潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 悲劇のスペイン無敵艦隊を見送った聖アントン城塞。

<<   作成日時 : 2017/05/03 23:55   >>

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前回に続く、スペイン、ガリシア地方、ラ・コルーニャ寄港時の「覚え書」である。


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11月28日、土曜日。

客船『クイーン・ヴィクトリア』を降り、人通りのほとんどない、ラ・コルーニャの“名物”の街並み、「ガラスの街」でしばらくぶらぶらした後。
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ラ・コルーニャ湾を囲む西北端の岬の先端に位置するサン・アントン城に到着したのは、午前9時40分過ぎであった。
城塞は、現在はガリシア地方の歴史・考古学博物館となっていたのだ。

きっと、ここで並ぶ入場者からエサをもらった経験があるのだろう。
入り口の、まだ閉鎖れている鉄柵前の石の手すりの上で、カモメが数羽、1メートルほどしか離れていない位置で人を恐れる風情もなく、やってくる人間たちをねめ回していた。


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そして。
さすが、イベリア半島、最北西端の街である。
夜明けの遅さに続いて朝日の入射角も9時を回っていてもまだまだ低く、ほぼ目線の高さから陽が射してくるので、サングラスをしていてもまぶしい、まぶしい。


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城の前の小さな広場に到着したら、先客が一組。
後刻知るのだが、イングランドからの乗船客のお仲間であった。そして詳細jは後ほど記すが、歴史上の“敵情視察”に似た、好奇心に衝かれてのご来訪だ、とお聞きした。

そのお二人の後に並んで開館を待つ。
ローマやフィレンツェ、ヴァチカン、パリなど、世界の名だたる観光地の博物館や美術館は、早ければ午前8時15分から、一般的に午前9時開館が多く、遅くとも9時半にはオープンするが、スペインでは、どちらの街を訪ねても開館時間の遅い場所が多い。


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こちらの博物館。

田舎の小都市だから来場者はさほど多くないハズで、柔軟な対応がとれるハズにも関わらず。。。
こちらでも、オープン時間はあのプラド美術館並に午前10時と遅く、入場するのに20分ほど待たされた。

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そしてやがて。
多分、客船『QV』の乗船客ばかり?だと思う入場待ちの行列が9人になったころ。
午前10時10分ごろ。

ガイド版に表記してある「オープン〜午前10時〜」などの文々はどこ吹く風の、悠々せまらぬ足どりでチケットブースにやってきた係のおばさんが、同じのんびり、ゆったりとした態度で、「入れ、入れ」の合図だろう、手のひらをゆっくり左右に振りながら。。。

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「今日は入場無料よ。ご自由にどうぞ」とスペイン語、フランス語、英語の順で告げ終えると、ギチギチギチと鉄のこすれ合う癇に障る音を響かせながら、入り口の鉄柵を遠隔操作で開いてくれたのだった。

土曜日なのに。。。
いや、この国はスペインだから、土曜日「だから」、であったのか? なんと、一番か、あるいは二番目のかき入れ時であるハズの土曜日なのに、入場無料であった。

イエ〜〜イ 根がケチなもので。たった2ユーロとはいえ、朝から大儲けした気分でラッキー、ハッピーとルンルン気分でエントランスへ。


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途中、要塞の船溜まりへ降りる暗渠状の坂道の切れ目から、500メートルほど先の湾内に、停泊する『QV』が見えた。


。。。と、かく、指先のおもむくままキーボードを触っていると随分文章が長く長く伸びるもので、この辺りでいつものごとく、書き終わった後の文章を添削。
駄文につきものの無駄な文章の削除、削除を繰り返して。。。

以下、その結果の短めの文章で。。。


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城内のあちらこちらに、11月も下旬、冬至はもうすぐだというのに、紫陽花の群落の花、真っ盛りであった。四季咲きの西洋紫陽花、いうところのハイドランジアなのだろうが、11月にこの花、開花全盛期の姿をみると、とても違和感を覚えた。

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このサン・アントン城。

ポルトガル王朝の断絶を機に1580年にポルトガルを併呑したスペイン王、フェリペ2世の手で、16世紀後半に築かれたのだそうな。
1580年代初頭から工事が始まり、正確には1589年に完成している。


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20世紀に陸地と堤防でつながれたため現在では陸続きだが、もともとこちら、陸地から100メートルほど離れたラ・コルーニャ湾に浮かぶ小島であったのだそうだ。

昔、3世紀〜4世紀にかけて当時としては珍しく104歳もの高齢で没した、キリスト教に荒野での修業を定着させていったエジプトの聖人、聖アントンに捧げる小さなチャペルが中世に設けられた岩ばかりの島であったのだそうだ。


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なぜ、フェリペ2世はラ・コルーニャの港の小さな島のそのチャペルを取りこんで要塞化したか?

これから先のハナシは、中学生のころに世界史で習った、かの有名な単語のかずかずの世界だ。

どんな単語か?
順に並べ上げれば「大航海時代終盤」〜「フェリペ2世」〜「エリザベス1世」〜「英西戦争」〜「スペイン無敵艦隊」〜「「アルマダの海戦」〜『海賊=海軍提督、サー・フランスシ・ドレイク」etc。。。

現代でもなお、これらを素材とする↓かくのごとくの映画や小説の作品発表がが跡を絶たない、ドラマチックな歴史世界だ。





その一端〜〜。

1588年5月28日に、併合されてスペイン領となったリスボンを発ったスペイン無敵艦隊の艦船130隻。
6月19日に、スペイン最後の寄港地、ラ・コルーニャに到着。燃料や食料、水を補給して3日後、建設中のサン・アントン城塞でのスペイン軍兵士や技師らの見送りを受けながら、英仏海峡へと旅立った。。。


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以降、イングランド、スコットランドを反時計方向に巡りながら数度の戦端を開いて、無敵艦隊は小回りの利くフランシス・ドレイクらの率いる英国艦隊と嵐に壊滅的な敗退を喫して、およそ100日後、艦船は半分に減って、兵士や乗組員の戦死者も多数出て、スペインにようやくたどり着く。。。

英西戦争はその後も続き、翌年にはドレイクに率いられた英国軍がラ・コルーニャに侵攻。
この時は、ラ・コルーニャ市民総出の反撃で、およそ1カ月ほどでドレイク率いる英国軍を撤退させたが。。。

ポルトガル、スペインが切り開いた大航海時代の栄華、栄光は、エリザベス女王率いる英国の手に渡った歴史の一端、大きな転換点が、この街、ラ・コルーニャにしっかりと残っている、というワケだ。


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画像↑ケルトの人々の村の再現図。
ガリシア地方には、セブレイロ峠のケルトの血をひく人々の、ケルト遺跡そっくりの家々が⇒現在も現役として残っている。

木組みに動物の毛皮を張り合わせた船で移動したケルトの遺跡から発掘された船の↓再現模型。


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客船『クイーン・ヴィクトリア』の今航海の乗船客1910人中、およそ86%の1647人が英国人であった。
その英国人のうちの歴史好きな人たちは、この街のこのような歴史資産には、やはり、自然と目が向くのだろう。
こちらに一時間ほど見学していた間。お仲間の乗船客の皆さんが、どんどん増えてきたのだった。


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最後に。

こちら、サン・アントン城、近代に入ってから20世紀半ばまでは刑務所として使用されていて、博物館として開館したのは半世紀ほど昔であるそうだ。

展示品は、上記、英西戦争から対ナポレオン戦争の時代にかけての遺物よりも、このガリシア地方に現代も残る、たとえばこの街から70キロほど南東に離れた、ひと昔前に訪ねたセブレイロ峠の遺跡群など、ケルト人の遺跡や遺物、さらにはその後この地に植民地を築いたローマ帝国時代の遺物などの方が興味深かった。


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さらに。
以下、少々品性に欠けた優雅さのない尾籠な、相棒をはじめ、わが家のおんな3世代には眉をしかめられ、険しい視線を向けられる話題ではるのだが。。。

こちらのトイレの↓絵文字がチト面白かった。


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同種絵サインというか、マークの楽しさとしては、こちらのそれはさほど高得点は与えられないけれども。
ここ最近、面白いその手絵文字に巡り合っていないもので、かろうじて合格点(?)を与えて、記録にとどめることにした。

画像ちなみに。
これまでに採集したわが同種絵文字の「ベスト3」は、これまでにも書き残してきたが、第1位は→ヴィルフランシュ・シュールメールのペタンク・クラブの、

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第2位はイタリア⇒、某空港の、

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第3位はリスボン、→国立アズレージョ美術館のそれである。

ウッシッシ♪









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