潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 復元、スタリモスト。崩落した民族間、心の修復は?

<<   作成日時 : 2016/04/13 21:29   >>

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いよいよ、高齢化現象が我が身でも始まった。呆け始めている。
新聞を読み飛ばすようになった。とくにローカルニュースに目通し、しなくなった。


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で。
わが家の連れ合いに次ぐやじ馬派を自認するにも関わらず。
画像このニュースも知らなければ、引き続き、←ニュースの庭園が年に何回か一般公開されていることも知らず。

その今年第一回の「春の公開」がこのほど、5日間限定で始まったことを。会期終盤になってご近所の方に教えてもらってようやく知って。生まれて初めて、その屋上庭園を覗いてきた。

さすが、江戸時代から続く薬産地らしく、フジバカマやアマチャ、エビスグサなどの薬草をはじめ、初めて目にしたこちらでしか育たない多肉草エッチュウミセバヤなどの郷土の花の苗などが、パンジーほか、季節の花に混じって、広さ200平方メートルほどの小さな庭園の中に満開であったり緑鮮やかに芽出ししたばかりであったりと、結構面白かった。


画像1935年、昭和10年に完成したこの庁舎は今では国登録有形文化財だそうで、その建物の屋上で、昭和33年に昭和天皇が詠まれた歌碑も据えられていた。


高齢化現象のわが身への到来で、最近、自己嫌悪に陥っている。

長年親しんできたネット上のサイトで言わずもがなのことを偉そうにくっちゃべったり、書き込む文章に温もりも思い遣りも配慮も欠いて、納得できる説得力も論理性もなく、ただただ感情だけの書き殴りをつづったり。。。

この「覚え書」でもしかり。
老いさらばえて、いよいよ耄碌が始ったに違いない。


七十而從心所欲、不踰矩。

『論語』は、父に厳しく教えられて少年のころから心がけてきたのに。
70も半ばを迎えるのに。わが身、思うままにふるまうと、「矩(のり)をこえず」など夢のまた夢、人の道を踏み外しそうになったり「あわや!」と思う場面ばかりで、「不惑」さえ越えていない己の未熟さに赤面する。

情けない。

もう、そろそろ、店じまい。人生退出の準備を本格化するべきなのかもしれない。




   
                   



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スタリ・モスト。

誰がどうやって破壊したか?

ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦。。。うち、つまり、「ボシュニャック・クロアチア紛争」時。

画像ネレトバ川を挟んで対峙していたカトリック教徒たちクロアチア系民兵とボシュニャック(イスラム系)のうち、クロアチア系民兵の手により1993年11月9日未明に崩壊したと、一般的には報告されているようだ。

しかし、「どうやって?」は、ほとんど、明らかにされていない。
が、一般的には「砲撃による」とされている。


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しっかり眺めてみると、↑ ↓ ネレトヴァ川に崩落した16世紀創建時の橋に使われていた石か、それとも新たに切り出して以前の石にサイズをあわせて復元した石かが、よくわかる。

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けれども。

クロアチア本国発で「ボシュニャック側が橋に爆薬を仕掛けて爆破した」とするこういう主張もあり、セルビア本国発でまた、クロアチア系の民兵たちの仕業だとする、爆発する現場を撮影した写真を添えた“クロアチア人犯人説”の補強主張もあり、結局、誰が何を目的にどうやって、何故崩落させたのか、自分はもう一つ、理解できない。

歌の文句じゃないが。「♪済んでしまったことは 仕方ないじゃないの♪」。これから先、未来の、この街の人々の心の問題の方がよほど、大切なのだから。。。とも思うのだが。


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この街の観光ガイドをしてくれた、この街に住むクロアチア系のガイドさんによると。

この街では、橋が出来上がって以来つい20余年前の紛争当時までおよそ450年ほどは、イスラム教を信じる人々とカトリックのクロアチア系と、さらには正教会、セルビア系の人々たちは、この橋を行き来してそれぞれ互いのテリトリー間の往来を何百年も続け、友人、知人と言う関係はもとより、異教徒の垣根を乗り越えて結婚、出産など、親戚づきあいの歴史を積み重ねてきた一族も多かったのだそうだ。

しかしあの紛争で、旧ユーゴ時代とは比べ物にならないくらいに、民族間の心の垣根は大きくなっているのだそうだ。


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ネレトヴァ川の水は、翡翠色。涙色だ。。。
深さもかなりある。名物イベントの飛び込みは充分に出来るはずだ。
ということもあって、橋の石が崩れ落ちた川底は、目を凝らして覗き込んでも、幻ほどにも見えなかった。

復元後の開通を記念したセレモニーを終えてまだ10年ほどなのに、欄干に早くもナイフで削り取ったような落書きが無数に刻まれていた。


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モスタルの各住民たちの人口比率は、ボシュニャック系が3割強、クロアチア系が3割弱でほぼ拮抗。セルビア系が20%程度。橋が復元して以降、クロアチア系が増え続けていて、いずれ、あと半世紀もすれば6割を超えると推測されている。この人口の増減現象もまた、民族対立に微妙な影を落としているのだそうな。

紛争の始まりで途絶し始め、橋の崩落が決定的となって友情とか交流とかが断絶していった現在、
「それでは、このあと、この街に住む人々は、かつてのように宗教と民族の垣根を乗り越えて、橋が復元されたように友情を互いに取り戻すにはどうしたらいいのか? その手立てはあるのだろうか? それとも、再び対立は深化していって、あの頃と同じ虐殺、殺戮の時代に入ってしまうのだろうか?」と、遠慮もなくぶしつけに尋ねたら。彼は黙って、ただただ、首をひねってみせるだけであった。

ま、当たり前か。こんなアホな観念的な質問などには、答えようがないわなぁ。。。


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スタリ・モストの両岸の橋のたもとに、あの事件を含む橋の歴史をとどめる博物館が計2つ。
同じく、「忘れない」と綴られた、あの事件の小さな記念碑がまた、計2つ。。。。

心に残った。


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聖ペーター教会↓とコスキ・メフメッドパサ・モスク↑

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