潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 津和野。歌子ちゃんの嫁いだ街。

<<   作成日時 : 2014/11/20 23:27   >>

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2014年晩秋、11月も中旬を迎えた朝。
当たり前ではありますが。。。
秋、真っ盛りでした。


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早起きして崖道を登り、午前8時半ごろ、青野山の麓を巻く山陰道(国道9号)から石見の国、津和野城下を見下ろす。津和野川を挟む、津和野旧町、街外れの背後の枕流軒(標高360メートル)の山麓は、霧が次第に晴れていくと、赤、黄色、樺色などに色づいた木々が山肌に張り付いていた。

画像津和野城下一のメインストリート、殿町通りの名物銀杏は黄金色に朝日を照り返し、時代を経た土蔵の板壁と白壁に張りつく蔦は真っ赤に萌え、SLが走る山口線津和野川鉄橋の脇の弥栄神社の老木の紅葉は、太い幹から枝先へ向けて、目の覚めるような紅色の濃淡でグラデーションを描いていました。

やがて訪れる厳冬の深い眠りの季節を前に、持てる一番のハレ着を身にまとって。華を競い合っているかの如くに見えました。

画像この街。
前回の大津同様。生まれて初めて訪ねた街でした。

さかのぼる、ン十年昔。

当時。
今ではすっかり死語となったけれども。“アンノン族”という言葉が流行っていました。

確か、片や毎週水曜、こなた毎月5日、20日発売だったと思いますが。昭和40年代後半から大手出版社2社が、若い女性層を対象に競うように発刊したファッショナブルな雑誌『an・an(アンアン)』と『non-no(ノンノ)』の旅特集を片手に、当時はそれほど知名度のなかった街々を訪ねる若き女性たちを指した言葉でした。


画像連れ合い、相棒は学生時代から旅好きでした。
で。
「pre-an-non」、つまり“アンノン族”が誕生する時代の前。
学生時代の仲間たちと、暇を見つけては旅していました。それも、日本の貧しい時代を象徴するような旅。「旅館のおひつで出てきた朝食のご飯とおかずの海苔は、仲間たち皆に、全部は食べさせずに昼用に残させるの。そして、残したご飯でおにぎりを海苔巻にして、昼食代を浮かせるの。貧乏旅行だったけれど、楽しかったなぁ」と。

結婚してから“手口”を聞きましたが。。。
そんな貧しいけれども大らかで楽しい旅を続けていました。

画像しかし、その後。「血迷っちゃって」。優雅な独り暮らし新社会人生活を投げ捨てて、安月給取りと早まって結婚。間もなく子供たちが生まれて。。。

早まって「しまった」と思った、その当時。

彼女よりもいくつか年下の世代でブームとなった“アンノン族”のような優雅な旅を楽しめる時間的なゆとりも金銭的な余裕もまったくなく。

安月給取りの、「忙しい、忙しい」が口癖の、「午前様」は当然として、時には、夜も白々開け始めるころにようやく帰宅する亭主の世話や、生まれて間もない乳児や幼児の子育てに朝から夜まで翻弄され続けて、子供たちを寝かせつけ、亭主がまだ帰る兆しもない、真夜中に。


画像二人の幼子の手をつかんだりおぶったりして買い物するわずかな隙を盗んで、通りすがりの書店で“アンノン族”の愛読書を買い求め、真夜中のひととき、雑誌を開くわずかの時間だけが、旅の疑似体験に浸れるひと時であったのだ、そうな。

確かに。
あの雑誌で知った、清里、妻籠、馬篭、倉敷、高山など、その後訪ねた、あるいは既に訪ね終わっていた、いい街ばかり、丁寧に、カラフルに紹介していたのが印象的で、こちらも時折、雑誌を見せてもらっていました。

彼女は『non-no』派で。『SEISON de non-no』を含めて毎号欠かさず購読していました。

画像それから数年。
子供たちが幼児期を脱して。亭主の人事異動で転々と移り変われるのを楽しみにして、遅ればせながら“アンノン族”の後追いを始めたのですが。。。こちら、本州の最西端を訪ねることの出来る引っ越しはなく。以来、石見の国や長州藩は、訪ねたことがなかったのです。



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訪ねて初めて分かったのだが、映画『男はつらいよ・寅次郎恋やつれ』で津和野ロケされた場所は、この写真一枚に収まる狭いエリア内だけであった。左端の細い尖塔が、津和野カトリック教会。右端が、歌子ちゃんの語る、結婚間もなく夫が病死し、その後、姑らと津和野で暮らすことになった経緯を寅次郎が聞く、津和野川にかかるSLの走る鉄橋とその向こう、銀杏の大木の陰の津和野川大橋の間の弥栄神社境内の川べり。

画像そして、この街。

“アンノン族”でもないこちらなのに、なぜ、この街を訪ねたくなったのか?

それは。
映画の影響でした。

画像↑の写真の川べりが、→のシーンの撮影現場。


画像映画は、ご存じ、渥美清主演の寅さん、こと、『男はつらいよ』シリーズの、昭和49年夏に公開された第十三作「。。。寅次郎恋やつれ』。

第十三作は。。。我々庶民がトイレットペーパーや洗剤不足に見舞われ、“狂乱物価”の言葉が大流行した第一次オイルショックに引き続いての、日本経済が曲がり角を迎え、高度経済成長の波に乗って躍動していた日本のサラリーマンたちの気持ちをなえさせた時代でした。

画像↑映画で、吉永小百合扮するマドンナ、歌子が務める図書館に設定されていた「津和野藩校養老館」。その養老館から早退して門を出る→歌子と寅さん。


画像右上のシーンの撮影キャメラを逆側から撮ると、←こうなる。


画像←養老館塀の家の案内板と殿町通り沿いに流れる↓用水の鯉と案内。

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画像↑ 養老館の門を出て殿町通りへ向かう光景と、同じ→映画の場面。


画像その気持ちの滅入るような時代の中で。
『男はつらいよ』シリーズは、映画好きのこちらに、明るい気持ちを取り戻させてくれるまたとない娯楽で。。。

加えてマドンナ役は、第九作『。。。柴又慕情』に引き続いて2年ぶりに再び吉永小百合を迎えていました。

こちら。自慢じゃぁありませんが、我ら世代に数多い“サユリスト”の端くれ。『キューポラのある街』に胸ときめいた世代です。。

画像↑ 早世した夫の実家で姑、小姑と暮らす設定になっていた津和野の老舗蔵元、古橋酒造。→は、その旧家へ裏口から自転車を押しながら帰る歌子。

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↑古橋酒造の向かいには、津和野の街のイメージを凝縮したような老舗和装小物店「さヽや」。

画像寅さんシリーズ第十三作では。
親の反対を押し切って一緒になった夫と結婚早々に死別し、津和野の婚家で姑、小姑と共に暮らす、街の図書館に勤める「歌子ちゃん」が、役どころでした。

津和野は小さな街で。
訪ねた今回。映画が公開されてから既に40年も経っているのに。
街は、映画のシーンを往時そのまま、しっかり残していました。。

画像↑JR津和野駅前で見かけた、映画『。。。寅次郎恋やつれ』で寅さんが津和野から山口(映画では、歌子は「これから山口へ行って、それから?」と尋ねるが、実際の設定は、小郡=現在の新山口駅=から山陽道へ向かう設定になっていた↑映画に登場した同じ塗装の路線バス。どちらの会社のバスかと思っていたら、石見交通のバスであった。


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↑ 映画で、バスを待つ寅さんと見送りの歌子ちゃんが眺め下ろしていた津和野の城下町。

画像映画には、確か、音だけであったが、津和野の街を走るSLも登場した。


↓は、津和野大橋に隣接する鉄橋の上を山口駅へ向かうSL「やまぐち号」。
ひょっとすると、列車の窓を開けて寅さんが顔を出すのではなかろうかと、去って行く列車をいつまでも眺めていた。


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