潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS チンクエ・テッレ最南端の小さな村、リオマッジョーレ。

<<   作成日時 : 2014/03/12 17:16   >>

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ラ・スペツィアから電車で10分足らず。


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画像トンネルを抜け出た瞬間、真っ青なリグリア海が車窓越しに眼下に広がり、電車は、世界遺産、チンクエ・テッレ5村のうちの、最南端に位置するリオマッジョーレ(Riomaggiore)村のはずれの、小さな駅に滑り込みました。


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画像駅舎を出ると。
前回に一度載せたごとく。
小さな駅前広場を囲む、見上げるほどの崖の、背の高い石組みの壁の下辺あたりに、チンクエ・テッレ特産の地ワイン用の、葡萄収穫風景を描いた巨大な絵が張り付けられていました。

画像そして、その垂直の崖のさらに上部、斜度は45度、あるいはもっとありそうな急斜面の山肌には、緑の階段のごとくに葡萄の段々畑が、はるか山頂近くまで延び上がっていました。

画像その絵を眺めながら、駅舎を背にして数歩、絵の方に足を進めます。
と、右手、南側に小さなトンネルの入り口。
電車を降りた観光客はみな、そろってそちらへ足を進めていくきます。
リオマッジョーレの村の中心部に通じる歩行者専用のトンネル通路は、そちらで口を開けていました。

画像トンネルは、高さは2メートルくらい。長さは100メートル、あるいは150メートルほどもあったでしょうか。
幅は、人ふたりががやっと肩を並べて歩けるほど。駅⇔村の間を結ぶ、たった一本の通路でした。つまり、村と駅は、尾根ひとつ挟んだ別の谷筋に隣り合っていたのです。


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画像その歩行者専用トンネルを抜けると、また、小さな広場がありました。
多めに見ても、畳30枚敷くのが限界かな? と思えるほどの、小さな広場。
トラットリアやカフェテリア、ジェラテリアに混じって八百屋や魚屋も並ぶ、街一番のショッピングエリアであり、東西南北の観光名所などを案内する陶板の表示に混じって、「Centro」と矢印で示された、村の中心の広場でした。

画像広場は、谷底にありました。
つまり、谷底の、リオマッジョーレ川に蓋をしてパリの地下水道のごとくに暗渠にした、その暗渠上に、広場は造られていました。


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画像左手には、この村唯一のメイン・ストリート、コロンボ通り。
東側、つまり、左手。
暗渠がなければ川上にあたる山の方へ向かって、道幅6〜7メートルほどの暗渠の上の通りは、傾斜5〜10度ほどのゆるい坂となって延びています。

通りの両側の彩り豊かな家並みの向こうに、この街の紋章になっている頂部を3つ持つmonte Verugola、ベルゴーラ山の山容が、青い空の下で鮮やかな新緑に輝いています。
葡萄の棚田、段々畑が山頂近くまで続いていました。

画像トンネルを抜けてきた背後と、見上げる前方は、急峻な崖。

その崖の斜面に、5階建て、あるいは6階建て、7階建ての背の高い家々が、色違いのクレヨンを置き並べたように、色違いの針状結晶を置き並べたように、上へ向かって重なりながら張り付いています。

画像家が積み重なり、折り重なり。。。
この位置だけで見上げていれば、20世紀終盤に、新しいリゾートエリアとして誕生したコートダジュールのヴィルヌーブ・ルーヴェのヨット・マリーナのマンション群のごとくに、つまり、超近代的でポップな新しい街にさえ見えてくる、不思議な光景です。


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画像ただし。
道は、コロンボ通りを外れると。
みな、人ひとりがやっと通れるほどの細い階段道とトンネル道が登ったり下ったり。

画像右へ左へと曲がりくねって続いているだけで。

画像10世紀〜11世紀に要塞として誕生し、近世に入ってからは過疎化の波の中で地ワインと漁港としての歴史を積み重ねてきた、やっぱりラテンの人々の街なのだと、しみじみと感じさせてくれました。。。


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画像チンクエ・テッレ滞在は、たった一日だけ。
ほかの村も巡りたいため、この街だけで長い時間は取れないのです。

で。
ひとまず、この村を訪ねるにあたってあらかじめ優先順位を付けていた川下、↑ 河口のマリーナと断崖連なるリグリア海の光景を眺めに、みなとへ向かって坂を下りました。

画像緩い下り坂はすぐに、石壁に阻まれました。
村の倉庫、というか艇庫の石壁でした。
その平屋建ての建物の屋上へ向け、階段道が続いています。
登り切ると、右手に、壁一面に彩色画をあしらった小学校の建物。屋上は、そのまま広場であり、運動場でもあり。村と学校の児童たちの公共空間となっていました。

画像そして、再び、その建物を階段で降りて、暗渠の上のメインストリート。。。といっても、こちらはもう、小さな船の置き場や倉庫などが道筋に置かれていて、道幅はぐっと狭まっていますが。。。
間もなく、小学校のプール二つほどの広さしかない、堤防で囲まれた三角形の港に出ました。

あとは、載せた写真のとおり。お茶を飲んだり、青い海を眺めたりして、あっという間に3時間足らずが過ぎて行きました。


画像ただ一つ。
わずかな時間の滞在だけの、さしたる根拠もない、個人的な印象記、ですが。。。
この街に数日間滞在するとなれば、ちょっと身体がキツイかな? と。山歩きをしているのではないかと疑うほどの、登ったり下りたりを繰り返した小さな村中の「街歩き」でした。

ホテルは、小さなそれがいくつかあり、ネットを巡っていると、アメリカ人だかイギリス人だか確かめはしませんでしたが、英文のブログ・サイトのいくつかで「世界でいちばん美しく素晴らしい場所」とか「地球上、最後の天国」とかと絶賛なさっている方もチラホラ。確かに、お載せになっている写真はそれぞれ、こちらとの腕の差もあり、「何とまぁ、美しい画像!」と感嘆します。

しかし、そのホテルは、ちょっと長めの階段を何十段も上り下りしないと、岩場のビーチポイントまで降りられないし。。。運動不足、体力低下のわたくしメ程度ではきっと、毎日が地獄の責め苦ではなかろうか??と。
住むのはもちろん、数日間のリゾートライフも、こちらの街だと言われれば、ちょっと逡巡しそうです。

画像『愛の小道(Via dell'Amore』。
もしも。万が一。
ネットでの情報が間違いで、既に修復工事が終わっていたならば、こちらを通って次の村へ、と、この村へ到着するまでは、「通れるのではなかろうか」と、一応は、かすかに期待の気持ちもあったのです。
が。
甘かった。。。

画像やっぱりイタリア、というか、さすが、イタリア、というか。

崖崩れ発生直後、2013年3月末までに復旧させると発表していたので、「大丈夫、春になれば通れるさ」と、連れ合い、相棒に、さしたる根拠もなく“保障”してこの旅でこちらにやってきたのですが。。。
2012年秋に起きた、人身事故となった断崖崩壊事故跡の修復工事はまだ終わっておらず。

『愛の小道』への入り口は、リオマッジョーレ駅の駅舎を出ると左手。
つまり、村中から駅へ戻る場合は、駅⇔村とを結ぶトンネルを抜けて、駅前広場に出て、さらに歩き進んで、村とは反対側の崖上の先、北方向にありました。

画像で。
今度は『愛の小道』を通って2番目の村、マナローラ(Manarola)へ行くため、駅舎前の小さな広場北側の、崖へ登る40〜50段の階段を息を切らせながら登り切って、細い道を150メートルほど進んで、『愛の小道』の入り口までたどり着いたら。。。

残念。
入り口の鉄柵は閉じられて鍵がかけられ、「閉鎖中」の表示。
小道の途中の、永遠の愛を誓うキーロック・ポイントまでいけない恋人たちなのでしょう。リグリア海を見下ろす断崖の棚道を遮断した鉄柵の海際に。臨時に据え付けられた鍵が、スズメバチの巣のように盛り上がって把を作っていました。

『愛の小道』の動画。
You Tubeからお借りしました。



 
ということで。
再び、乗り放題乗車券で、次の街へ。。。


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