潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

アクセスカウンタ

zoom RSS シナイアへ。フレスコ画とイコンの美、楽しむ旅、開始。

<<   作成日時 : 2014/09/06 15:20   >>

ナイス ブログ気持玉 6 / トラックバック 0 / コメント 0

 
 
東方正教会を国の主教とする地域へ旅する魅力の一つは、教会堂内部を彩るフレスコ画とイコンの美しさではなかろうか、と、思います。

画像


スロヴァキアから南下する大山脈、カルパチア山脈の南端に近いエリアで、山脈のスカイライン、峰筋は大きく「つ」の字型に西に折れる。

その「つ」の字の内側のエリアが、ルーマニアの、有名なトランシルヴァニア地方。
ルーマニア人、ザクセン人(ドイツ人)、ハンガリー人が歴史上、せめぎ合って歴史を刻んできたエリアで、宗教も正教のほか、ローマカトリック、プロテスタント教徒も混じる。

そのトランシルヴァニア、ワラキア境界の、↑ シナイアの街のルーマニア正教のシナイア僧院と、↓ トランシルヴァニア、ブラショフの街の同じくルーマニア正教会、聖ニコラエ教会の墓地の一角。

画像



画像というワケで。

この春の、東方正教会系、ルーマニア正教を国教とするルーマニア旅は、首都ブカレストを離れたあとの足取りは結果的に、そのフレスコ画とイコンを追いかけ続けた旅となりました。


画像

↑ ブカレストの旧市街の北に位置するアンリ・コアンダ国際空港を過ぎると、目前にルーマニア大平原が現れる。日本の本州とほぼ同じ面積、と言われるルーマニアだが、うち、山地はわずか31%で、日本の73%からみると、圧倒的に平野部&丘陵地が多い。結果的に、単純計算だが、農耕適地は日本の2倍以上ある、ということか。

↓ その見はるかす大平原で、地平線まで菜の花畑が続くエリアが、次々に目の前に現れた。


画像



ブカレストからは、ルーマニアではまだ数少ないハイウェーを利用しながら北上。

まずは、およそ140キロ北へ分け入り、はるかスロバキアから7カ国を連なり下ってきたカルパチア山脈の南端に近い、ワラキア地方とトランシルヴァニア地方の端境エリア、標高800メートルほどの高原の村、シナイア入りしました。

画像イコンの面白味。
というか、イコンというモノの存在、そのものを、初めて知ったのは五木寛之氏の小説でした。

作家、五木寛之氏が、さかのぼる45年前に上梓された小説『ソフィアの秋』=右写真=の、収録された短編4編のうちの冒頭の同名の小説で、です。それまでは、恥ずかしながら、イコンどころか、東方正教会系の、ルーマニア正教はもとよりブルガリア正教もロシア正教についても、それはどんな教義でいかなる歴史を持つのかなど、何一つ知りませんでした。


画像

ブカレストからおよそ60キロほど北に、巨大な火力発電所があった。ルーマニア中央火力発電所だ。
近年、産出量こそ減って輸入国に転じたが、ルーマニアは世界で七番目の石油産出国だ。その石油埋蔵地帯の一つが、こちら、プロイエシュチ(Ploiești,)の町。周辺に、大きさはさほどないが、石油ポンプが点在しながら林立。何基も稼働していた。日本人のひとりとして、実にうらやましい光景。


画像


画像


画像



ご存じのごとく。

『ソフィアの秋』は、旧東欧の国、ブルガリアへ、ロシア革命で難を逃れて脱出した旧ロシア貴族たちが持ち込んだ芸術性高いイコンを手に入れるべく、バルカン山脈の山中の小さな村を訪ねる。しかし、それは実は、一度、その村を訪ねて帰国した旧友が、もう一度、その村で出会った恋人と会い、その土地で結婚して生きて行きたい一心で語った作り話で、ロシア・イコンは実在しなかった。

そのウソの話を詫びて、村長を務めるその村の恋人の父親や村の人々が、村の家々に代々伝えられてきた5枚の古いビザンチン美術の粋のイコンを、彼に手渡す。だが、彼は、ソフィアへ帰る途中、この国のガイドと共に猛吹雪に見舞われる。

雪洞を掘って難を避ける。凍てつく寒さに意識が朦朧としていく中、凍死を免れ、暖を取るために、彼は決断する。それは、貴重なそのイコンを、薪代わりに全部燃やしてしまい、命を守ろう、ということ。
結果、バルカン・イコンの傑作は煙となって消えていった。。。というストーリー。

「。。。ぼくと案内人の二人は交互に聖像画を砕いては火の中に投げ込んだ。二人の異様な影が雪洞の中に、黒いけもののように揺れ動いた。
最後の木版を手にしたとき、キリストを抱いたマリアの顔がかすかに歪み、黒い大きな目を見開いて、ぼくらを嘲るように笑ったような気がした。僕は驚いて、その木版を火の中に投げ入れた。その時、マリアは赤い焔の中で、確かにぼくの方を見ていたように思う。」



画像

チャウシェスク時代から工業化へ努力したらしいが。。。基本は、農業国。酪農も盛んで、山羊、羊、牛などの姿を、この後、帰国するまで数多く見ることになった。

画像



ブルガリアの首都ソフィアは、ルーマニアの首都ブカレストから、直線距離でおよそ300キロほど離れています。

小説の初版が発刊された昭和44年当時。
その、土地の宝ともいえる古い貴重なイコンを若き日本人に投げ与えた、とされる舞台である、バルカン山脈の中の小さな村とは、いったい、どんなところなのかと好奇心止み難く。
小説で描かれている山中の村の名を、地図その他でかなり調べましたが。。。結局、所在を確認することは出来ませんでした。

小説の中に登場する村の名は、イエス・キリストの、東方正教会系の呼び方に酷似していましたから、ひょっとすると、村の名そのものも、実在するそれではなく、フィクションであったのかもしれません。

バルカン山脈までは、今回の旅で訪ねたルーマニアの首都ブカレストからは、ソフィアよりもはるかに近い。
今度は、いつの日か、ブルガリア正教の国、ブルガリアを、ぜひぜひ、訪ねてみたいと願っています。

なぜなら。
作家、五木氏が『ソフィアの秋』のあとがきでお書きになっているとおり。

「去年の夏、五月革命の流産を眺めたあとブルガリアに飛び、ソフィアでロシアの古いイコンを探したり、ホテル・バルカン(注=現在の、ソフィアのランドマークである老舗名門ホテル、ソフィア・ホテル・バルカン)の天井の高い部屋で昼寝をして過ごした。アレキサンドル・ネフスキイ寺院の壁画は暗く、くすんで模様もさだかではなかったが、あわただしい騒乱の町からやってきたぼくには、この世のものとは思えぬ静かさと安らぎを覚えさせた。」

「今はただ、もう一度あの古びた教会の鐘の揺らめく中を、ぼんやり歩いてみたいと思うだけだ」。



画像

公共交通機関の足の便は、ブカレストを離れると、旅行者にとってあまり便利ではなかった。列車は、電車区間、ディーゼル車区間とも、複線よりも単線が目立った。

画像


画像

 

現代社会から一周遅れでのんびりとマイペースでひた走っている感のあるバルカン半島の旧東欧圏の、東方正教会系の土地は、隣国のルーマニアでも、同じイメージと印象が、帰国後、なぜか、日を追うごとに深まってくるばかりなのです。
 

画像


画像


画像

街に入る前の峠あたりに、道路よりも一段低くした道沿いに小屋造りの小さな土産物街があった。以降、この国の主要な観光地に入る手前にはほぼ必ず、似たような、小さな木造りのsouvenir shopが連なっていた。

画像


画像

こちらの国では、国内を「つ」の字に連なるカルパチア山脈を、それぞれ位置が違う区域に分けて、北東のそれを「カルパツィ山脈」、西のそれを「ムンツィアプセニ山脈」と呼び、南に位置する、こちらシナイア辺りは「トランシルヴァニア山脈」と呼びならわす。標高2000〜2500メートル級の、そのトランシルヴァニア山脈が、シナイアの街の上に広がっていた。

画像


画像


画像シナイアの街中に入ると、ホテルがびっくりするほどに多かった。外国からの旅行客を対象とした大きな施設こそ数少ないが、日本ならば民宿くらいのレベルの、こじんまりとした宿泊施設は思いのほか数多く並んでいる。
ここらは、社会主義時代から、ブカレストに住む共産党幹部たちのリゾート地、避暑地として発展したのだそうだ。



画像
 

画像


画像

いくつかあるシナイアの名所の一つ、著名なシナイア僧院は、そのホテル群から見上げる、急峻な斜面の上にあった。

画像









テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 6
ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス ナイス

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
URL(任意)
本 文




会社設立 大阪市
   
アクセスカウンター
出会いライブチャット出会いモバコイメル友

シナイアへ。フレスコ画とイコンの美、楽しむ旅、開始。 潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる