潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 運悪し。ラ・コルーニャ、市庁舎広場、ピカソの家とも。。

<<   作成日時 : 2017/05/10 23:02   >>

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シンピジウムの一鉢が、3〜4日前から咲き始めた。
季節外れも大はずれ、こんなに遅くに咲き始めたのは、初めて。

元々遅咲き種で、日本では新年度や新学期、巣立ちのシーズンとなる3月下旬から4月上旬に咲き始める種ではあるのだが。。。

花の下垂茎が例年よりも心もち短めなので、多分、栄養不足か日光不足が原因。
栽培の失敗であったのだろう。。。
記録のため、写真を撮った。



               
                   


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さて。
長々と続けている、客船『クイーン・ヴィクトリア』での≪カナリア諸島&マデイラ島クルーズ≫旅の続きである。

最後の寄港地、スペイン、ガリシアのラ・コルーニャでぶらり、旧市街をのんびりと歩いた際の「覚え書」、最終回である。

まず最初。
↑ ↓ 「コルーニャ市ダ・グワルダ工芸学校(Instituto da Guarda en La Coruna)。


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そは、何モノ?だ??

日本で言えば、美術工芸の専門学校といえようか。
専門学校ならば、各地にあまた、あるもので。。。なぜ、ここが観光名所なの?と。。。

恥ずかしながら。
ひと昔以上もむかし(。。。馬から落馬と同じ、アホな表現だが。。。)、初めてこの街へ来た時は、こちらが観光の名所の一つであることを知らなかった。


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パブロ・ピカソゆかりの学校だったのだ。

スペイン南部、アンダルシアのサン・テルモ工芸学校の美術教師であったホセ・ルイス・ブランコの長男として生まれたピカソは、幼少時から絵画で非凡な才能があり、父の指導を受けながら育ったが、ピカソ11歳のころにコルーニャのダ・グワルダ工芸学校教師に転じた父とともに一家でコルーニャに引っ越し。引っ越したその年に父が教鞭をとる学校に入学して11歳から15歳までを過ごしている。

つまり、この学校はピカソの父の務め先であり、ピカソが初めて高等教育を受けた学校であるわけだ。

ピカソはその間、絵解き新聞「青と白(Azul y Blanco)」を自ら描いて発刊し、その記録が現在でも、描いたラ・コルーニャの美しい海岸線の作品などとともに残っているほか、成績優秀なため2年も飛び級で上位学年に進む、14歳の時に描いた闘牛のマタドールと牛の絵の出来上がりが素晴らしかったため、父は「これはとてもかなわない」と、自分の絵筆をすべてピカソに譲り与えて描くことを断念したとか。。。さまざまな逸話が残っているそうだ。


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学校から南東へ、走れば1分ほどの至近距離。
↑ゴメス通りに、かつてピカソ一家が住んでいた家があり、現在は「ピカソの家美術館(Casa Museo Picasso)」として整備されていた。
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しかし、残念。
シェスタの国である。
時は11月28日、土曜日、午後の早い時間帯に門前に達したが。。。既にクローズド。
次の開館は、夕刻、船の出港予定時間のころで、結局、内部を観ることは出来なかった。



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ラ・コルーニャ旧市街の中核、マリア・ピタ広場とその広場に面して建つ、外観が美しい ↑ シティーホール、市庁舎も、残念な観光となった。


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広場ではイベントの準備が進められ、屋台らしい木造建築物が次々に建てられていた。で、シティーホールの美観も、その屋台?群が目障りで、結局、良い写真は撮れずじまい。


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一方、シティーホールは、カメラを抱えた新聞記者と思しき人々やテレビ・カメラのクルー、さらには、ものものしいいでたちの警備関係者が、それぞれ目立たぬように壁際に隠れるように参集していて、内部見学もオフリミット。入れてくれなかった。


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広場でどんな催しが開かれるのか? あるいはシティホールにどんな“大物”がやってくるのか? 
いくら好奇心旺盛でも、尋ねるのもはばかられるような雰囲気で、結局、早々に退散した。


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広場に建つ銅像は、広場の名前にもなっているマリア・ピタ。

マリア・ピタは、ラ・コルーニャを英国軍の襲撃から守りきった、「防衛の英雄」とこの街の人々からあがめられている女性。
前回にも書いた、スペイン無敵艦隊の基地でもあったこの街の港を出港した無敵艦隊が、新興の海軍勢力、英国艦隊に大敗を喫した翌年、英国、フランシス・ドレイク卿率いる英国海軍に攻め入られる、その戦いの歴史の中で活躍した女傑だ。

112メートル×99.50メートルの壮大なマリア・ピタ広場のほぼ中央に、像は建っている。


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シティーホールは、一部4階建て、3つのドームを持つ美麗な建物だ。
20世紀初頭に完成している。


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今回は、その美しい全体像を撮れなかったもので、前回に訪ねた際のビデオカメラによる→静止画と写真を載せた。



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砦跡に整備された、サン・カルロス庭園。
18世紀に建てられた瀟洒なガリシア王国公文書館の前に、緑豊かな散歩道が続く。


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公園の一角に、花で飾られた墓があった。

19世紀初頭、ナポレオン・ポナパルト率いるフランス軍と。
スペイン市民、
さらには、参戦した、ナポレオンと敵対する英国軍との間で激しい戦闘が繰り広げた。。。

スペインでは「スペイン独立戦争(Guerra de la Independencia Española)」、英国では「半島戦争(Peninsular War)」と呼ぶ戦争のうち、ラ・コルーニャの戦役で死亡したスコットランド出身の将軍ジョン・ムーア(John Moore)の墓であった。


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ジョン・ムーア卿は、この地で埋葬してほしいとの希望を残しての戦死であったという。

フランスに対する敵愾心の強いガリシア人の大地、ラ・コルーニャである。地元の人々に愛されているのだろう。真新しい花々が活けてあった。

港を見下ろす展望台から、クイーン・ヴィクトリアが間近に見えた。


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↑ 戦争博物館。


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↑ ↓ サンタマリア・カンポ教会。

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↑ サンティアゴ・アポストル教会。


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↑ サン・ニコラス教会。


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↑ ラ・コルーニャの科学博物館「人間科学館(ドムス)」。日本人建築家、磯崎新氏の設計だ。


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→ 世界遺産、ローマ時代の灯台、ヘラクレスの塔へは行かなかった。大西洋から吹き寄せる風の強い場所に建つので有名だが、この日は、旧市街でも風が強く、岬先端の強風を嫌ってパス。


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↑ ↓ 美しく長いビーチとして有名な、旧市街の西、リアソール海岸でも、波浪は1.5メートルを超していた。

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