潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS ブラショフにも名物の路地。中世大商業地の足跡残す。

<<   作成日時 : 2014/11/06 23:15   >>

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昨夜、11月5日夜。といっても、正確には宵のうちの午後5時55分。
「171年ぶり」の奇跡、と言われる、今秋最後の“名月”を撮影しました。

「後(のち)の十三夜」と言われる、暦学上、ちょっと珍しい名月なのだそうです。


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旧暦で数えると。
今年は、3月、プラス、閏3月と年に2度、同じ月のあった2012年に続いて。
「閏月」のある年にあたり、その閏月がなんと、名月を楽しむ秋の季節にぶつかって。
9月の後にまた、今度は「閏9月」として繰り返された。。。
暦学上、この奇跡は、計算上、171年ぶりであったのだとか。

171年前と言えば天保12年。吉田松陰や坂本龍馬、大村益次郎、井上薫ら幕末の志士たちが物心ついて真剣に日本の行く末を案じ始めた年ごろで、きっと、志士たちの誰か、何人かは、後の十三夜を眺めて物思いにふけっていたのかも。。。

で。今年は。

9月8日の「中秋の名月」に続く10月6日の「十三夜(栗名月または芋名月)」に続いて、三度目の名月「後の十三夜」を、“奇跡的?”に、またまた鑑賞できたワケですけれども。。。

画像花より団子、といいますが。
花に限らず、月も団子ですなぁ。

9月8日の中秋の名月は、ススキのシーズンにはひと足早かったせいもあって、連れ合い、相棒は何の用意もしてくれなかったですけれども。その後の栗名月も、昨夜も。月見酒を酌み交わして。ちょっといい気分でした。


画像これで今年は。9月9日のスーパームーン。。。(わが地方では天気が下り坂となって、東の空がまだ明るい月の昇り際にちらっとしか見られず、その後も、就寝した午前1時ごろまで、雲に隠れ続けた)。。。だけを除いて、←10月8日の皆既月食を含めて、すべての≪名月≫を鑑賞できたました。ラッキー。

皆既月食は、残念ながら、完全な皆既状態時はシャッタースピードと絞り値を間違えていたためほぼ真っ暗な画像ばかりとなって、撮影に失敗しました。残念。↑ に載せた画像は、皆既状態への途中経過画像です。



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前回に引き続いて。
ブラショフの旧市街での、旅の「覚え書」です。

前回、チラリと書きましたが、ブラショフ旧市街は複雑で深い歴史の狭間を生き続けてきた街です。ハンガリー人の住む土地にハンガリー王の招きでやってきたドイツ人が街を興し、後にルーマニアを形づくるワラキア、モルドヴァ公国と国境を接してやがてその公国とともに統一ルーマニア王国を創り、その間オスマン帝国やハンガリー、後のオーストリア=ハンガリー二重帝国と複雑な関係を持ち。。。

だから街の名も、ブラショフは、王から授けられたクラウン・シティの意味を持つ「クローン・シュタット」(ドイツ語)や、「ブラッショー」(ハンガリー語)をはじめ、「クローネン」、「ブラッソヴィア」、「コロナ」や、共産革命後はあのロシアの革命第二代政治指導者の名をそのまま戴いた、「スターリン市」を名乗っていた過去さえ持っています。

画像Wikipedeiaで←17世紀の街の地図をお借りしました。。。

ヨーロッパでは、このブラショフと似たような、波瀾万丈の歴史を踏んできた街はほかにも少なくはありませんが。。。

画像太平洋に浮かぶ、四面海に囲まれた島国のおかげでさしたる侵略や侵攻を受けずに現代を迎えた、この日本という国で生を受けた身で眺めると、やっぱり、「It's amazing」、「たいしたもんだなぁ」と。。。なにが「たいしたもん」なのか、解釈はいろいろとありそうですが。。。驚愕します。



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ブラショフ旧市街の↑ スケイ門と ↓ エカテリーナ門。

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城壁に囲まれた旧市街の西側に、ちょっと珍しい「名所」がありました。

ストラーダ・スフォリィ(Strada Sforii)と言う名の、日本式に言えば「路地」か「横丁」です。
旧東欧圏唯一のラテンの国ですから。ストラーダは、基本、イタリアと同じ意味で、ご存じ、主題歌「ジェルソミーナ」が胸に迫ったイタリア映画『道(La Strada)』のタイトル通りの意。
スフォリィは、紐とか糸とかロープの意のルーマニア語。
つまり、日本語にすれば細い道筋、「横丁」のことでした。


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画像入り口に掲示板がかかっていました。

画像曰く。
「ストラーダ・スフォリィは、ヨーロッパでも狭い通りの一つで、道幅は1.11メートルから1.32メートル幅で、延長は83メートル。中世の町ブラショフが、街道の拠点商業集積地と化した当時の賑わいを象徴している」のだとか。万が一の火災に対処して、造られた道筋なのだそうです。

画像昔、リューベックのガング、などで一度ならず、、タオルミナの世界一狭い路地で二度目、さらに三度も四度も、いやそれ以上に書き綴ってきましたが。

→写真のごとく、ヴェネツィアでは珍しくもない、そしてグラナダなどアンダルシアの古い街でも同じく。さかのぼればイスラム圏のメディナの影響を受けた「路地」や「横丁」のある街が個人的に大好きなのですが。。。

この街にも「路地」は結構あるのが、なんともなんとも、好みでした。


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また、前回に書いた通り、ドイツの街のように一点のシミもないほどに研ぎ澄まされた清潔さと美しさを保っていて、観光でめぐるのに街を汚さないか緊張するほどに美しき街ではなく、言葉は悪いですが、ちょっと雑で小汚い、人間がゆったり暮らしている証拠というか、風情の残る、いうなればイタリアかスペインのような街であったのも、わが好みの街筋でした。

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↑ カラオケ店があった!

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