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zoom RSS エダム。NY、ハドソン川遡った著名船建造の街!?

<<   作成日時 : 2014/12/13 21:25   >>

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アムステルダムから北へおよそ25キロの街、エダム
現在は、「エダムチーズ」と、取り巻く運河周りにかわいい木造住宅が並ぶ、中世オランダの街を昔ながらに残している歴史の街として有名なようです。


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エダム旧市街の中心、ダム広場。


そして。
こちらにとっては。個人的に、それらに加えて、もう一つ、10年来の、訪ねてみたい理由がある街なのでした。

その理由とは、何か?

画像ヴェネツィア好きなため、「運河が取り巻く街」と聞いただけで興味津々、行ってみたい、と思う単純人間です。
だから。。。に加えて、もう一つ。

わがクルーズデビュー時に乗船した船会社、HALの、因縁の街でもあったから、です。


画像スコメンツェラ(Scomenzera)運河から眺めた、21世紀初頭のころまでのヴェネツィアのクルーズ船ターミナル、マリッティマ(Stazione Marittima)に停泊する、「ウェステルダム」(2004年撮影)→。帆船「ハーヴ・ミーン」を白抜きで描く、ホーランド・アメリカ・ラインのファンネル・マークが見える。

この辺りは、その後、大規模な再開発が行われ、現在では面目を一新した。



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かつて造船所が並んでいたというエダム旧市街中心の運河と埠頭。


つまり。

HALの船「ウェステルダム」でのヴェネツィア発着アドリア海・エーゲ海行き、わが初クルーズ時に、船の航海士から教えてもらって知ったのです。。。

以前、一度書きましたが。。。

HALの船の、あのファンネルマークの中央を飾る白抜きの帆船は、オランダの東インド会社所属「ハーヴ・ミーン(オランダ語、Halve Maen) =英語のハーフ・ムーン(Half Moon)」であり、

画像その「ハーヴ・ミーン」は1609年、今ではNY、ハドソン川→の名前などに転じた英国の探検家、ヘンリー・ハドソンのアメリカ大陸探検などの功績を残した船として有名です。

そして。
上の、エダムの観光案内サイトでも書いている通り、エダムは、その著名な船が誕生した街であったのでした。。。


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造船所跡の運河に、ティーハウスが何軒か。お茶のひと時を楽しむためだけに造られた、水辺の優雅な空間だ。


画像ヨーロッパの古城に多い、城門入り口の跳ね橋と違って、船を通すために川や運河に設けられた跳ね橋は、独特な美しさがあって好みだ。

画像中学生のころ、ゴッホの「アルルの跳ね橋」→を図工の教科書で見て、これは、いつの日かホンモノをぜひ見てみたい、と思った。訪ねた当時、ビデオカメラ撮影以外に結構写真も撮ったと思うのだが、あいにく、記念写真しか見つけられなかった。。。「アルルの跳ね橋」の現場で、その記憶を反芻したのを思い出す。

画像右写真は、今回の旅でも立ち寄った、ご存じの美術館の入り口風景だけれども。。。

画像今回の訪問でも同じく、館内は撮影禁止。歩道プラス車道に面したミュージアム前の大きな画像は、ガラスがはめ込まれているため反射光がうるさい。。。

「アルルの跳ね橋」は、いうまでもなく、描いた→自画像の、この人の作品である。

画像その後、アムステルダムの「マヘレの跳ね橋」やロッテルダム、デルフスファーヘンの跳ね橋など、昔の木造りの跳ね橋を眺めると。誰が考えたのか、ホントに美しい造形だな、と思う。



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画像エダムでは、その跳ね橋がいくつもあった。
そして、これまで、跳ね橋を船が通過する姿は、昔々、勝鬨橋で見たのを最後に、ロンドン塔とフォートローダーデール港の
サウスイースト17番街橋以外に見たことはなかったが、こちらで初めて、昔ながらの木造りの跳ね橋の、船を通す光景を目にした。アルルの跳ね橋は橋が開いているものの、船は通っていないから。

想像していたよりも面白かった。



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エダムは、今でこそ人口7,000人余り、近年では南に隣接する、人口およそ21,000人の漁村、フォーレンダムと合併して、基礎自治体、日本式に言えば「町」をを形づくる田舎ですが。。。オランダ東インド会社が誕生する直前の最盛期、16世紀ごろまでは、アムステルダムやロッテルダムなどと並ぶオランダの大きな港町の一つで、造船所は33カ所もあったのだそうです。

その後、ザイデル海が次第に土砂で埋まって港の機能は失われ、歴史の陰に埋没して、エダムはひなびた寒村に転じていったのだとか。


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現在のニューヨークをニューアムステルダムと言っていたオランダ領時代に先駆けて。
ヘンリー・ハドソンは、後、彼の名で呼ばれるようになったハドソン川をさかのぼったのですね。エダムで造られた帆船「ハーヴ・ミーン」で。

画像3年前に乗ったHALの「ユーロダム」船内には、→その「ハーヴ・ミーン」の模型が展示してあり、それを眺めながら、ますます、エダムを一度訪ねてみたいという思いはつのっていきました。

「ハーヴ・ミーン」を造り上げたエダムの船大工たちの繁栄の痕跡が、ひょっとした見られるかもしれない。。。
そういう思いが、結構、あったのです。


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と、かく、クルーズ旅の面白さを知って以来、思い続けてきたのですが、最近では、「ハーヴ・ミーン」のエダム誕生説に、異論も出ているようです。

ハドソンが、ハドソン川を遡上した探検クルーズにオランダから旅発った1609年には、エダムの港は土砂で埋まりつつあった時代で、この船がエダムで造船されたのかどうか疑わしい、というのですね。で、アムステルダムでの建造とする説も出ているらしいです。

現在のエダムの旧市街は、東西およそ800メートル、南北は幅の広い西側部分でおよそ600メートルほど、狭い東側エリアで400メートル足らず、ほどでしょうか。

同じ運河の街、ヴェネツィアの5分の1から6分の1ほどの面積。つまり、ヴェネツィアの6つに分かれたセスティエレ=地区=の、東端の地区、カステッロくらいの広さでしょうか?市街の形も、バードアイで眺めると、鏡に映した鏡像のようによく似ています。

しかし、街の印象は、正反対。
片やヴェネツィアは、言葉は悪いですが、少々小汚いのにくらべ、エダムは、どの一角を切り取っても絵になるように美しく。夢多き若い女性陣には好まれそうな雰囲気の街でした。


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