast)の街を見下ろす乗船客たち。


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ペラストは、コトル湾中央付近の狭い海峡Eを通り過ぎて、地図番号Iのコトル=↑写真はコトルの町はずれの街道沿いの光景=に向かう時、その曲がり角の正面Gにある、ベネチアン様式の中世の街の姿をとどめる、美しい街。沖合に、絵のようにかわいい、小さな教会を置く二つの島の光景が著名。

↑の2枚を含め、以下の画像は、コトル湾を行くクルーズ船の最上階デッキで撮った写真の中からピックアップした、わたくしメ、気に入りのそれ、であります。



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↑コトル湾でも、アドリア海に近い、地図番号Cのデノヴィチ(Djenovici)の街付近を行く。

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↑コトルに近い、地図番号H、リュウタ(Ljuta)の村の街道沿いの家並み。 

前夜にセットした目覚まし時計のうち、枕元に置いた、愛用の3つめの目覚まし時計が、派手に電子音を鳴り響かせました。

そうなんです。
船のモーニングコールをトップバッターに、およそ3分おき、くらいに目覚ましをセットして、3個目でようやく起きられるほどの朝寝坊人間なのです。もっと若いころは、4個必要でしたが。。。

で。
望みどおり。この朝は何とか起きられました。

船内新聞によれば、日の出は午前5時14分。
まだ夜明け前ですが、カーテンを開けると、曇ってはいますが、空はうっすらと白み始めていました。


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↑コトル湾=上写真及び左地図。
バードアイで眺めると、マッコウクジラがアドリア海に向かって今にも飛び出そうとしている風情に見えるのは、こちらだけであろうか。

夏場、ヨーロッパの人々のリゾートエリアとなる湾内は、複雑に入り組んで、張り出した岬によって大まかに4つに区切られている。南西側、つまり地図で左端がヘルツェグ・ノヴィ湾。その右、南東側はティヴァト湾。北西側、左上奥はリサン湾、その右、北東側が小コトル湾。奥の方は、ユネスコの世界遺産「コトルの自然と文化歴史地域」に指定されている。手前の湾も、モンネグロの国立公園だ。

全体を総称として呼ぶ「コトル湾」は、中世、15世紀初めから18世紀末まで、ヴェネツィア共和国領であった。短期間、北部はトルコ領、南部はヴェネツィア共和国領であった時代もあるが、当時、この湾一帯は「アルバニア・ヴェネタ」と呼ばれた。

湾の水域面積は87平方キロメートル。山手線の内側に、浅草から川下の隅田川右岸域をプラスしたほどの面積にほぼ等しい、という。結構広い。湾の入り口から最奥部の街、コトルまでは、およそ15海里だそうだ。


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画像↑ 地図番号G、ペラスト近くにある美しい礼拝堂がある「聖母の岩」と呼ばれる小さな島。

隣接して、聖ゲオルギオス島という小さな島と、一つの小さな教会がある。

この聖ゲオルギオス島に隣接したペラストは、ヴェネツィア領、アルバニア・ヴェネタが、本国滅亡から遅れること100日、1797年8月22日に降参。ヴェネツィア共和国が地球上から消えていった最後の街として知られる。

画像そしてこの日。

この街、ペラストのカウント・ジュゼッペ・ヴィスコヴィッティ(Count Giuseppe Viscovich)総督は、ヴェネツィア共和国の象徴である←聖マルコ旗を、聖ジョージ島の教会の祭壇の下に埋め、集まった街の人々は、涙を流しながらそれを見守ったという。

そういう伝説で知られ、現在、その哀しい歌「Perasto 1797 」が作曲されて今も残る、現在ではコトル湾の主観光名所の一つでもある。




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作家塩野七生氏の小説「海の都の物語・ヴェネツィア共和国の一千年」の第九話「聖地巡礼パック旅行」という一章がある。

フィレンツェでルネッサンス文化花盛りのころの1480年、ミラノ公国の、35歳の若き官吏、サント・ブラスカが書き残した旅行時の日記を基に、彼女が翻訳、旅を再現して見せてくれた、いうなれば、ノン・フィクションを土台とした小説である。

画像出発は、4月29日。ミラノからパヴィア、パヴィアからポー川を下ってキオッジャを経由し、当時、海洋国家でもある、都市国家マルセイユとともに唯一、今風に言えば“聖地巡礼パック”旅を“企画”していた同じ都市国家であるヴェネツィア共和国入り。
次いで、ヴェネツィアのガレー船「コンタリーナ号」で聖地イエルサレムへの半年間の旅をする物語である。

途中、嵐あり、風がなく帆を張っても船が進まない停滞の日あり、キリスト教を信仰するヨーロッパ諸国と敵対していたトルコ軍との遭遇あり、キプロス島で熱病に侵されて巡礼仲間二人が死亡するなどと、この時代の“情勢”の中で、波瀾万丈の旅を続ける、血沸き肉躍るドラマである。


画像その小説の中で。。。

『6月21日、夜明け前に、全員ラグーザ(=ドブロヴニク)に停泊中の船に集合する。絶好の西風が吹いている。ラグーザを後にして風はますます強く、中央の帆柱に大旗をあげただけで、カッタロ(=コトル)、ブドュア(=ブドヴァ)、アンッティバリの町々の沖を、船は矢のような速さで進んだ』。

などと。
このあたり、ラグーザ(ドブロブニク)からコトル、プドヴァ、コルフ島あたりのことも描かれている。
旅は、今のご時世ならば、さしずめ「アドリア海・エーゲ海・地中海クルーズ」とでも、いえようか。クルーズ旅を知ってから再度読み直してみると。クルーズファンの一人として、面白さは格別。以前のヴェネツィアファン時代だった時に読んだよりも、船のことが多少わかって、一段と面白かった。

というわけで。

以前から、船でこの湾に入ってみたい、と思い続けてきた。
今回、柄に似合わぬ早起きをした、動機の一つである。

同時に。今回、このクルーズ船の旅を選んだ最大の動機はまた、ベネツィア共和国時代のゆかりの街へ寄港する、このコースが気に入ったこと。特に、この湾を船で行くのがたまらなく魅力であった。



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↑目覚めて最上階デッキへ上がったら、「セレブリティ・シルエット」はアドリア海から左舷方向へ船首を振り、コトル湾への狭い入口の水路へ真正面に向かい始めたところだった。時間は、午前5時31分。


以下。
撮影した写真を順番に、時間軸を追って置き並べます。

ドブロヴニクを前日夕刻、午後7時過ぎに離れた「セレブリティ・シルエット」は、“ヨーロッパ最南端のフィヨルド”とも、“世界一美しい湾”とも呼ばれる、モンテネグロ・コトル湾の、アドリア海からの、とば口にさしかかっていました。

。。。と書いた後。本日、11月29日正午過ぎ、注釈文を以下のごとく追加、挿入しました。
コトル湾は、正確には「フィヨルド」ではありません。ヨーロッパの人々の間でそう言われている、と書いただけですので、誤解いただきませんように。こちら、地理学的には、正確には「リアス式海岸」です。また、「世界一美しい」も、地元の方々がそう表現する、というだけであって、正確ではありません。そういう公式な判定団体も、地球上にはありません。次回で、若干、その部分も触れてありますので、ご参考にどうぞ。
ありがとう。上記文は誤解を招くと指摘してくれた古くからの友人に感謝。です。


船内新聞によるとドブロヴニクからの距離は「49海里」、およそ90キロ。「シルエット」は、およそ10時間かけて、ゆっくりとこの湾へ近づいた計算になります。

海からコトル湾を眺めるのは、初めてです。


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↑ 左舷側、北西、ドブロヴニク方向。陸地はまだ、白み始めたばかりで、雲の多い空も影響して海はまだ暗い。

で。
普段は、遅寝遅起き派。
子供のころから親に酸っぱく言われた、勤勉さの基準でもある、日本人としての基本的な生活規範「三文の得」とは、酒を覚えた学生時代、さらに、それに続く“身すぎ世すぎ ”の仕事の影響で 「早起き」とは何十年も縁遠く。

リタイアした現在も、世間さまから顰蹙を買うことの多い自堕落な生活パターンを、習慣として引きずっているため。目覚ましを3個もセットして、この朝は何とか。ようやく目覚めることが出来、ベッドから抜け出せました。

連れ合い、相棒は、昔は典型的な「三文の得」派であったのですが。
こちらの影響で無理やり派閥チェンジさせられて。以来、すっかりそれが習慣となり、3個の目覚ましが高々と鳴り続けても、布団を頭からかぶって眠り続けていました。

「コトル湾を見たいとの自覚が足りないではないか!」と。心の内だけで小さく叱りつけて。。。ホントに口にしたら、家庭争議に発展しかねませんから。お〜こわこわ〜。


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↑ 右舷側、コトル湾の街と同じく、かつてはヴェネツィア共和国領土であったっ中世の面影が魅惑的な街ブドヴァ、島全体が立ち入り禁止、観光客専用の高級リゾートホテル群となっている世界でも珍しい島、スヴェティステファン島方向。晴れていれば小さく見えるハズだと思っていたが、朝まだ早いために暗く、どちらの街も見えない。


キャビンからだと、眺めとしては“二線級”の光景である右舷側しか見えないもので、カメラ2台、交換レンズを抱えて、彼女を起こさないように、静かにこっそりとドアを開けて、最上階デッキへと向かいました。

船首部最上階デッキに着いたのは、腕時計を見ると午前5時30分ちょうど。

やっぱり、写真の好きな方、世界一と評される景観を見たい方、は、結構、船に乗ってらっしゃったんですね。
船首部左舷には、もう、20〜30人くらいの方々が、ウィンドブレーカーやパーカー、ジャンパーなどを羽織って、カメラを手に集ってらっしゃいました。


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↑↓ 地図番号で@、コトル湾への入り口の北西側、クロアチア領の、プリブラカ(Prevlaka)半島の先端の細い岬、オルスト(Oštro)岬の、プリブラカ要塞。15世紀初め、ラグーザ共和国が使い始めたのを筆頭に、20世紀初頭までこの地を争奪したさまざまな国々が占拠してきて、現在はクロアチアが管理している。クロアチア本土の最南端。

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ということで。
こちらの湾では、数えてみると、およそ700枚ほど。
最後の画像の撮影時間は、EXIF情報では午前7時41分になっていますから、計2時間あまり、撮り続けた計算ですか。1分間に6枚ほど。10秒ごとに1枚、撮影していた、ということになりますか。

コトル湾最奥部のコトルの旧市街の沖合に錨泊したのは、最後の1枚のシャッターを押した時間で午前7時41分。最初の写真からちょうど130分後。でした。

ちょっと写真の量が多いもので。

手前勝手な『覚え書』であるため。
万が一。つぶさにみてやろうかという、そういう方々がいらっしゃったとしたら、うるさいだけでご迷惑をおかけするのを承知で。コトルの街の沖合へ錨泊するまでの間の写真を、2回に分けて載せます。
 
自分で言うのも変ですが。。。
しかも。
ナマクラなのか、それともずる賢いのか? 自分でも判然としませんが、最後になってからで恐縮ですが、どうぞ、パスしてください。良い写真は、ホンの5〜6枚ほどしかありませんでした。次回も、どこからどう見ても、冷静に判断すれば、見るに値しない、旅日記です。

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↑ コトル湾入り口の水路に浮かぶマムーラ(Mamula)要塞島。オーストリア・ハンガリー二重帝国 によって建てられた。要塞は、第二次世界大戦中 、イタリアの刑務所として使用され、囚人への拷問に使われていたことで知られる。島は円形状で、直径は200メートル。 近くの街ヘルツェグノヴィ(Herceg Novi)から3.4海里(6.3キロ)離れている。

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↑ 写真番号Bのヘルツエグノヴィの街。以下、C番のデノヴィチ(Denovici)、D番のバオシチ(Baosici)などの街並みを。背後の2,000メートル級近い山脈の急斜面に中世の街々は張り付いて、北欧や北米のフィヨルドとはひと味違った見ごたえある景観が楽しめる。また、正教会とカトリックの教会が湾内には目白押しで、それぞれ、青い水面や緑の山並みに映えて美しい。


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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
わっつはっは〜〜。
三つ使われますか、素晴しい。
良いなあ、そのくらい、深睡眠が朝まで続く訳ですもの。
後輩の女の子に朝、五つ使う子がいます。少しずつ遠くに置く様にして、五つ目は起きて歩かないと止められない所に置くそうです。三番目に遠い目覚ましは時々どこかに投げつけるので、良く壊れて、何個も買うそうです。壁に投げつけないんですもの、可愛い物ですよ〜、hiroshiさん。

モンテネグロ、こんな感じなのですね。
そうか〜〜。どんなとこなんだろうって、ずっと持っていたんです。あまり写真とか見る事も無いし。hiroshiさんもご存知の様に、お世話になったボイジャーのDr.がモンテネグロの方で、どんなとこなんだろうって、ずっと思っていました。
あの先生は三ヶ月の乗船が終わると、この街に帰っていらっしゃるんだなあって思いながら、楽しみに楽しみに続きを待っています。思う存分、お話を聞かせて下さい。
murmur1
2012/11/23 21:41
こんにちは。hiroshiさん
hiroshiさんのお写真、とってもきれいですよ〜。たくさん撮り続けた写真全部みたいです〜!!! 船からみるコトル湾の街並みがとってもとっても可愛いですね〜。おうちが赤い屋根なのがまた魅力てき。
世界一美しいんですか!?世の中知らない場所や地域がたくさんあって。
ほんとhiroshiさんのお写真から見る水面の反射の様子や街並みや山々がきれいですね。
次回も楽しみ〜にしてます!!
あおちゃん
2012/11/23 21:47
murmur1さん、こんばんは。

そうなんですよ。
情けない。
昔、現役時代は、たまの休日、棒ふり遊びに遊びに行くときだけならば、目覚まし一つで起きられたのですが。。。リタイアしてからは、毎日が日曜日になったためか?棒ふり遊びに行く朝も目覚ましは3つ必要です。

そうですか
5つの猛者、オオモノ後輩をお持ちですか
比較すれば、hiroshiメはかわいいモノですなぁ〜〜

>お世話になったボイジャーのDr.がモンテネグロの方で、どんなとこなんだろうって、

おっしゃっていたですね〜。
コトル周辺の中世の街や、ちょっと南、アルバニア寄りのブドヴァなども、こちらの印象ではやっぱり、マルコの似合う街だと思います。勝手ながら、好きですね。ここらたりも。

写真は、暗かった影響もあるのでしょうが←言い訳。ウッウッウゥ←失敗作が多かったです。残念

お話は。。。ごめんなさいね〜。パスしてください。面白くありませんから。次回は、お話はほとんどナシ、です。
hiroshi
2012/11/23 22:55
あおちゃん、こんばんは。

お、お〜
お元気そうですね〜。
頑張ってらっしゃいますね〜。

遠いあの土地からの、あおちゃんの日記を拝見するのが楽しみです。

写真はね〜。
天気の悪さのせいにしてなんですが、思っていたよりも、画面全体が暗くて、がっかりでした。朝日の出る東側に高い山並みがあるもので、朝日はなかなか届かないのに、雲も多かったんです。

後半、湾内にも光が当たるようになってきて、少し状況は良くなってきましたが。。。

>世界一美しいんですか!?

本当のところは、どうなんでしょうね。
地元や観光業者の皆さんは、そういう風におっしゃっています。

フィヨルドとしては、通常、ニュージランドでもノルウェーでもアラスカでも、見どころは自然景観だけですが、人間が作った中世の家並みやリゾートマンションなどがなかなかきれいで、湖のような静かな海の状態とマッチして、見ごたえはありますね。

いつの日か、あおちゃんもいらっしゃることがあると思います。ぜひ、楽しんでください。この街でも。
hiroshi
2012/11/23 23:04
こんにちは。

あの街には一度しか行った事はありませんが、美しい景色は目に焼き付いています。

あの街の美しさを、色々な角度から見せて下さるところなどは、さすがはhiroshiさん。
ありがとうございます。

またあの景色を見に行って見たくなりました〜
ぽんぽこりん
2012/11/24 16:05
ぽんぽこりんさん、こんばんは。

コメント、ありがとうございます。

はい。

>美しい景色は目に焼き付いています。

おっしゃるとおりです。
お載せになった時の写真、はっきり記憶に残っています。で、昨日だったか? 一昨日だったか?? お訪ねして、ブログ内検索させていただいて、またまた拝見してきました。

拝見すると、hiroshiメの写真とは、月とスッポンですね。さすがに、ぽんぽこりんさんの写真は素晴らしいです。
圧倒されました。こちら、まだまだ勉強する必要がありそうです。

再びコトルへいらっしゃるならば、近くの街、プドヴァへもいらっしゃってみませんか? もしヴェネツィアがお好きでしたら、ヴェネツィアの古い時代はこんなだったのかも、と思うような光景に出逢えます。なによりも、のんびりとしたリゾートが面白いですが。。。

今度は、エーゲ海をスタートされましたね〜。ぽんぽこりんんさんのエーゲ海の詳しい写真群を、楽しみにしています。
hiroshi
2012/11/24 20:22

コンバンワ~  hiroshiさん

静かに優しい色合いのコトル湾の画像の数々!!
素晴らしい!!

良い所でしたね〜〜
  

しかし、セルビア・モンテネグ、ユーゴなど 紛争のがあった場所ですね〜
クロアチアとも争った頃の事が嘘のように素晴らしい景色です!!!

プリブラカ要塞も〜
クロアチア最南端ですか?
歴史を感じるスゴイ要塞を見せていただきました〜感動の画像です。

ドブロブニクの近くのカウタドで戦争の傷跡の残るホテルの荒れ果てた建物を残してありました。
運転手さんがわざわざ案内してくれました。

今の平和な様子は本当に素晴らしいです。

お詳しい奥深い旅日記に感心しながら見せていただきました。
 
たえこ
2012/11/24 20:54
たえこさん、こんばんは。

ありがとうございます。いつもコメントを頂戴しまして、大変ハッピーです。

ご迷惑をおかけしています。
「詳しい」などと、そう言っていただくと、穴があったら入りたいくらいです。

書くことが好きなもので、勝手気ままに、思いつくまま、だらだら、長々と書いて。。。
どうぞ、読み飛ばしてくださいね〜〜。こちらは好きで書いていますが、他の方々がご覧になれば、ただただうるさいだけです。ホントに、適当に端折って、読み飛ばしてください。

ドブロヴニクの近くの街、そうですか? まだ戦争の傷跡が残っていましたか?
その街、多分、murmur1さんがいらっしゃった街ではないでしょうか? 皆さんそろって、あの街へ行ってらっしゃるんですね〜。うらやましい。
hiroshiメも、いつか、次の機会があれば、zえひぜひ、行ってみたいです。

>今の平和な様子は本当に素晴らしいです。

ホントですよね〜〜。そういうい意味では、近づいた選挙で、選挙権を上手に使わなければいけないのでしょうね〜。日本も。いろいろと問題が起きていますから。

クィーンエリザベス、次回が楽しみです。
hiroshi
2012/11/24 21:15

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