潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 中世息づくモルドヴァ地方へ。途次、ロマ女性に遭遇。

<<   作成日時 : 2015/01/15 22:15   >>

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白昼。
正午少し前。

画像くるぶしまでを覆う色鮮やかで長いジプシー・サーキュラー・スカートを巻き、三つ編みの髪を固くアップに仕立て、編み上げ靴で足元を固めるなど、伝統の衣装にしっかり身を包んだ、ロマの若き夫人(多分?)の二人連れを、トランシルヴァニアとモルドヴァの境界の小さな街、ゲオルゲニ(Gheorgheni)の街中で見かけました。

年春の、ルーマニア旅行記の続きです。

ロマの若き女性が、ヨーロッパの街中で、白昼堂々と伝統の民族衣装で街中を闊歩している光景など、非常に珍しいのではないですか?
 

画像自分はこれまで、ジプシー・サーキュラー・スカートをまとった若い女性を、真昼間、ヨーロッパの街中で見た経験は、アンダルシアで何回かあるだけ。それも、身に付けていたのはロマの人々よりも、地元のロマ人以外の方々の方が断然多く、その地方の祭礼時の衣装姿であったり、クルーズ船で寄港した折のショアエクスカーションで、乗船客へのサービスで身にまとって案内してくれていた現地のガイドさんであったり。。。

で、生粋のロマの若い女性が白昼、民族の“制服”にしっかり身を包んで街中を歩いている姿を見たのは、初めてでした。

見かけたお二人は、多分、日本で言うところの“ヤング・ミセス”であったのではないでしょうか。どう見ても二十代前半、ひょっとすると、まだティーンエイジャーではなかろうか?とさえ、見えました。

一人は幼児を左腰に抱き、一人は折り畳んだベビーカー、というか、バギーを右手で押していらっしゃました。
 

画像二人とも、好奇の目が気にならないのか? それとも、ルーマニア、トランシルヴァニア地方ではさほど珍しい光景ではないのか? 
心に浮かんだそんな疑問をお二人にぶつけられるハズもなく、他のこの街の人々に訊ねる術もなく、すれ違いましたが。。。

ピンと胸を張って、頭を高く掲げて歩き去って行く二人は、好奇の眼、どころか、自民族への誇りを胸に秘めた高貴なお姫さま、のごとくの姿にさえ見えました。
スカートの模様から勝手に推測すれば。多分。この地方に多いとされるリングラー(Lingurar Gypsy)の一族の方々。木製のLingura=スプーンをはじめ、ボウルや椅子、机など木製品を造ってたつきにあてていた、森林エリアに住むロマの一族の方々であったのではないでしょうか。
 

画像と、いきなり、ロマの若き女性たちのことを書いていますが。。。

ルーマニアを巡った旅では、ブラショフのあと、一度トランシルヴァニア地方を離れました。
いずれ、もう一度再び、トランシルヴァニアには戻ったのですが。。。

よく言われる通り。
「中世ヨーロッパの雰囲気を現代でもなお残している」、とか、「ヨーロッパ中世とはどんな世界であったか知りたければ、ルーマニアのこの地方へ行け」との言葉に従って。
一刻も早く、中世ヨーロッパの原点を見ておきたい。そういうお思いが強く、モルドヴァ地方へと向かったワケです。
 

画像と、長々と書いていますが。。。
ざっくばらんに言えば、ブラショフから330キロ北へ離れた、モルドヴァの中心都市スチャバへ向かった、2014年4月26日、日曜日のハナシ。それが、今回の『覚え書』です。

で。
その行程や旅談義を、順を追って書くべきなのですが、ちょっとびっくりしたハナシを先に書きました。
ロマの夫人たちのハナシです。

見かけたのは、ブラショフからおよそ150キロ、東カルパティア山脈を挟んでモルドヴァ地方と接するトランシルヴァニア地方東端に近い街、ゲオルゲニの街で。

ゲオルゲニは、日本の年号で言えば大正時代、つまり20世紀初頭までハンガリーであったトランシルヴァニアの歴史を地で行って、人口およそ18,000人のうち、15,000人がハンガリー系の人々の住む町。だから、この街へ入ると道路の案内標識はハンガリー語オンリーで、周辺の街々には、ハンガリー語とルーマニア語の二通りで表示された案内板が、連なっていました。
 

画像ロマの人々。
ユダヤの人々と同じく、ヨーロッパでは迫害され続けた歴史を持つ民族集団です。

かつてのナチス・ドイツは、ユダヤ人ばかりでなく、ロマも絶滅の対象としていて、彼らはホロコーストの被害にあっても来ました。同様に、現在でもヨーロッパ各国を訪ねると、その国の人々から差別され続けていることを嫌でも感じます。

ヨーロッパからはるか離れた極東の島国に住む我々夫婦も、一介の旅人として訪ねるだけでも、彼らと接することに警戒しますものね。
 

以下の写真は、ブラショフからゲオルゲニまでの間に見かけた光景。。。。。

画像自分も、被害に遭いかけたことがあります。
プラド美術館近くで、ロマの子供たちの集団につけ狙われたことがあります。ちょうど偶然、警戒パトロール中の警官とすれ違って助けを求め、難を逃れましたが。。。
4〜5人の、齢のころならまだ、どう見ても10歳になったかなっていないかの子供たちのくせに。単なるスリ集団ではなく、人目がなければ強盗まがいのあくどい犯罪をも平然と行うことはよく知られていますし。。。
 

画像ま、ほかにもいろいろとあって。
ともに住み、彼らと接する機会の多い現地の人々の気持ちは推測できます。

ヨーロッパに住むロマの人々は、Minority. Rights Group(MRG)=少数民族権利グループや欧州連合など、統計をとる団体ごとに誤差はありますが、750万人から1200万人という数字があがっています。
しっかりとした数字をつかめないのは、迫害の歴史を持つロマの人々は、出自を明らかにしない人たちが多いから。ロマであることを隠す人々が多いのだそうです。
 

画像そのはっきりしない数字を、ネットの辞書「Wikipedia」を紐解くと。
欧州全体で「推定1000万〜1200万人」。
国別推計では「ルーマニア185万人、ブルガリア75万人、スペイン72万5000人、ハンガリー70万人、スロバキア49万人、フランス40万人、ギリシャ26万5000人、チェコ22万5000人、イタリア14万人」としています。

ところが、ルーマニアでは。観光資料によると、人種構成別でロマの人々の数字を53万余人、と記載されていました。で、とあるホテルマンに、事前に「貴方はルーマニア人か?」と確認した後、ロマの人に対するこの数字のことを尋ねたら、「さもありなん」と、何度もうなづきました。そして、「ロマーニは、調査ではルーマニア人だと自己申告する人々の方が断然多いのですよ。人は皆、差別されたり侮蔑の目で眺められるのは嫌だからネ」との答え。そして、「ホントは、多分、200万人を超えるのではないのかな?」とつぶやきました。
 

画像ヨーロッパ、地中海圏の国を訪ねると、我々日本人観光客にとってロマの人たちは、スリ、置き引き、物乞いなどの被害にあわないようにひたすら警戒するだけの人々ですが、地元のスペインやイタリアの人たちにとっては、それとは別に、また違った、複雑でさまざまな思いがあるにちがいない、と、彼の物言いや語るしぐさなどから、推測できました。
 

画像ロマの人々の、シャトラ=幌馬車を連ねた生活と彼らの受難を描いた小説、ルーマニアの作家ザハリア・スタンク「原題シャトラ、日本語版、ジプシーの幌馬車」(住谷春也訳、恒文社)を読むと、ユーラシア大陸の反対側、東の果ての海岸線にへばりつくような島々で暮らす我々日本人が、つかの間、ヨーロッパに観光に出向いて、ついつい、神とロマの人々に申し訳ないなどと負い目を感じながらも、結局、心の片隅で警戒心とさげすみの目で見つめている自分がいることに気付く、ロマの人々。。。彼ら民族の、同情と憐憫、そして哀愁漂う別の一面が見えてきます。
 

画像かつて、ただ排斥するだけではなく、奴隷として無理やり定住させていったヨーロッパでは珍しい対応をとったルーマニアの人々にとって、そのロマの人々に対する見方は、簡単に類推できないほど、複雑なものがあるのかもしれない。そう思いました。
 

画像その証拠に。
この国では想像できないほど豊かなロマの人々もいるそうです。
そのひとつ。
同じホテルマンに、問答の最後に「ルーマニアにやってきてから、ガボール・ジプシー・ハウス(gabor gypsy house)を見たことがあるか?」と尋ねられました。

そしてその何日か後。車で走る道沿いで、その家に、偶然、バッタリと出会いました。

話に聞いていた通り、銀色に輝くアルミ建材を屋根や壁に多用した、目を見張るほどの豪華な住まいでした。
 

画像ロマの人々のうちのガボール族、とでも訳せばいいのでしょうか。大金持ちの人々の住まいでした。
何で稼いでいるのか? よくわかりませんが。。。日本で喩えるならば、フーテンの寅さん、のようなご職業で財をなした??人々のような方々であったのでしょうか。テ×屋さん、とか香具師、さん、とか、8×3さん、とか。
 

画像相棒。。。わが連れ合いは。
地道に、まじめに、コツコツ働き続けることこそが日本人にとっては最高の“善”の一つである。。。
そういう価値観に逆らって、好きな旅へ出かけたくなる、おのれが“遊び人”根性を恥じ入ってか、あるいは価値観そのものに対する反発心からか、「私は、前世はジプシーであったの。馬車を連ねて、ほろほろ旅することしか能のない、そういう人なの」と、子育てが終わったころから「あなた稼ぐ人、私遣う人」と、変な言い訳?をしてよく旅に行きましたが。。。

本当のロマの人、ジプシーの人々は、哀しい歴史も交えたもっともっと複雑な感性を持ち、高貴な精神を持っている一面もあるのかもしれません。

ゲオルゲニの街で出会った若いロマの夫人を眺めて、いろいろと思い、考えたのでした。
 


画像2014年4月26日、日曜日。
晴れたり曇ったり、今にも降り出しそうになったりと、この日も、天気はめまぐるしく移り変わりました。

ブラショフから、一度トランシルヴァニア地方を離れ、中世ヨーロッパの村の雰囲気を現代でもなおとどめていると言われる、ウクライナに近いモルドヴァ地方の中心都市、スチャバへと向かいます。

距離にしておよそ300キロ。このあたり、高速道路はないため、所要時間はおよそ5時間。
 

画像その途次、東カルパティア山脈を越える山中に、←ラク・ロシュ(Lacul Rosu、ハンガリー語でGyilkos-TO)と呼ぶ湖を中心としたスキーリゾートが一つ。

今回の『覚え書』の写真は、その湖まで。。。

ラク・ロシュ。ルーマニア語で、ラクは英語のLake、 ロシュは同じくRed。赤い湖、と呼ばれています。
 

画像そして、その途次。トランシルヴァニアもこちらまで東北に入り込むと。。。
モルドヴァには入っていなくても、田舎の風情が満ち満ちて。
はるか離れた日本でも、我々世代が子供のころには出会えた光景。
馬車や馬と人と一体になった農耕風景など、懐かしい景色が、あちらにもこちらにも広がっていました。

その光景を眺めながら。いい歳をした老夫婦二人。子供のころに憶えた懐かしい童謡を、どちらからともなく口ずさんでいました。
 





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画像最後に。

PCにタッチすることはままならぬ世界に入り込んでいて、旅に出たワケでもないのにブログを長休みしました。

「おっちんだか?」と、早とちり?して電話をくれ、相棒を大笑いさせてくれたキサマやオマエ、たち。
さぞやキミらは期待したのだろうが。。。
年末年始の疲労が軽く積もったダケ、とのご託宣。あちらのベッドを使ったのも、たった2昼夜だけ。残る日にちは、家でごろごろ、していました。

ご期待に沿えず。
残念?!でした。
話すことはご法度でしたが、ベッドでの、メールその他、音声の伴わない携帯の使用ならば見て見ぬふりをしてもらえたほどに元気であります。アリガトさんでした。
 
 

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コメント(4件)

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こんばんは、hiroshiさん。

民族衣装の女性の方のお話。
hiroshiさんのお考えも伺えて、
とても良いお話ですね。

周りの目に惑わされる事なく、
自分の誇りの衣装を身に付ける、日本人に、出来るかなあ、なんて色々考えさせられました。

写真のお家、すごいです。
日本の五重の塔とか、中国の建造物に見えてしまいます。

奥様とお二人でお歌、良いですね。
自然に出てきた所がやっぱり素敵なご夫妻だなあと、ちょっと感動していました。

旅に出ると、普段は忘れてたりする感情がふぅ〜っと溢れ出したりするから、旅って良いんですね、きっと。

年末年始のお客様、お疲れ様でした。奥様も、お疲れがでませんように。
murmur1
2015/01/22 21:00
もう一度読み返して。
二日間、と携帯のくだりで。
あの。。すみませんでした!
知らずに。

もう、宜しいんですよね、
更新されてらっしゃるのだから。

寒い日が続いています。
どうぞお大事にされて下さいね。
murmur1
2015/01/22 23:26
こんばんは、murmur1さん。

これは、これは。
コメント、ありがとうございます。
留守にしていて、まことに失礼いたしました。

そうなんです。
もう、宜しいんです。年末年始の疲労もあったのでしょうが、第一の犯人は雪ですね。お恥ずかしいハナシですが、運動不足で体がなまっちゃっていて。。。雪かき、除雪作業でちょっと無理をしたのがいけなかったのですね。「もう若くないんだから」と、身内のあちら、こちらで叱られています。

ロマの若い女性のお話。
おっしゃる通りですね。こちら、男ですからあまり縁のないハナシですが、女であったならば、と考えてみると、自分ではできないだろうと思います。
サクロモンテの丘の下の洞窟タブラオ周辺にお住みの同族の方々ならば、ある種、誇りを持って日中にあの服装でお出かけになれるのかもしれませんが、それ以外の土地では、なかなか出来ないことでしょうね。
hiroshi
2015/01/24 20:17
〜上から続く〜

家内は、今のところ、おさんどんから解放されて、元気モリモリで、ただ今、旅の計画やその他、さまざまな今年一年の計を、おお張り切りで取り組んでいるようです。
お心遣い、ありがとうございました。

先生も、お風邪をお召しになりませんように。
お返事遅れ、申し訳ありませんでした。
hiroshi
2015/01/24 20:18

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