潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 江戸、街中? ぶらり、散歩。〜その一、本郷台地。

<<   作成日時 : 2015/09/04 21:51   >>

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タイムマシンに乗って、江戸の街中へタイム・トリップし、ぶらり、散歩してきた。

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と。
これは、嘘、だぁ。

 一連の写真は、この歴史館で撮った。


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文京ふるさと歴史館=文京区本郷四丁目9-29。

文京区民や歴史好きな都民に向けた、2階建て、学校の教室2つ分ほどの小さな博物館だ。
江戸東京博物館と比べると施設の大きさは天と地ほどの違いはあるが、展示は、それなりに充実していた。

画像初めて入った。

印象は、深川江戸資料館や新宿歴史博物館と似ている。写真撮影の許可は、新聞記者やTV、雑誌カメラマンのごとくの、館制作の腕章を貸してもらい、腕につけ続けることで許された。

入場者は、我々の入場中、我ら夫婦を除くと、我々と同世代と見えるご夫婦一組しかおらず。針を落した音まで聞こえてきそうな雰囲気の中で1時間あまり、楽しんだ。



最近、目が衰えてきたせいか?
江戸街中の商家や町屋、商人や旅芸人、武士たちを超ミニチュアで再現した小さなジオラマの中の小さな人形が、ホンモノの人間のように生きて、走って、大声で競りをしているかのように見えた。
これも、スケールこそ違うものの、江戸東京博物館と同じであった。

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画像北陸新幹線。
これまでに乗ったどの新幹線よりも揺れは少ない感じがする。いたずら心で、最も揺れるに違いない(と勝手に想像した区間)60ヘルツ〜50ヘルツ切り換え区間を挟んで、飲み差しのコーヒーを20分ほど放置してみたが、コーヒーの表面はほんのわずかも動かなかった。びっくり。



先月24日から本日まで十日間余り、東京のホテルを渡り歩きながら過ごした。

観光が目的ではない。
所用が重なったため。
学生時代の仲間との集い、友人のお嬢さんの華燭の宴出席、働いていたころの仲間たちとのOB会、連れ合いの趣味の会と、短時日の間に、顔を出さなければいけない会合や行事が重なったため、である。
なかには、宿泊先指定の催しもあったから、結局、ホテルを渡り歩く羽目になった。。。


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昭和11年開業の老舗。


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画像滞在中、明治・大正期の東京=さらに古い時代の江戸の、下町や山の手の、古い神社や辻、街筋など、渡り歩いたホテル界隈や地下鉄で3つ、4つ先の駅付近へ、時間が出来るとぶらり、散歩に出た。

うち、今回は、「かねやす」の外側。
つまり、江戸時代ならば、江戸の街筋からは少し郊外にあたるエリア。
このあたり、江戸市中にはあらず、江戸の外の範疇に入るらしいが、罪人を解き放す江戸払いでは、さらに北西へ、巣鴨、板橋あたりまで行かねばならず、突き放された罪人も、こちらの「江戸市中・外」のはずのこのエリアには入れなかったらしい。

ということで。当時は、江戸の境界は、わが写真のごとくであったらしい。
つまり、ボケてて?、はっきりしなかったのだと教わった記憶がある。




画像今春に開通した新幹線のおかげで日帰り〜2,3泊程度の日程を計四回積み重ねてこなせないスケジュールでもなかったのだが。。。

民宿の親爺、飯炊き婆ぁごときの虐げられた?8月の一カ月余りの日々から解放された喜びと、時間とカネの節約のため、「どうせなら向こうで泊まり続けるのも悪くないのでは?」と提案したこちらの思いつき程度の計画に、連れ合い、相棒が「それなら、手隙時間を利用して向こう(東京のこと)で美味しい味の探検も可能ネ」と、小躍りしながら乗ってきたためであった。


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文豪たちが住んだエリアの、本郷薬師とともに代表する神域の一つ、櫻木神社。


画像結果。

「時間」はともかく。「カネ」の方は、面倒でも新幹線の往復を繰り返した方が、よほど節約になったと。
リタイア世帯の貧乏主の身。今は深く反省している。

画像しかし、時間の方は、かなり贅沢に、潤沢に使えて、結果、もう一度、ぶらぶら歩きしてみたいと願っていた、静かでさほど変わっていない古い街筋や巷界隈を巡ったり、街筋再開発などにより表情を一変した目新しい、初めて見る表情の界隈を、おのぼりさん然ときょろきょろ巡ったりも出来た。


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炭団坂。

画像本郷台地から菊坂へ下る急な坂道。この坂上に坪内逍遥が暮らしていた。逍遥が引っ越した後は、寄宿舎・常盤会となり、高浜虚子や正岡子規ら日本の俳壇を担うことになった若き俊才たちが暮らしていた。司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」でおなじみ。




なかには、学校を出て以来五十数年ぶりの路もあり、様変わりこそしていたものの、わが青春時代の記憶につながる懐かしい一角や雰囲気を残す町屋一軒、、石碑や一枚の看板等の光景も。また、映画化された文人の半生記や小説の一場面に登場した風景も見られ、愉しく、おもしろかった。

巡った道や路は一般的な観光名所などではないため、果たして『旅』の範疇に入るモノかどうか??
旅の範疇に入らないのだから、このような旅日記『覚え書』に書き残すのは、ひょっとしたらブログを始めたころの趣旨、目的やわが思い入れからは逸脱しているのかもしれないが。。。

そろそろ、人生の巷、に差し掛かっている我が身だから。
残る、さして長くない人生の終盤の想い出のために、写真だけでも載せ置くことに決めた。


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画像所用の手隙となった時間帯に、その所用場所近くの街中をぶらついた写真ばかり。

小さなコンデジを、左手の中指を上縁に、親指を下縁で支えて、人差し指でシャッターボタンをポチッと押した、片手だけで撮ったルーズでいい加減な写真ばかりだ。

画像うち、今回は、司馬遼太郎著『街道を行く㊲〜本郷界隈』にも登場する、我々世代が学生であったころの真砂町、菊坂町、丸山町、菊坂台町、菊坂田町などの街筋だ。

あまり人通りのない時間帯に、文人たちの足跡をのんびりと追いかけた。
そんな、ある日の半日の記録。

画像あの有名な川柳『本郷もかねやすまでは江戸の内』を例にたとえるならば。
「江戸の外」の、瓦葺の家ではない町屋と小大名や武家屋敷がぽつり、ぽつりと武蔵野の森に食い込みながら並ぶだけの郊外であり、明治に入ってからようやく街筋へと発展した一帯、ということになるのだろうか。


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明治期、日本の文壇黎明期の文人たちの街でもある。

画像先に挙げた司馬遼太郎の『街道。。。』によると。

画像江戸期や明治のころは「よくほととぎすが啼いたらしい」住宅街で、現代・東京では、言葉は悪いが、時代の先端を走る先進地、先端地、観光地、繁華街などという言葉とはほぼ縁遠い、自分好みの、静かなエリアである。


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樋口一葉ゆかりの旧伊勢屋質店。

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啄木ゆかりの蓋平館別荘跡


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コメント(3件)

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何度もなんども、本当にすみません。
この日記を読んだのはアップされてすぐだったのに、
コメントを入れさせていただくのに、
こんなに時間が経っています、申し訳ありません。
お返事は、気にされないでください。

かねやす、不思議なお店ですよね〜。
洋品店っていうか、アクセサリーとかも売ってたり、
かなり不思議なお店でした。
ここまでが江戸のうちか〜って、思ったものです。

菊坂の界隈は案外入り込まないのでhiroshiさんの道案内で、
とても勉強になりました。
研究室の先輩は菊坂とか団子坂に住んでました。

この辺り、二食付きの下宿まだ残っているんでしょうか。
hiroshiさんの日記を読んで、「幾山館」って言う旅館が
どうなったかHPで確認したら、ホテルになっていました(驚)
かなりびっくりです。

本三の交番の裏に夜遅くまで出るラーメンの屋台が有って、
夜中も12時を過ぎる頃になると、残ったゆで卵をサービスで
二個とか三個とかラーメンの上に乗せてもらったと、男子が言ってました。hiroshiさんはご存知でしょうか。
もう、ないんだろうな、当たり前だけど。

なんだかとっても懐かしくて長々とコメントをしてしまいました。
今日はゆっくりコメントを入れさせていただけて、嬉しいです。
講演会とか、セミナーのスピーカーの準備でばたばたしていますが、とっても楽しみに読ませていただいています!
murmur1
2015/10/13 21:38
murmur1さん、

こちらにまで、コメント入れていただいてありがとうございます。

かねやす、おっしゃるとおりですね。
昔、先生のブログでお話したことがあったですね。本郷三丁目界隈のことで。懐かしいです。

これは先生とであったか、たえこさんとであったか失念しましたが。。。以前、何かの折にお話したことがあるような気がします。

ワタクシメ、学生時代は、池袋に住んでいました。
おっしゃる二食付きの下宿で。遠縁にあたる家で。

きっと父親は、自分の悪たれ息子が何か不埒なことをしでかさないか心配であったのでしょう。で、監視付きの下宿に放り込まれたのだと思います。

こちらも、そういう親の気持ちはそれなりにわかりましたから、4年間、反抗せずにしっかり親の言いつけを守ってそちらでやっかいになっていました。

で、そのころ、丸ノ内線はすでに開通していて、主にそちらで通っていたのですけれども。。。

時には定期代も飲み代や遊び代に使い込んじゃって、時折、都電で通学しました。
そうなんです。まだ都電は廃止になっていないころで、17系統が池袋駅前から走っていたのです。定期をなくすると、そのころの地下鉄はお茶の水まで片道30円、往復で60円。ところが都電は、学校まで至近。。。といってもちょっと遠いですが。。。の春日までで往復25円。その春日の電停から菊坂は至近です。で、結構通りました。懐かしい場所の一つです。

hiroshi
2015/10/14 12:35
〜上から続く〜

>本三の交番の裏

そうですか。
そういうラーメン屋さんがあったのですか。あの本郷薬師のあたりですね?

屋台などというとお嬢さま育ちでらっしゃる先生とは縁が薄い世界のハナシですが、その先生がご存じとは、かなり有名なお店なのでしょうね。

残念ながら、自分も知りません。

こちらは先生と違い、遊び人学生でしたけれども。
夜遅くの時間帯の、おっしゃる一帯の街中の食事場所や飲み場所のハナシはほとんど経験がなく、もっぱら池袋か新宿が遊び場でした。だから、知らないのかもしれません。

いろいろとご多忙のご様子。
おからだをお大事に、頑張ってください。

ちょっと話は先ですが、もう、年末年始のスケジュールはもうおきまりでしょうね?

今度はどちらかな??などと、勝手に推測して楽しませていただいています。今度は定番のピンクパレスかな?などと、今は思っていますが。。。

こちらは、近く、久々にクルーズ船に乗るつもりです。
なんと、3年ぶりです。
hiroshi
2015/10/14 12:38

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