潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS コトル。小さな街に、ヴェネチアン様式の邸宅、並ぶ。

<<   作成日時 : 2012/12/05 16:32   >>

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2012年6月5日。モンンテネグロ、世界遺産の街、コトル。


画像



この街で真っ先に見て回ったのは、英語でパレス(Palace)、イタリア語でパラッツォ(Palazzo)、日本語では、「宮殿」。。。

。。。というよりも、「商館兼住宅」、あるいは「邸宅」、くらいに訳した方が、実態に即した確かな姿を伝えてくれそうな? そんな建物たち、でした。


画像ビザンティ邸。17世紀。


画像そのハナシに先だって。

。。。今回は長いです。文章が。  いつも長いですが、今回はとくに。格別に。
加えて白山羊の尻尾と正反対。「尾も白く」ないもので。。。これも、今回のみ、に限らないところが残念ですが。。。

以下は、写真をつらつらっと見ていただくだけで。
ご来駕、ありがとうございました。




画像

ピーマ邸。17世紀。

コトル観光のハナシに先だって。。。

この街では、ショア・エクスカーションに参加しませんでした。

が。
実は。
この街は小さいですから、普通の観光ならば、短時間で巡れちゃいます。
だから、初めてこの街に船で訪ねるならば。“遠足”に参加した方が良い。のではないでしょうか。


画像


65メートルもの長いベランダを持つデゥークス・パレス。城壁の側壁を壁に建てられている。

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グルボンリャ邸。1826年。

画像

ロンバルディック邸。17世紀。


アドリア海沿岸の、大型クルーズ船が立ち寄ることのできる設備を持つ港街、スプリトやドブロヴニクなど同様、
この街、コトルも、周辺に数多くのリゾート・エリア、歴史や由緒を持つ街を抱えています。

たとえば、目覚まし3つセットして早起きし、3回〜2回前に載せた「コトル湾を行く」編で船上からの写真を載せたヘルツェグ・ノヴィやペラスト、リサンなど。

さらに。
コトルから南に下がれば、およそ10キロほど西南の、旧ヴェネツィア共和国時代の領土、アルバニア・ヴェネタの色彩を色濃くとどめる古都ブドヴァ(Budva)。
画像さらに、さらに、ブドヴァからすぐ近くの、島がまるごとリゾートエリアで宿泊客以外立ち入り禁止のスヴェティ・ステファン(Sveti Stefan)島=右写真=。。。そういえば、この島、つい先に、かのアマン・リゾートに、まるごと買収されたらしいですね〜。
日本でも宣伝していました。。。


ほかにも、モンテネグロの古の首都。。。いや、現在も、モンテネグロの人々の精神的支柱となっている都、日本で言えば京都のような存在、と聞いた、コトルからおよそ10キロほど西×、正確には東=←12月8日午後零時50分に修正、かいりさん、ご指摘、ありがとうございました。=に離れたツェティニエ(Cetinije)などと見どころは数多く、「セレブリティ・シルエット」でも数多くエクスカーションは設定されていました。


画像というわけで。

ショア・エクスカーションで郊外へ出かけるか、出かけないか?

船で初めて入った今回は、ぎりぎりまで迷ったんですが。
やっぱり、ヴェネツィア共和国時代の見逃した薫りをもう一度、じっくりと見て回ろうと、“家族会議”で衆議?一決。


画像というわけで。

。。。語彙不足ですねぇ〜。またまた、同じ「接続詞」ばかりです。。。

で。もう一度繰り返して。
「というわけで」。

ゲート左脇の入場チケット売り場で旧市街入場券を買ったのち、いただいた地図=右写真=を片手に、城壁内の旧市街へ入ると、まずは、海洋博物館=最上段写真及び左上写真、旧グレゴリーナ邸=から、旧市街を巡り始めました。ヴェネツィアン様式の邸宅は20館ほどあるらしいですが、半分ほどしか巡れませんでした。


画像ヴェネツィア共和国のハナシばかりで、なんですが。。。

ご関心のない方々には面白くもない「覚え書」で申し訳ない次第です。
どうぞ、読み飛ばしてください。。。

アドリア海沿岸のこちらコトル湾など旧アルバニア・ヴェネタやダルマチア出身の人々たちは中世、ヴェネツィア共和国にも数多く住んでいらっしゃって、いつか書きましたが、現在のヴェネツィアの、スキアヴォーニ河岸、ヴェネツィアの6つに分かれたセスティエーレのうち、東側、サカナの形のヴェネツィア本島の尻尾近くのカステッロ地区がその“本拠地”であったそうです。

以下、ありきたりですが、コトルの名所の写真です。


画像

時計塔。1602年。

画像

時計塔の下の「見せしめの標」。この柱に縛り付けて処刑した、という。


一方で。
これはヴェネツィア共和国に限った史実ではなく、地中海圏でほぼ共通の中世の現象ですが。

地中海世界では、旅人や貧民、巡礼者らを宿泊させえる無料の施設がギリシャ時代から備わっており、ヴェネツィア共和国でもオスピッツィオ(Ospizio)。。。

。。。オスピッツィオを辞書でくると現在、単純にホスビス、看護養護施設と訳されてしまいますが、歓迎とか歓待はイタリア語でospitalitaというから、多分、中世にはもう少し、篤いもてなしの意味があったのだと思っています。。。

。。。がそろっていました。


画像現在のベネツィアで、そのオスピッツィオの最も多いのが、カステッロ地区であります。

ヴェネツィア海洋博物館に隣接するスキアヴォーニ河岸の、現在老人ホームとなっている、右写真の「オスピッツィオ・カ・ディ・ディオ」をはじめ、上右写真の、ガリバルディ通り先の、サンタンナ運河にかかる橋のたもとにある「オスピッツィオ・フォスコロ」など、ヴェネツィアに現在も残るオスピッツィオおよそ30余りのうち、半分近くがこの、バルカン半島からやってきた人々の多く住んでいた一帯に残っているそうです。


画像長々と、書いていますが。。。

何を言いたいのか?

単純に言えば、ヴェネツィア共和国とこのコトルの小さな街との関わりは、中世以来大変深かった。。。
そういうことを。

旅人のつかの間の休息所が、カステッロに多いということは、ヨーロッパ側からはエルサレムへの巡礼旅で、一方のバルカン半島側からは仕事を求めて、あるいは交易を目的に、人々が激しく行きかっていた。そしてそのヴェネツィアでの“基地”が、共和国主港であるサン・マルコに隣接したスキアヴォーニ河岸であった。そういう海洋国家ヴェネツィアの断面が見えてきます。

だから。
コトルには、右上写真のごとくのヴェネツィアのパラッツォと似た、ヴェネツィン様式の建物が数多く残っているのですね。



画像

サン・ルカ教会。1195年。


そして。
しつっこく。まだ歴史をさかのぼってヴェネツィア〜コトルのつながりを書き連ねれば。

中世に逓信業務、つまり、現在の郵便方式を確立して逓送路を持っていたのは、ヨーロッパ世界ではヴェネツィア共和国一国のみ。そして、当時の文化の中心地、コンスタンチノーブル=イスタンブールからヨーロッパ世界へ結ぶヴェネツィアの郵便配送路は、コンスタンチノーブルからコトルまでは陸路。コトルで船に積み込まれてヴェネツィアへ。
ヨーロッパの他の国々ではヴェネツィアに依頼して郵便物を行き来させ、ヴェネツィアからは自分たちの手で陸路、フランス、オーストリア、ドイツなどへ運んだのだ、とか。

コトルは大切な、中継点であったワケです。


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サン・トゥリプン大聖堂。1166年の教会の基礎を生かして建設されたそうだ。


オスマントルコ×ヴェネツィア共和国戦争。
大きなものだけで都合7回あったそうですが、うち、現代史の中東並みの数え方でなんですが、第三次戦争以降、有名なレパントの海戦(1571年)までの30年間余り、コトルはオスマントルコに包囲されて一時侵略された歴史を持っています。

しかし。
この街で、トルコの薫りはほとんどしませんね。ほんのわずか離れたツェティニエまで入ると、しっかり感じるのですが。。。

最後に。↑↓ 生意気にもガイドブック並みに。この街の名所写真も置き並べました。


画像

聖マリア・オレジャタ教会。1221年。6世紀に建てられた教会の土台の上に築かれた。15世紀ごろに製作された古いフレスコ画が、近年、後陣の壁内から見つかっている。


画像

以下2枚はサン・ニコラ教会。1909年。

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城壁上から眺めた、手前、ドメニコ会派修道院、16世紀と、奥はサン・ニコラ教会の鐘楼と尖塔。

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コトル旧市街を守る、背後の山の急斜面に築かれた城壁上の救世処女教会。1518年。

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コメント(5件)

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hiroshiさん コンバンワ~

素晴らしい旅日記に体調復活とお見受けしました。


拙い文章しか書けないので、口を挟むのお恥ずかしいです。
ヴェネチアとの類似の様な建築と美しい色合いの重厚な街!!コトル!  
良いところですわね〜行きたかったですよ〜

物流の大切な、中継点であったんですか?

オスマントルコ×ヴェネツィア共和国戦争が七回も〜ですか?

あの周辺も〜 いろんな国との紛争の地。 長い歴史は、頭に入らない私の頭脳です。

エーゲ海周辺の国々の素晴らしい様子は初めて訪れて感動でした。   

こちらの今日の教会も邸宅も〜〜すべての建物が美しいです。 綺麗です。
トルコとの係わりが深いのにそんな雰囲気は無いのが面白い。・・・・ 平凡な記述がお恥ずかしい!!
たえこ
2012/12/06 20:09
たえこさん、おばんです。

いえいえ。
お恥ずかしい。
読み返してみると、意味不明の文章もあり、とほほ、です。
言い訳になりそうで、なんですが。。。やっぱり、風邪は長引きますね。こんなに長く引きずっているのは、どこかおかしいのでは??などと思い、本日もまた、病院へ行ってきたのですが。。。
「PCなど触らず、おとなしく寝てなさい、治りかけては風邪を引き戻しているのです」と叱られました。

>エーゲ海周辺の国々の素晴らしい様子は初めて訪れて感動でした。

おっしゃるとおり、エーゲ海、いいですよね〜。
たえこさんのナイスな画像群を拝見して、ますますそういう思いを強くしています。ご主人とあわせて、エーゲ海の素晴らしい写真を、まだまだ見せていただけるのを楽しみにしています。
たえこさんのブログは、写真の素晴らしさで魅せられます。hiroshiメのように、下手な文章で、まずい写真の羅列を取り繕う必要がないのが羨ましいです。文章も、murmur1さんのように感性豊かな表現が出来れば、こんなにも長々と駄文を書く必要はないのですけれどもね〜〜
hiroshi
2012/12/06 21:46
ゆっくりお休みいただくにはコメントを控えたほうが?と悩みながらの書き込みです。御返事は気になさらないで下さいね。こういう時はスルーされた方が私もラクですから。

今回はその辺のガイドブックじゃ太刀打ちできないくらいの情報量ですね。

ツェティニエ。
初めて聞く名前に興味が湧いて地図を引っ張り出してみました。コトルから見て東/南東(じゃないでしょうか?)にある町ですね。我が家の地図によりますと、コトル〜ツェティニエ〜ポドゴリツァを通る道路は景勝ル−ト。悔しいですね、あと少し南に走っていればこの辺りを車で廻れたのですか。
更に今チョコっと検索してみたらこのツェティニエは結構な重要都市じゃないですか。初めて聞いたとか言い出すのはどこのオオバカモノですかね?

コトルとヴェネツィアの繋がり、どの話も興味深かったです。
コンスタンチノープル〜ヴェネツィア間の中継点がコトルですか。現代の地図を見ても想像できません。第二次大戦時にコトル湾を囲む地域がイタリア領だったことさえ知りませんでしたから自分の無知さを痛切に感じています。影が薄い国と思ったらトンデモない話でしたね。何も知らずにコトル周辺へ行かなくて正解だったのかもしれません。

アルバニアのサランダへ行った時に、さんざん行こうか迷った結果、町歩きを選んで結局行かなかったブトリント。ここもビザンチン帝国とヴェネツィアの対立の場だったそうで、この辺一帯でコンスタンチノープルとヴェネツィアは戦っていたのですね。(こんなことを書くと失笑されるとわかっているのですが、今回の記事でへぇーと思ったもので。)
イージークルーズでまた…と思っておりましたが、その後イージークルーズはご存知の通り「航海、後に発たず」。ブトリントへ行かなかったことは「後悔先に立たず」となりました。これまで次に期待してガッカリしたこと数知れません。
かいり
2012/12/08 06:45
かいりさん、おはようございます。

「お早う。。。」などと、↑ 書いていますが、決して、お住まいの、そちらのCETに合せてご挨拶したワケではりませんでして。。。
お恥ずかしい次第ですが、たった今、ほんの少し前、ようやくベッドから抜き出しました。
昨夜は午後9時過ぎにはもう寝ちゃいまして、今朝は、ぐっすり。おかげで、ちょっとすっきりしました。

どうぞ、お気遣いご無用に。
自己管理の甘さが原因でして。。。ご推測いただくとおり、日本では11月下旬から今月下旬までは、「忘年会」という名の飲み会が花盛りでして。。。さっさと帰宅してしっかり健康管理をすればこういうことにはならないのですが、根がやっぱり←好きなのので。。。

昨夜は、予定が入っていなかったのを幸いとして、さっさと眠っちゃいました。

ツェティニエ。おっしゃるとおり、東です。
自分ではそう書いたつもりでいたのですが。。。コメントを拝見していてあわてて↑に戻って確認しました。大ミステークです。ありがとうございます。この後、ただちに修正します。
hiroshi
2012/12/08 12:44
〜上から続く〜

>アルバニアのサランダへ。。。
かいりさんは、あちらもいってらっしゃるんですか? さすが、でらっしゃいますね。一度行ってみたいと思っているんですが。。。今回のクルーズ旅↑でコルフ島へ、コトルの次の次に寄港したのですが、その時も、ショア・エクスカーションにあちらへいくのがありまして、かなり迷ったのですが、結局行きませんでした。

「航海、後に発たず」ですか? うまい表現をなさいますね〜。
自分も同じです。後で落胆しないように下調べはかなりしつっこくやるクチですが、ダメですね。
いよいよですね〜。お帰りになったら、ぜひ、お話を聞かせてください。
hiroshi
2012/12/08 12:45

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