潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 架空世界の夢空間。ドゥオーモで華麗な色彩に酔う。

<<   作成日時 : 2013/11/15 17:03   >>

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シェナ、ドゥオーモ。

こちらを訪ねると。
ひとは皆、キラキラと輝く、不可思議で蠱惑的な美の世界に、驚嘆するのではなかろうか。


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ドゥオーモのファサードを飾る彫刻群は、現在ではレプリカ。ホンモノは、付属美術館に収蔵されている。


画像少なくともこちらは。
訪れるといつも、どっきり、びっくり。摩訶不思議な思いで心揺れ動く。

デッサンに軸足を置いてルネッサンス=人間主義の復活を叫んだ本場“フィレンツェ派”。
色彩と光で近代絵画の原点をも描き出した“ヴェネツィア派”。
そして。
ルネッサンス期の美の中心となったイタリア三大流派、いわゆる“シエナ派”を確立した、シェナの美の拠点の一つがこちら。

画像シェナ派。

どう表現すればいいのだろうか?
古典的でありながら、現代のモダンアートでもひょっとすると似たような作品があるのではなかろうかとさえ思わせる、極楽鳥のような派手やかな絵画群。。。

ビザンチン的様式をとどめながらも、二次元的な中世絵画世界、中世精神から一歩抜け出した新しい空間。
単純化された立体感。
力強い造形、架空性を持つ誇張された色使いでルネッサンス=人間主義の復活を叫んだシェナ派の造形家たちの作品。

ドゥオーモ内、シェナの有力貴族、ピッコローミニ家の図書室。ピッコローミニ家は、以前、ピエンツア編でも書いた通り、法王ピオ(英語ではピウス)2世のほか、ピオ3世を輩出した名家。宮殿はシェナやピエンツアのほか、バルソバーノ(Balsovano)やチェラーノ(Celano)にも城を持っていた。描かれているのは、ピオ2世物語。

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画像今回もまた、こちらのドゥオーモ内部や付属美術館、洗礼堂、サンタ・マリア・スカラ救済院の絵画や彫刻、床のモザイクなどに圧倒されっ放しだった。

何度もこの「覚え書」に書き残してきてるとおり。
こちら、ホントはヴェネツィア派の作品が好きなのだが。。。
それでもなお、こちらをのぞくたびに感動する。
今回もまた。

と。。。

今回一回で、シェナのドゥオーモの画像群を並べて「覚え書」を終える計画であったが。。。
事情で、次回に繰り越した。


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先週末から数日、上写真をはじめ、以下の写真の場所を巡ってきた。

上2枚は、富士サファリパーク。上の下段は箱根、強羅地区。

富士サファリパークは。
「牛に引かれて善光寺参り」、ならぬ、“孫に引かれて動物園、水族館巡り”の図。

画像箱根から静岡県御殿場市、裾野市にかけての富士山ろくの紅葉は、今年は、さほど赤くなかった。

既に盛期は終わっていたのだろうか? それとも、本番はこれからだったのか。
泊まった箱根の宿の庭も、左写真のごとくの具合。

画像訪ねたタイミングも悪かった。

滞在二泊三日中、富士を拝めた時間帯はまったくなし。日差しはさしていても、富士はふもとまで雲に覆われ放しであった。

画像列島が冷え込み、寒さに震えた日をはさんでいたからなのか。
紅葉も、朱色は弱く、黄土色系の色ばかりが目立ち、ちょっと、ん、ン? ン?? の気持ち。

訪ねた初日の芦ノ湖は、霧、というよりも雲の中にいるように、視界はせいぜい10メートルから20メートル。

画像桃源台から大湧谷へ登るロープウェイなどは霧で全線停止していて、止む終えず休憩した桃源台駅のレストランも人影はまばら。

画像普段なら、一昨年の同じころに撮った右写真のごとく。一面に、富士と芦ノ湖が望める窓辺も、障子紙を窓に貼り付けたようにただただ、真っ白。

画像翌日からは回復したが。。。
寒さは厳しかった。



画像その後。
世田谷の松陰神社へ。
恥ずかしながら。この神社へは、生まれて初めて参拝した。

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画像松下村塾ゆかりの神社である。
境内には、萩の旧松本村の松下村塾を模した、レプリカが置かれていた。

萩も、実は訪ねたことはない。

だから。
思いのほか規模は小さく、ちょっと意外だった。

レプリカは確か、全国に4つ、5つあると聞いたことはあるが。。。木造の小さな建物は、当たり前だが、萩のホンモノの塾もこんな具合なのだろうが。。。思いのほか、質素で素朴なたたずまいであった。


画像吉田松陰の墓所も、昔、写真で見た萩の墓所、遺髪塚同様に小さく、質素に感じた。
松陰神社からおよそ1キロくらいだろうか。
あの当時、たとえてみればいわば仇敵関係、とも言える具合であったに違いない、同じ世田谷の豪徳寺の井伊直弼の墓所に。。。こちらは昔、短期間であったが、当時のこちらの仮住まい、は近くであったため何度か訪ねたことはあるが。。。ほど近いのにも驚いた。


画像こちら、松下村塾から、明治維新の逸材たちが巣立っている。
高杉晋作、木戸孝允、山縣有朋、伊藤博文。。。
その秀逸たちやその子孫たちが明治41年に奉献した32基の石灯籠が、興味をひいた。

台石を含めて高さ9尺〜8尺。およそ2メートル半ば。石の地肌はまだ新品のように真っ白で、献納されて以来百年を越えているとはとても見えなかった。

どの石灯籠にも、「きけん のぼってはいけません」と書いたプラスチック板が貼られているのが、なんとも現代風で、場違いな雰囲気。

子供たちへの配慮上、いたしかたないのだろうけれども。。。

画像紅毛碧眼の人々に指揮される鋼鉄船の来航相次ぎ、尊王だ攘夷だと風雲急を告げる情報に疎かったわれら、片田舎の、大藩なれど雄藩とはなりえなかった国々、というか地方、の子孫から眺めると。。。

江戸や、清にほど近い長州をはじめ薩摩、土佐などの人々に比べて、こういう場所は、なんとなく、いまだに畏れ多い心情である。

しかし。

こういう掲示と掲示の仕方を眺めると。。。
なんとなくホッとするから妙である。

画像やはり、ご維新へ参画しえなかった我ら故郷の先祖たちの、その後の艱難辛苦の明治期、零落した明治時代以降の歴史などを教わったり、資料を眺めたりした、幼い日の記憶の影響からだろうか。

きっと。
維新の雄藩の志士たちに対するそこはかとない劣等感が、自分を含めてわが地方の人々に今もなお、宿っているからではなかろうか。

我ら世代のような年寄りを除くと。
貴重な文化資産、記念碑に貼るこんな掲示を、明治維新を達成した往時の先人たちに無礼とは思わない人々が増えたということは、ひょっとすると良きことなのかも。

明治は「遠くなりにけり」の観。




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