潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 14世紀城塞のワイン蔵。モンタルチーノの銘酒ずらり。

<<   作成日時 : 2013/10/20 15:41   >>

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画像所用で訪ねた京都で。
西陣の、創業以来今年で210年を刻む老舗菓子舗の本店ののれんを、久しぶりにくぐった。辞去時に、お馴染みの竿菓子「京観世」を買ってきた。

東京から箱根、京都へと巡り、数日家を空けていて、帰宅した夜。10月17日夜。
早速一竿を開封して、切り出して、食べた。

やっぱり、美味い。
村雨餡と小倉餡のほろほろとしたとした口当たりはやさしく、すっきりとした甘さを、むっちりと舌に伝えてきた。

この菓子舗の由来書にもあるが、伝統菓子「京観世」の名は、この菓匠の本店からすぐ近くの小学校敷地に今も残る、名残の観世稲荷社で知られる通り、能楽発祥の地にちなむ。観世宗家の関係者や師範たちは今も、年に一度、この神社に詣でて、観阿弥、世阿弥を忍ぶのだとか。。。

画像この菓子舗へ立ち寄って帰宅した翌日。
つまり一昨日から再び。

我々夫婦は、先月、9月の下旬から始めた、「断捨離」、つまり、“人生閉店”のための断行、捨行、離行を、細々と。再開した。

ふるさとへUターンした十年近く昔。
当時はまだ、現在よりもいくばくか若かったせいか、死後のことなど考えもしなかった。
で。
当時の住まいに残っていたものは大道具、小道具、書籍、花鉢まで含めて、そくりそのまま、陸送トラックに積み込んでもらって、終の棲家と決めた故郷へ帰ってきた。

結果。
荷下ろしした段ボール箱入り荷物は、ふる里のわが家の一室に投げ込まれたまま、現在ただいまなお、手も付けられていない状態で、結構居残っている。
つまり。
箱の中身の衣類や書籍、旅の土産物などの雑貨類は、かれこれ十年近くも、まったく使われていない。

画像今夏。夏休み。
家族ぐるみで帰省した娘が、その、物置代わりになっている部屋を覗き込んで。
わが連れ合い、つまり彼女の母親に話しかけてきたそうだ。

娘〜「これ、どうするの?」。
連れ合い〜「そうね、整理しなくちゃいけないのよね。このまま私とお父さんが死んじゃったら、あなたに迷惑かけるものね」。

数秒間、言葉を探すように黙り込んでいた娘。
再度口を開くと、わが連れ合いに、こう言ったという。

娘〜「これから毎月、2〜3日、捨てるの、手伝いにこようかなぁ〜」。

この言葉と、その時の娘の表情に、連れ合いは、ドキッとしたそうだ。

「死後の世界が間近に迫っているあなたたち親世代にとって、この世に未練が残って捨てることは辛いのならば。子供である私が、責任を持って、人生最後のあなたたちの仕事をしっかり手伝って、やり終えなくちゃ」。

「あなたたちが亡くなった後、残された世代がそれをすることは、物理的にも感情の上でもとても大変なことなのだから」。と。その時、そう決心した、娘自身の覚悟の言葉に聞こえたそうだ。。。

画像そして。
相棒は、その瞬間に悟って誓ったのだとか。
「そうだ。娘や孫たちに迷惑をかけまい」と。

というわけで。
娘の手助けを断って、モノを捨て始めた。
燃えるごみの日に集積場に持っていったり、業者に来てもらったり。
少しづつ、少しづつ。すっきりと、モノが消えつつある。

画像しかし、一方で。

わが家には現在、父や祖父、さらには先祖たちの残していったモノも、かなり残っている。

帰省して以来、地元の図書館や資料館に寄贈するなどし、一部は“処分”したが、捨てるに捨てれず、引き取ってもらうことも心理的に抵抗があって、そのまま放置しているものも多い。

その最たるものは、父祖代々趣味で続けてきた、江戸時代、明治時代などの発刊モノを含めた観世流の謡本をはじめとする能楽関連の古書、古道具、雑器のかずかず。

娘が示したとおり。
たとえそれがどんなに大切で価値あるモノであったとしても。
この世から去った親の残していったモノなど、子供にとっては所詮、ただのゴミなのだ。

老舗の銘菓「京観世」に、思いはいろいろと溢れ流れて。。。本日の『覚え書』一つ。
菓子も暮らしも、そしてもちろん、老後、「風」になる時を目前にした日々こそ。簡素、シンプルが一番。なのかも。。。





そして、本来の日記。


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2013年4月21日、日曜日、モンタルチーノ。ポポロ広場(Piazza Popolo)。

村のインフォメーションでもらった地図を見ると。。。
東へ向かって、二股に分かれる道の左、マッテオッティ通り(Via Matteotti)を行けば、しばらく商店街が続いて山裾へと下って行く。らしい。

右の道は、建物の壁の案内板を読むと、Costa Municipio、とある。
恥ずかしながら、通りの名にコスタ、とある名の道に初めて出会った。
辞書を引いてみたら、コスタには「傾斜、坂道」などの意もあった。
ということは、「役場坂」とでも訳せばいいのだろうか。
さだまさしのあの歌「無縁坂」か、はたまた、京都の寺沿いのあの、一念坂、二寧坂、とか産寧坂とかの、小道のいくつかを思い出して、気持ち少し浮き立って、この坂を上った。


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村役場の裏の壁に陶板が何枚も貼り付けられていて、その下に石のベンチが置かれていた。

陶板は、上に載せたとおり。
よくみると、さまざまなイラスト絵の陰で、1991年以来の、村の名産ワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」の毎年の出来具合を、星の数でガイドしていた。

画像その陶板前から5分ほど歩くと。
細い通りがパッと開けて、城塞前の広場に出た。目の前に石造りの城塞が広がっていた。

この城塞。
はるか英国やフランスから、カトリックの聖地ローマを目指した中世巡礼の道、フランチージェナ街道がこの城塞の真下を通る。同時に、この辺りでは一等群を抜く小高い要害の地形であったため、古い時代から要塞が置かれ、その後、シェナ共和国の手で14世紀半ばに増改築してほぼ現在の形に築かれた、そうだ。そして、その後、シェナを破ったフィレンツェ公国の手に落ちる。

平面図は五画形で、それぞれの角に尖塔を持つ。
後刻、その城頂に登るのだが。。。
南東方向に一面に広がるオルチャ渓谷を見下ろす光景は、南禅寺の大門から見下ろす石川五右衛門の気分。「絶景、絶景、ぜっけいかぁ〜なぁ〜〜



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画像城塞の門をくぐると、まず、第一の庭。続いて、また門をくぐって主庭に出た。
その庭の対角線の一隅の壁に、城塞の入り口と、村で採れる200種類を超す赤ワイン「ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ」を並べる、エノテカ「ラ・フォルテッツァ(La Fortezza Di Montalcino)」はあった。


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画像残念だが。
ワインの味は分からない味覚音痴で、加えてその知識もないに等しい、門外漢である。

で。
こちらでも詳しくは聞かなかったが。。。
内部は、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノのほか、同じくこの村が産地のロッソ・ディ・モンタルチーノ、サン・アンティモをはじめ.、甘口ワインのモスカデッロ・ディ・モンタルチーノなども並べるワインの試飲、販売のほか、同じく村特産の蜂蜜やトリュフ、ビネガーやジャムなども販売。エノテカの常、当然、簡単な料理も供していた。


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画像並んでいたブルネッロ・ディ・モンタルチーノの値札を見ると。
値ごろなもので1ボトル50ユーロ前後から、上は「リゼルヴァ・ソルデラ(Riserva Soldera)」の最上級品の600ユーロまで、さまざま。

試飲は、店お勧めの2ボトルを含む12本をまとめ買いすると無料。
6本で90ユーロ、12本で180ユーロかかる日本までの送料も無料となるそうだ。


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帰国後。
ワインに目がない友人にこちらの店内で撮ったプライスカード付きの写真を見せたら。「日本で買うよりも3割から5割は安い! なぜ、買って自分に送ってくれなかったのか」と、恨み言を言われ、白い目で見られた。だから、確かにお安いのであろう。

画像こちらで一人4ユーロの入場料を払って、木製の長い階段を登り続けると、城壁上にでる。

この、木の階段。段差の境目が突き抜けていて、足元に目を落すと、はるか下、十数メートルの石床まで一直線に視線が届く。これは怖い。
高所恐怖所の連れ合い、相棒は、手すりにしがみつくごとくにしっかりとつかまりながらも、腰が引けていた。


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コメント(2件)

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お久しぶりです、hiroshiさん。

ハンガリーに行かれたと思ったら、今度は箱根と京都巡りですかぁ? お忙しいですね?

断捨離ですか。難しいですよね?
その昔、ロンドンで倉庫を借りて荷物を預け、スーツケース二つだけを持って仕事のある所を転々とする生活をしていた時期が5〜6年ありました。こちらに越してくる時に倉庫を引き払って荷物を移しましたが、今思えば早くに全て処分しておくべきでした。5年も眠っていた荷物は不要なものばかりで、今も物置で眠ったままになっています。
日本にいた頃の物は、養父母の家が取り壊される時に一緒に処分してもらってスッキリしたので、「モノ」なんて長く持つものではないなと感じています。
今は余計な物は買わず、とにかく物を増やさないようにしています。子供がいない私達夫婦は、死ぬ時にキレイサッパリなくなってしまうもの(旅の思い出)だけを宝物にするようにしていますが、それでもまだまだ処分しなければならないガラクタがいっぱいで、贅肉同様、減量が進まずに苦労しています。

江戸時代、明治時代から御先祖さまが遺されてきたものは、もはや家宝ではありませんか?
日本の歴史の一部と言っても過言ではないと思います。何れ娘さんにも大切なものと感じられる日がくるのではないでしょうか。

ワインの味は私もわかりません。何万円もするワインと数百円のワインの味の区別もつきません。ビールは味の違いがわかるのに何故でしょうね?(日本酒の味もわからないです。)
高級なものを受けつけない脳ミソのお陰で、どんなに飲んでも安上がりで済むのは助かります。
かいり
2013/10/21 03:30
かいりさん、こんばんは。

あちらにも書かせていただきましたが。。。
いま、思い出しても、ぷ、ぷ、ぷと吹きだしそうです。アリの写真。泰然と、心豊かに旅されているかいりさんご夫妻に脱帽です。

>断捨離ですか。難しいですよね?

断、離はともかく、捨はだいぶ慣れてきました。諦める?決断力でしょうか。「もったいない精神」や「懐かしい記憶」をかなぐり捨て、開き直ると、案外、簡単に捨てられますね。

倉庫をお借りになったのですか?
それは、大変でしたね。

えどじだいや明治時代と言ってもね〜。
たとえば謡本、これは謡いの、いわば歌詞カードのようなもので、少々古いものであっても、現代の新本と内容はまったく変わらない。その上、同じ版木ものが現代社会でなお、結構残っていて、古本屋に持ち込んでも二束三文ですね。要は、親父の香というか、雰囲気がのこっているような、そんな程度のモノですから。。。

謡曲はもの心ついた時から毎週2回、各1時間ほど教えられていたのですが、こちらはまったく関心はなく、高校、大学と親元を離れた時にラッキーと止めちゃったのですけれども。。。あのまま続けておればよかったなぁと。せっかく良い先生を身近に持っていたのに。そう思い始めたのは50代にはいったころ、父がもう、教えてくれることもできなくなったころでした。残念。

>今は余計な物は買わず、とにかく物を増やさないようにしています。

そうですよね。
これも、そう気づくのが遅れました。
旅で何も買わなかったのは、先月の中欧行で初めてです。

ワインは、ご同感、ご同感。
そうですよね〜。だいぶ前から、こちらも同じように対応させていただいています。
hiroshi
2013/10/21 19:49

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