潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS ブラショフ旧市街。城塞入り拒否された人々の街。

<<   作成日時 : 2014/12/25 22:03   >>

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画像眼のある、人の顔のような家が、点在していました。


画像三つ目、四つ目の家さえ建っていました。

久々に、ルーマニア旅行記の「覚え書」、再開です。
今回は、“吸血鬼ドラキュラ”の名で知られる、トランシルヴァニア地方の古都、ドイツ系の人々、ザクセン人と呼ばれる移住民たちが築いたブラショフ旧市街の、城壁の外の、ルーマニア人居住エリアでのおハナシ。

家に目がある。
このため、家の外観が、人の顔型に見える。
そんな景観を、初めて見たのが、このエリアで、でした。


画像眼のようにみえるのは。
なんのことはない、屋根裏部屋の天窓。

こんな風に見える天窓は、ドイツはもとより、ハンガリーでも、ラテン系のイタリアやスペインでもこれまで見たことはなく、目にするのは初体験で、ちょっと驚きました。

後刻知るのですが。。。
残るトランシルヴァニアの要塞、城塞都市の旧市街周辺のルーマニア人居住エリアでは、あちらの街、こちらの街と、よく見られましたから、トランシルヴァニアの中世ルーマニア人たちの居住エリアならではの特徴だったのでしょう。


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↑ ↓ ブラショフ、ドイツ系とハンガリー系の人たちしか入れなかった城壁内旧市街から一歩離れた城壁の外、旧市街スケイ地区のウニリイ広場。こちらは、ルーマニア人たちの街であった。

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と。
いきなり、目のハナシばかり書いていて、「目に一丁字なし」の面目躍如、面目次第もありませんが。。。

話を戻します。
久々に、ルーマニア旅行記の「覚え書」再開です。

今回は、前回に続いての、トランシルヴァニア地方、ドイツ人とハンガリー人とルーマニア人が築いた、中世の街並みを今もなお残す、古都の「ブラショフ」のハナシ。
今回は、その最終回です。

画像城塞に囲まれたドイツ人たちが築いた旧市街西北端のスケイ門近く。

第一次世界大戦前までは、ドイツ人とハンガリー人しか住めなかったこの街の、街外れの城壁近くに。

画像シナゴーグがひっそりと建っていました。
ブラショフのユダヤ教会堂でした。
ユダヤ人たちは19世紀初頭になって、この街で住むことと、ドイツ人が拒否しなければ、届け出て許可を得、仕立て屋や宝石商、金貸しなど、ヨーロッパで中世以来ユダヤの人々が連綿と続けてきた商売もすることが出来たのだそうです。


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しかし。
特別な催し以外はほぼ、城塞の中に入ることが許されなかった人々。つまり、この土地の有史以来の“オーナー”であった人々、ルーマニア人たちは、さらに西北に離れたスケイ門の外、スケイ地区に、小さなコロニーをつくって、チンギス・ハーンやオスマントルコ軍などの異民族の襲撃の恐怖にさらされながら、逃げては戻りを繰り返して住んでいたのだそうです。

本来の“オーナー”たちが城壁の内に住めるようになるのは、ユダヤ人よりもさらに、百余年も後のことなのでした。


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画像スケイ地区の ↑ 家並みは、城壁内のそれ→と大きく異なる。城壁内のそれはドイツの街々のように美しいが、スケイのそれは、壁が大きく崩れていたり外壁のモルタルの吹き付けがちょっと雑であったりと、どことなくイタリア風に見える。


スケイ地区。

そういう意味では。
トランシルヴァニアがルーマニア王国に併合される20世紀初頭、第一次世界大戦後、までもの長い期間。
差別されて生き、生活した人々が造った街なのですね。

ルーマニアの人々の造った街並は、ドイツ系の人々の造った街と、明らかに違いがありました。
やっぱり、ラテンの人々なのだな、ルーマニアの人々は、となんとなく、家々を眺めていて納得。いかにもイタリア的、スペイン的な、趣がありました。ドイツ人の造った街に比べてどことなく雑然としていて、でありながら温もりがある。もちろん、個人的な感想に過ぎませんが。。。


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スケイ門を出て、700メートル〜800メートル。

城壁内のスケイ通りの、そのまま道なりの延長路である、門の外のプルンドゥルイ通りをぶらぶら歩き続けると。スケイ地区の中心、ウニリイ広場に出ました。

目的地はこちら。↓

この広場の一角に立つ、ルーマニア正教の聖ニコラエ教会と、隣接して建つルーマニア最古の学校、現在の学校博物館が目的地でした。


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画像教会内は。
カトリック、プロテスタント、正教会を問わず、教会堂としては珍しく、内部の撮影は禁止でした。

教会の敷地の一角に、小さな墓地。
三つ葉のクローバーの葉を置いた、ボタニー十字風のクロスが飾る墓所。
イコンを飾った小さな祈祷所。
祈りのフレスコ画。


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画像ルーマニアには、国民のすべてが知っており、愛されている「ミオリッツァ」という名のバラーダ(伝承叙事詩)があるそうです。

「ミオリッツァ」ってどんな意味だと思ったら、ルーマニア語で雌の羊のことだそうです。

確かに。
旅の途次、羊飼いに連れられた羊の群れや山羊の群れを数多く見ました。

画像その「ミオリッツァ」。
音楽の知識もセンスもないこちらには、ポルトガルのファドに似た、物悲しい歌声に聞こえました。
この先、旅の途次、夜のショー・レストランで初めて見聞きするのですが。。。

物語の出だしは、こうでした(観光客向けに、英語で紹介していました)。

♪高原、楽園の入り口を下ってくる
羊の群れ、3つ、そして3人の羊飼い
ひとりはモルドヴァ人
ひとりはハンガリー人
ひとりはヴランチャ人。。。♪



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以下、↑ ↓ 聖ニコラエ教会とその墓地、ウニリイ広場の写真ばかりで、その写真とは無関係のハナシですが。。。


モルドヴァ人とは、東カルパチア山脈の東側の現在のモルドヴァ地方を指し、今ではヨーロッパの片田舎と別称される山あいの、貧しくはあるが自然に恵まれた、まさにルーマニア人の心のふるさとの土地。

ハンガリー人とは、ブラショフのようにドイツ人とハンガリー人が築いた城塞都市が点在する、ルーマニア人にとって悲しみの歴史も内在する現在のトランシルヴァニア地方の人々。

ヴランチャ人とは、ブラショフからおよそ60キロ東の、ルーマニアの残る一つの地方、ブランチャ県が代表的な、比較的に肥沃な大地と豊かな暮らしに恵まれていた平原のワラキア地方の人々。

ルーマニア人を形づくる3地方=モルドヴァ地方、トランシルヴァニア地方、ワラキア地方=の住民気質を土台に、それぞれの特質を持つ3人の羊飼いがそれぞれの羊の群れと放牧地から降りてくる途中。モルドヴァの羊飼いと、彼の羊たちの中の一頭、人間の言葉を話せる「ミオリッツァ」という名の羊のお話。

画像ミオリッツァ〜「ご主人さま、ハンガリー人とヴランチャ人の羊飼いが、今夜あなたを殺して群れの羊や馬を奪おうとしています。お逃げなさい」
モルドヴァの羊飼い〜「かわいいミオリッツァよ、この草原で自分が死ぬのなら、羊たちの通り道に埋めてくれるように二人の羊飼いに言ってくれ。いつも羊たちとともにいられるように」。

以降、「自分が死んだことは知らせるな。楽園の入り口でキレイな王女と結婚したと羊に、そして自分を探し回る母親に言ってくれ」などと、葬儀を華やかな婚儀に移し替えて、従容として運命を受け入れ、死途につくルーマニア人の姿を描いていく物語に見えました。


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今もなお、ルーマニア人に愛される古謡だということでしたが。。。
ひょっとすると。あの太平洋戦争終盤のころに、日本人のかなりの人たちの心をも侵していたに違いない、一種の悟りと言うか、諦観が根底に潜んでいるのかな、などと。少々、感じるところがありました。

その「ミオリッツァ」の動画を、You Tubeからお借りしました。





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もうすぐ、新しい年を迎えます。
こちら、齢を重ねてきたロートル世代ですから。

当たり前ですけれども。
今年もまた、哀しくて心痛む、大切な友人らを、わが身辺から手の届かぬ世界へ送り出しました。
ま。これも人生。その悲しみに傷つくことのない諦観の境地へ、そろそろ、なんとかたどり着きたいもの、と願っている2014年の年の瀬です。


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↑ ウニリイ広場に建っていた、第一次世界大戦の無名戦士の記念碑。ルーマニアの人々にとって、民族間差別からの解放も意味する記念碑のようだった。

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↑ 日本でたとえれば、広場に置かれた小さな祠か地蔵堂のような施設だろうか。三位一体礼拝堂。昔、ルーマニア人が入れなかった城壁内の旧市街には、この礼拝堂を基点として復活祭に行われる祭事行列だけが、スケイ門を越えて入城することができたのだという。そういう意味では、これも、かつての民族差別の時代の象徴なのだろうか。


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コメント(4件)

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こんばんは、hiroshiさん!

年末のお客様がぞくぞくとお集まりの頃でしょうか?

いつもそうなんですが、仕事納めの日は、一年の仕事が終わったなあと、全身から力が脱力してぼーっとしてしまいます。

もう、激しく笑いました〜。
細目で笑ってますね。

二枚目を見た途端、本気で三つ目小僧ならぬ、三つ目家!と声が出そうでした。

羊飼いをこんなに間近で見られるですね。
自分が絵の中に入るような気持ちになりました。

年末まできちんとコメントを入れられるか分からないので。

今年も沢山お世話になりました。
ブログの向こう側に何時もhiroshi さんがいらっしゃると思うと、安心しちゃうんですよね、こちらにうかがってもか、私のBlogでも。拍手コメントにお返事できなくてすみません。何かいい方法がないかと考えているのですが。

hiroshiさんも、奥様も今年も一年ありがとうございました。
良い年をお迎えください。
来年も、どうぞよろしくお願いいたします。
murmur1
2014/12/27 19:22
こんばんは、murmur1さん。

そうなんですよ。

>年末の

PCの前にもたったいま、ようやく座れました。

コメント、ありがとうございます。

>仕事納めの日は

そうでらっしゃいましょうね。
お疲れさまでした。ますますご重責の域が広がってらっしゃいますから、お気持ちの上でも張りつめてらっしゃる今日この頃でしょうね。1年間、お疲れさまでした。

>もう、激しく

ありがとうございます。ご覧になっていただいて。
その通りで、あの「笑顔」のケースでは、小さな広場に似たような家が3軒、それぞれ向かい合うように取り囲んでいまして。。。3軒の家が、hiroshiメを見て、くすくす笑っているような。。。「そうかい、そうかい。三人してこちらを笑いものにしているのかい」などと。家に笑われているようで、少々むかっ腹さえ立ってきたほどでした。

こちらこそ、この一年、お世話になりました。
今年から来年にかけての年末年始はどちらへおでかけなのかな?などと、想像して楽しんでおりました。もうご出発済みでらっしゃるのかな? 
いつの日か、かつてコスタの船を追いかけさせていただいたごとく、またまた、ライヴの“追っかけ”を楽しませていただきたいものです。
hiroshi
2014/12/28 23:44
あけまして、おめでとうございます。
先頭の日記のコメント欄をクローズされているのだから、察するのが当然の気遣いなのに、ここは敢えて破らせて頂きます。
こちらは、元旦の朝を迎えました。
冬はやはり、夜になると肌寒いです。
日本はゆき、hiroshiさんの所は如何ですか?
滞在地がハワイだと、こうやってコメントする時間が有って嬉しいです。
hiroshiさん、コスタコンコルディア、たのしかたですね!!あの楽しさは今も忘れられません。

ぴたりぴたりと、てきせつ、正確な
お声掛け、クルーズが3倍楽しくなりました。

というか、いつか御一緒の船でクルーズを楽しむのが私のゆめだなあ〜。

ではでは、ながくなりました。
今年もどうぞ宜しくお願い致します!
murmur1
2015/01/02 02:56
あけましておめでとうございます。

先生。
春か、海の彼方の、そちら、暖かな海辺から、コメントをいただいて天にも昇る心地です。
わが住まいのこちら、ご察しのとおり、厳しい降雪に見舞われておりまして、しかも親類縁者、その寒さの中を昨年末から例年以上に参集いたしまして、こちらも相棒も、悲鳴をあげている昨日今日です。

というわけで。
はるか異国からお言葉をいただきながら、お返事が大変遅れまして、面目しだいもございません。

お書き込みいただいた時間を拝見すると。
初日の出、いかがでした? お天気にはめぐまれたのでしょうね。2015年の、そちらでの最初の日の出をご覧になって1時間足らず後にいただいたようで、日の出の光景はいかがであったのだろうか?と、勝手に想像して楽しんでおります。ブログでお載せになっている写真を拝見すると、昔のサーフライダーのオーシャンフロントか角部屋ですよね。あちらのラナイからだと、日の出はいかがに見えるのか? ちょっと思い出せません。

そうですね。
コスタコンコルディア、楽しかったですね。
こちらも、いつの日か、ご一緒したいものだと思っております。先生ご一家のご休暇とワタクシめ、及び相棒の境遇?を考えあわせると、私ども夫婦、夏休みに船に乗る以外におめもじするチャンスはなさそうだと、相棒は以前、言っておりましたが。。。で、今年から、年寄り夫婦ふたり、親族の夏の帰省から少しづつ解放されるような空気を作っていこうではないか、などと申しております。きっと料理その他、旅館のおさんどんのごとくの日常がシンドイのもあるのでしょう。さてさて、どうなることやら
hiroshi
2015/01/02 23:46

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