潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS シベニクの聖ヤコブ大聖堂≒ベネチア「布告門」。

<<   作成日時 : 2016/02/18 17:32   >>

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画像妙なもので。

      

↑ 絵文字を上で目いっぱい並べたごとく。
ヴェネツィアのハナシを書くとなると、なぜか心弾みます。
→は、ドゥカーレ宮殿の「布告門」です。

あの街、ヴェネツィアにはもう、3年半余り、無沙汰しています。
随分行っていないような気がします。

やっぱり、好きなのですね。
一方的に、あの街に焦がれている。
今もなお。


「布告門」は、写真左側のサン・マルコ寺院と右側、ドゥカーレ宮との間にある。
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画像で。
「恋焦れている」。
だからと言って。
今回の旅日記の「覚え書」で、何を書きたいのか?

それは。

前回に書いた、シベニクの大聖堂を造った、ジョルジオ・ダ・セベニコ(Giorgio da Sebenico=英語など、イタリア語ではジョルジョ・マッテオ(Giorgio di Matteo)、クロアチア語ではユライ・ダルマチナッツ(Juraj Dalmatinac)のこと。

ジョルジオ・ダ・セベニコ。
上で「英語など」と書いてはいますが、言葉や文字が、という意味ならば、イタリア語です。英語ではこう呼ばれるように、世界共通となったこの人の名前はそうだ、というだけのハナシでして。

そうです。
かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ、「ヴィンチ村生まれのレオナルド」、と同じですね。セベニコ村、クロアチア語ではシベニク村、生まれのジョルジオ、というワケです。

シベニクの街中の、南に大聖堂、北にシベニク市庁舎を置くレプッブリカ広場に、彼の銅像が建っていました。

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画像ヴェネツィア。

世界中にその名を轟かす、水の都、海の上の街です。
だから、ま、ご存じの方は多いハナシ、だとは思いますが。。。

あの街の中心、サン・マルコ広場の、そのまた中核の一つに、ご存じ、ドゥカーレ宮殿はあります。
その宮殿の、サン・マルコ寺院南に隣接して昔の入り口。。。

。。。と言っても、現在は、宮殿見学後の出口専用になっていますが。。。


画像その入り口の名は、Porta della Carta、ポルタ・デッラ・カルタ=布告門。
最頂部に「正義の像」を置き、その下、ゴシック式の尖塔型アーチは下に向かって3段に分かれて、両サイドには、人としての美徳を象徴するFORTEZZA(勇気、堅固)、TEMPERANZA(自制心)などの像が配置され、中央段目に、聖マルコ、ひいてはヴェネツィアの象徴でもある有翼の獅子像とドゥカーレ宮殿が立った当時の総督フランチェスコ・フォスカリ像が置かれています。

この門。

「OPVS BARTHOLOMEI (バルトロメオの仕事)」との刻印がしっかりと残っていて、バルトロメオ・ボーノ(ボン)とジョバンニ・ボーノ親子による作品で、ボーノ家の工房の職人たち何人かが手伝ったもの、と理解されてきました。

画像しかし近年、その実態調査がグンと進んで、請け負ったのはバルトロメオの工房に間違いないが、実際に仕事を進めた彫刻家たちの中心にいたのが、ジョルジオ・ダ・セベニコであったことがわかってきたのです。

同時に、ドゥカーレ宮殿の回廊の彫刻群も、彼の手になるモノが。。。

画像日本で出版されるガイド本はもとより、ヴェネツィアで販売されている日本語版はもとより英語版でもそんな紹介はされていませんが。
イタリア語版は何年か前から、しっかりと由緒が訂正され、正確に書かれるようになりました。ネット上の百科事典、Wikipediaでも、上にイタリア語版ジョルジオの紹介文を載せたごとく、この国のそれではドゥーカーレ宮殿案内表示もしっかりと修正されて、ジョルジオ・ダ・セベニコの名前が出ています。


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で。
今回の「旅日記」です。

画像シベニクの世界遺産、聖ヤコブ大聖堂を、旧市街の東側、聖フランシスコ教会や昇天教会、聖イヴァン教会などと、街中の細い道筋を巡りながら訪ねて。

大聖堂の建物の東端の壁にたどり着いたところで、前回の“生首”ならぬ、人の頭部の彫刻像の行列を見て度肝を抜かれたわけですが。。。

今回は引き続き。
しつっこいですが、聖ヤコブ大聖堂の写真とハナシです。


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なぜ、かくもしつっこく、この大聖堂の写真ばかり載せているのか?

いささか個人的ですが。。。

ヴェネツィアに焦がれています。それも、今は無き、中世、共和国時代のヴェネツィアに。

で。

スロヴェニアからペロポネス半島の沖合までのアドリア海、イオニア海、さらにはエーゲ海、黒海までの、昔、ヴェネツィア共和国領であった主要な港町はすべて巡ってみたいとの、身の丈にあり余る“野望”を胸の内に秘めていまして。。。


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ま、死ぬまでにすべての街訪問は叶うハズはないだろうと、冷めた目線も同時に、頭の中に眠ってはいるのですけれども。

というわけで。
1797年5月12日、ナポレオン率いるフランス軍が入ってきてついにヴェネツィア共和国が崩壊するまで、およそ1,000年近く。。。

交易で繁栄を続けたかの共和国の海に面した飛び地は、これまでもいくつかは巡った体験で。

これまで訪ねたうちのかつてヴェネツィア共和国領であった街々の中では、シベニクのこの大聖堂の彫刻群の味わいは、結論としては、たまらないほどに魅力的であった。というワケです。
ひょっとすると、“生首”ショックの後遺症?、驚かされた反動が大きかったのかもしれませんけれども。。。

↓ 洗礼堂の天井のレリーフ像は、この聖堂をも手掛けた、かのジョルジオ・ダ・セベニコがドゥカーレ宮、布告門や回廊などに残した彫像の数々と、当たり前と言えば当たり前だが、イメージはうり二つであった。
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所詮、美術は分からぬ、門外漢ではありますが。

この人の作品を「度が過ぎた誇張」「ここまで行くとただうるさいだけ」などと、名の知られた世界の文豪の批判も承知で書きますが。。。イタリア語で言うScultore、彫り起こす才人としては、もっと名前が知られてもいいほどの作者であったのではないでしょうか。


広場を挟んで大聖堂の反対側に位置して市庁舎。セベニコの死んで後、大聖堂の建設を引き継いだダルマチア・べネトの職人たちで、並行してヴェネツィア共和国庁舎として建設されたが、これにもジョルジオ・ダ・セベニコの手、というか、構想が入っているのだという。
共和国時代の歴史を伝えるヴェネツィアの獅子のレリーフが、表情を変えながら↓二階の手すりを飾っていた。

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