潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 「プライド・オブ・アメリカ」。ハワイ4島クルーズ。

<<   作成日時 : 2017/06/14 23:11   >>

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随分長い間、ブログを休んだ。


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↑ アルフォンス・ミュシャの「スラヴ叙事詩」連作20点のうちの「ロシアの農奴制廃止=自由な労働は国家の礎」(1914年、6.10x 8.1メートル)。
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ロシアの近代化を目指した皇帝アレクサンドル2世が行った1861年の農奴解放令布告の日を描いている。作中、およそ中ほどに立つ人物が布告を読み上げる役人である。周囲の人々は熱心に聞き入るわけでもなく、また歓喜に包まれるといった風でもない。背景の右側にクレムリン宮殿、中央に→聖ワシリー大聖堂。



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今回は、旅先からどしどし「覚え書」出来るようにと、ネット社会に無知な分野の勉強もそこそこして機器も準備し、旅に出発したのだが。。。

旅が面白すぎて遊び過ぎ、結果時間がなく、これまでと同じようにほとんど「覚え書」を旅先から送り出すことは出来なかった。

で。
まずは、いささか旧聞、のハナシからの「覚え書」だ。

「旧聞」に加えて、「六日の菖蒲、十日の菊」のごとくの、会期終幕後になってようやくここに書き出す、間の抜けた「覚え書」ではあるのだが。。。


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会場の国立新美術館は↑写真の通り、入場に長蛇の列が続く大混雑だった。


五月最終日曜日に。
長い間観たいと思い続けてきたアルフォンス・ミュシャの絵をようやく、チェコではなく日本で開かれた会場で、眺めることが出来たのだった。

観たかったのは、「スラヴ叙事詩(チェコ語=Slovanská epopej 、英語=The Slav Epic )」の、シリーズ連作20点。

ポスター「ヒヤシンス姫」など、パリ時代に製作されたリトグラフなどの小品は、プラハ旧市街、プラハ本駅からほど近いミュシャ美術館や、国内でも所蔵作品の多い堺市立文化館・アルフォンス・ミュシャ館でも見られる。

しかし、彼が晩年、チェコに帰国して以降、十数年をかけて制作し、ホンの数年前にようやくプラハ旧市街広場の美術館に戻ってきた「スラブ。。」は、オーストリアとの国境に近い南モラヴィア地方の彼の生まれ故郷の小さな村、イバンチツェの城に所蔵されていて、ツアーなどで手軽にチェコを訪ねても、観ることは叶わなかったのだ。


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「ミュシャの故郷である「イヴァンチツェのチェコ兄弟団学校での、チェコ語による(のちにクラリツェ聖書と呼ばれる)聖書の印刷風景」(1914年、6.1×8.1メートル)。

というわけで。
12年ほど昔、イヴァンチッツェと30キロほど離れた南モラヴィア地方の首都ブルノで三連泊し、うち1日はイヴァンチッツェを囲むように点在する二つの村。。。一つは中世の雰囲気を今も色濃く残し城郭もある、ワイン産地の村ミクロフ。もう一つは同じくワイン産地で地下に延長27キロもの地下道を持つ珍しい村ズノイモを観光。。。

残る一日は自由行動日だという、南モラヴィアと温泉地カルロヴィ・ヴァリなどのボヘミア地方をゆっくりと巡り、周辺の城と「美しい村」を訪ね周るちょっと珍しいコースを設定した中堅旅行社のツアーを見つけて、参加したのだ。

当然、その自由行動日の狙いは「スラヴ。。」に焦点を合わせて。。。
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で。
自由行動日の一日を「スラブ。。」見物に充てる予定で胸膨らませて出かけたのだが。。。
事情で結局、目的は果たせなかった。

その果たせなかったほろ苦さは、これまで、カルロヴィ・ヴァリから持ち帰った飲泉カップ→を観るたびにぶり返していたのだ。
そして今回、国立新美術館でミュシャ展を観て、ようやく解放されたのだった。


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「スラヴ菩提樹の下で行われるオムラジナ会の集い=スラヴ民族の復興」。(1926年、3.9×5.9メートル)。

民族運動団体オムラディーナの若者たちが、スラヴの女神スラヴィアに誓いを立てる場面を描く。占術の象徴である菩提樹に女神スラヴィアが座る。



「スラヴ叙事詩」連作20作品。

作品のサイズは、うわさで聞いていた通り超巨大であった。
小さなもので4.05×4.8メートル。
大きなそれで6.1×8.1メートル。畳を敷きつめれば29枚も敷き並べられることになる。

その巨大な絵の前で。
会期終盤を迎えておびただしい来館者で会場は大混雑しており、来場者が絵の中の群衆と重なり合って、絵の世界と会場はあたかも一体化してつながっているように見え、絵はより一層迫力を増して見えたのだった。



               
                     


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ハワイに行って、クルーズ船に乗ってきた。
ご存じ、NCLアメリカの『プライド・オブ・アメリカ』だ。


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個人的なハナシであるが。

この船に乗ることは、自分にとっては、清水の舞台から飛び降りるほどの、迷いに迷った末の、実に≪英断≫ だったのである。

なぜか? 
何故≪英断≫であったのか??

これまた、いささか個人的ではあるが。
ハワイでクルーズ船が走り始めたのは、自分にとって、この世に「クルーズ」なる「お遊び」があることを知ったのと、時はほぼ重なっていたのだ。


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リタイアして間もなくの2004年5月。
我ら夫婦は、処女航海に次いで2航海目のHALのクルーズ船『ウェステルダム』、ヴェネツィア発アドリア海・エーゲ海・地中海巡航コースでクルーズ・デビューした。

デビューしてただちに、クルーズの魔力に取りつかれた。
以降、クルーズが好きで好きで。。。

一方、ハワイでクルーズ船の定期巡航が始まったのは、その2カ月後、2004年7月。
NCLアメリカの『プライド・オブ・アロハ』(現ノルウェージャン・スカイ)が就航した。

現在の『アメリカ』と同じ7泊日程で、日曜にホノルルを発って現在の『アメリカ』とはほぼ逆回り、つまりナウィリウィリ→ヒロ→コナ→カフルイ→ホノルルの順で巡り始めた。

やがて間もなく。ハワイでのクルーズ巡航は、『アメリカ』が加わり2船体制に、さらに『プライド・オブ・ハワイ』(現ノルウェイジャン・ジェイド)が加わって2007年まで3船体制で続いたが、間もなく現在の『アメリカ』1船体制に戻るのだ。


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と。
↑ 頭脳明晰でもないくせに、なぜ、かくも昔のことをがっちりとおぼえているのか?

そのワケは、ハワイ好きのクルーズ好きであったから、と、極めて単純。

相棒の影響でヴェネツィアに焦がれ始め、ヨーロッパが好きになって行って、ハワイからヴェネツィアへと、「恋」の対象をチェンジしていった変節漢であったからだ。
恋の相手を変えた歓び?と、その逆の負い目の心??が錯綜した時期は、否が応でもよく覚えているものだ。


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恋の変節?を成し遂げる??までは、多少年季の入ったハワイフリークであった。
ハワイに恋焦がれて、夏休み中の家族と往路だけ一緒に、仕事の関係で急ぎ帰宅する必要があったため帰路はひと足先に単独で、たった2泊4日だけの旅も何回か。
何年か前にブーム化した、弾丸ツアーのはしりのごとくの旅も経験している。

ハワイは、高層コンドミニアムや超豪華ホテルとは縁遠い、昔の面影を宿す、チープなひなびた雰囲気が好きである。
もともと貧乏人であった所為もあるのかもしれないが。


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6月3日午後7時、クルーズ・ターミナルのピア2を出港。はるか東に見えるダイヤモンドヘッドは、沈んだ夕日の残光を山肌やその上のうす雲に残して、淡いピンクに染まっていた。美しかった。

で。
リタイアしたころは既に、ワイキキのごとくの華やかな雰囲気は敬遠する気持ちが強く、ハワイ島のカイルア・コナ界隈の安ホテルに馴染んでいた。

クルーズ・デビューを終えて間もなく。
そのカイルア・コナの安ホテルでまた何日か過ごした。
ちょうどその時。
就航してまだ2カ月ほどの『プライド・オブ・アロハ』のテンダーが、コナのホテル横の、現在のように埋め立てて広められたそれではなく、もう少し手狭な、まだ木造りの埠頭が残っていた桟橋に本船との間の往復を繰り返す姿を目撃した最初であった。


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クルーズ船のハレの舞台の一つ、「ハリウッド・シアター」へと続くエントランスの両サイドには、愛機を構えたカメラマン群の待機する情景が描かれていた。わが家の相棒はこの一角が結構気に入りで、多くの乗船客と列をなしてシアターへ出入りする際に、冗談でそのカメラマンたちに投げキッスしたり、「今日は疲れていて肌の具合が良くないの。撮らないでぇ〜」と冗談を言ったりしていた。
この場面で、誰もが連想したり思い起こしたりするハリウッド大物女優たちのゴシップ記事の一片などで、大人になるとそういう出来事を思い出しても恥ずかしくてそんな真似など出来ないのに。思いついたらそのまま、恥ずかしげもなく無邪気に実行して見せるところが彼女のすごいところだ。。。

それがアメリカ人乗客たちに受けて、たった7泊の乗船期間中、数多くの友だちを作っていた。


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クルーズ・デビューしたてのハワイ・フリーク男は、以降、しばらく迷いに迷い続けた。
何を、なぜ迷い続けたのか?

ハムレットは「To be or not to be; that is the question」であったけれども。
こちらは「あの船に乗るか? 乗らないか? それが問題だ」。

臆病者である。
石橋を叩いて渡るどころか、叩きに叩いて、橋を壊してしまって結局渡れなくなった経験さえ持つ、臆病ぶりを良く言ってもせいぜい「慎重派」人間なのだ。

ホテルやコナの地元関係者に聞くと、このクルーズ船、良い噂ばかりでなかった。
悪い評判も結構多く、せっかくクルーズの素晴らしさ、面白さに魅せられたばかりなのに、ハワイでクルーズ船に乗って夢を壊されたくなかったのだ。


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メインダイニングの「スカイライン・レストラン」の一角。NYか?SFか? それともどこかほかの街か? 壁際に大都市のビル群が大空を切り取る絵が描かれていた。

船内の絵でもう一つ、面白かったのは、前部、中央部、後部にある各階段の壁面すべてに、たとえばボストンのビーコンヒルやゴールデンゲートブリッジなど、アメリカ人の誇る光景が結構魅惑的に描かれていたことだ。


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『プライド・オブ・アロハ』の絵もあった。


というワケで。
以来十数年。。。

体力落ち目、死期もそろそろ、遠くに見え始めた年齢に達してきて。
「もう、ガッカリしても精神的にさして影響はないでしょ? このまま乗らずに死ぬのは、ガッカリするよりももっと悪いことと違うの??」と、妙な説得をする相棒の言葉になんとなく納得して、ついについに。
年貢の納め時で、ハワイ4島巡りクルーズ船に乗ってきたのだった。


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船の中でのアクティビティやエンターテイメントもナイスだった。
最近のクルーズ船は、船内アクティビティで無駄な金を使いたくないのか、たとえばイヤリング作りやペーパーフラワーメイキング等のハンド・メイド教室が激減しているが、この船では花のレイ作りやククイナッツのレイ作りなど、アクティビティが数多く企画されているのが面白かった。


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で。
結果。

長い時の積み重ねの中で覚悟ができていたからだろうか?
乗り組んでいるアメリカ人スタッフの対応は、さほど悪くはなかった。
いや。
中にはなかなか素敵なスタッフも結構乗っていて、楽しかったのである。
不安は杞憂であった。


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ヒロからコナへの航海中の夜。ハワイ島、火山国立公園のカモクナ溶岩デルタ。海に滝のように流れ落ちる溶岩流を眺めることが出来た。

カウアイ島では、最大の見どころのナパリ・コーストでの夕刻、当初、低く垂れ込めた厚い雲と雨で視界は300〜500メートルしかなく、緑の断崖は全く見えなかったが、やがて雲が晴れて虹が出て、夕日に輝く姿を見せ始めてくれた。ラッキーだった。


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結論。
乗ってよかったぁ〜〜

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船内各所に、使用フリーの自動撮影+Eメールで画像を自動配信する機器が設置されていて人気を集めていた。ネット先端技術に疎い我ら夫婦に、船内で知り合ったアメリカ人ご夫妻が教えてくれたが、ホントに届くのかどうか眉唾の思いであったのだが。。。昨日帰国して、本日メールを開いたら、しっかり届いていた。

10日に下船したら、ハワイの名だたるイベントの一つ、キング・カメハメハ・セレブレーション・パレード開催日であった。びっくり。


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コメント(8件)

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hiroshiさん、おかえりなさいませ。

楽しみに待ってましたよ〜
「旅が面白すぎて遊び過ぎ」←これほど読み手まで嬉しくなる表現はありませんね。スバラシイです!

行き先はハワイでしたかぁ。
私もバンクーバー〜ハワイを思案中でして、旅行記を参考にさせていただくことになるかと思います。
キング・カメハメハ・セレブレーション・パレードなんて楽しそうで、じゃあ6月?と迷ってしまいますが。

アルフォンス・ミュシャは、有名な絵を見て「この人が描いたのか」とわかりましたが、名前ではわかりませんでした。(それくらい無知でして・・・)
南モラヴィアの人なんですねぇ。
カルロヴィ・ヴァリは6年前の今頃の時期に、モラヴィアやスロバキアになりますと20年以上前に行ったきりですが、あまり良い思い出がないチェコでも南モラヴィアの人にはとても良い印象が残っていて、あの温かい感じの絵に妙に納得してしまいました。

今日はカトリック教の祝日らしく、家の前の工事(←2年間かけての大工事)もお休みで、静かな時間にhiroshiさんのお話を読むことができて贅沢な気分です。
異宗派地域で働く相棒がいないのもまた贅沢で。(むふふ)
かいり
2017/06/15 17:31
かいりさん、

ありがとうございます。無事帰ってきましたぁ
ハワイは、学生時代の同窓生仲間が集ってワイキキの外れの日系ホテルで馬鹿騒ぎして以来、実に10年5カ月ぶりでした。

十年ひと昔とはよく言ったものですね。ヨーロッパの街に少し馴染んだためか、ワイキキはもとよりホノルル全体の様変わりぶりに驚いてきました。昔は、特にワイキキ界隈はたいがいのお店の名前や位置までしっかり頭に入っていたものですが。。。帰り新参どころか、初めてあちらを訪ねたごとくに、知らないことばかりいっぱいでした。

船はホントに面白かったです。
NCLは昨年11月、ヴェネツィア発のノルウェージャンスプリットに乗ったのが初体験で、実は、あの船の印象があまりいいものではなかったもので、今回もおっかなびっくりだったのです。
しかし、スプリットとは船の造りも、そして一番懸念していた、アメリカ人スタッフしか乗っていないというあの船のサービス面にも大きな危惧を持っていたのですが、うれしい誤算でした。アメリカ本土、とくに人種偏見の強い土地で時折感じる日本人に対する差別感も全く感じることはなく、日本語訛りを気にする必要もないほど親切に、快活に接してくれるスタッフたちに感嘆しました。実に居心地は良かったです。社員教育の質の高さを感じました。

観光地巡りは全くしませんでした。
生意気に聞こえるとなんですが、どの島の名所も若いころから何度も訪ねていますしね。年甲斐もなく、ちょっと行動的な遊びに挑戦するか、かつての知人が関わるお店やコーヒー農園を訪ねたり、船のハンドメイド講座を覗いたりと、地味目の過ごし方ばかりしてきました。が、結構時間が足りず。。。
hiroshi
2017/06/15 21:04
〜上から続く〜

ミュシャは、相棒がファンでして。。。自分も、正直、無知であまり判らないのです。ただ、あの国の、あの時代の、たとえばミュシャとかクプカとかスメタナとかには、あの国の抑圧された政治風土と相まって、なんとなく心情的に共感する部分が多いですね。

ご主人はご出張中ですか?
そうでしょうね。わが家の相棒も、こちらがまだ現役のころ、単身赴任していたころは、どこか嬉しそうだったですね。オトコはつらいよ、男は寅さんの世界ですかね〜。どちらの国でも。とほほ、ですね。
hiroshi
2017/06/15 21:05
hiroshiさん、こんばんは。

そうですか、ハワイは十年ぶりでしたか。
ヨーロッパは変化が少ないですから、それに慣れてしまうと変化が激しい場所に困惑してしまいますよね。
私も日本へはまともに十年以上帰っていませんから、帰るのが怖いです。(苦笑)

「ちょっと行動的な遊び」←引っかかりましたよ。
これは後日のお楽しみでしょうかぁ?
登山・カーレース等々行動的で面白い遊びをよくご存知のhiroshiさんが今回は何をされたのか興味津々です。

横の人は州を跨いで通勤しているため、勤務先と居住地の州で宗派が違って祝日も違うんです。
私達夫婦はどうもプロテスタント系の地域と縁があるようで、たぶんカトリック系の地域に住むのは現在の場所が初めて。想定外の日が祝日だったりして、買い物ができない!とか、旅行前に溜め込んだリサイクルゴミが捨てられなくて困った!なんてことがよくあります。
それで今日はビールを切らしてしまいましたよ。(泣)
かいり
2017/06/16 02:55
かいりさん、こんばんは。

おっしゃるとおりですね。アメリカや日本の変化のスピードとヨーロッパのそれとは、かなりの差がありますよね。かてて加えて、街並の保存を優先するか、時と共に進化する街を選ぶかという、いうところの価値基準にもかなりの意識の差がありますから。
おっしゃるとおり、日本にお帰りになると、ご存じであった昔の姿をお探しになるのにかなりご苦労なさることでしょう。

>「ちょっと行動的な遊び」

あ、はっは
ちょっと大げさにすぎましたかね?
いえ、たいしたことではないんですよ。かいりさんは、ひょっとするとかなりの腕前でらっしゃるのかも。
若いころにさえやったことのない海辺の遊びを、初心者教室でこの歳になって初めて体験した、ということでして。。。お恥ずかしい次第です。

ご主人は、そういうことでしたか。
そうですね。
そうか、そちらの国の中には、そういう事情を持つ地域も結構あるらしいではないですか。ベルギーも一部、そういう習慣の違いがエリアごとにあるんじゃなかたですか?
それで、ビールが切れたんですか。そりゃぁご主人が大変だ。わが家だったら、こちら、相棒に文句たらたら、怒り心頭かもしれませんなぁ〜
hiroshi
2017/06/16 20:51
まずはお帰りなさいませ、hiroshiさん。

あのお船に乗られるのだと、ハワイからのお返事を下さってから、もうウキウキ、ウキウキお帰りをお待ちしていました。

10年半振りでらしたのですね。
大好きなハワイで、大好きなお船、最高でらっしゃいました。
ハワイのクルーズに乗船するか、お迷いが有ると
あの頃仰られていましたが、杞憂で何よりでした。
万歳。

私は正直、あれが初めてのクルーズでなくて良かったと、思っていたので、hiroshiさんのお話を伺って、なんだかほっとした思いです。
私の乗船が2006年でしたから、大分改善されるのも当たり前ですね。hiroshiさんのお墨付きが有るのだから、もう安心です。

良かったですね、楽しいクルーズで、
沢山の楽しい船内生活が、もう既に存分に伝わって来ています。

あぁ〜〜〜、ハワイに無性に行きたくなってきてしまいました。
かいりさんも仰られている通り、私も、びび〜〜んと、
反応しましたよ、行動的なアクティビティ!

なんだ、なんだ。海辺?

サーフィン? パラセーリング?
フライボードだったりして!!!

ハワイ日記、楽しみにお待ちしております。
まずは、ゆっくりされてくださいね。
murmur1
2017/06/16 21:53
murmur1さん、こんばんは。

そうそう、10年余ぶりでした。
以前お話したような気がしますが、同窓会を兼ねたゴルフ大会がありましてね。けれどあの時は、アラワイ・ヨットハーバー前のホテルに泊まってワイキキ中心部はタクシーで一度走り抜けただけでしたから、正確にはワイキキも訪ねていないことになるのかもしれません。
とすると、ワイキキは、孫たちと一緒に行った夏休みが最後で、15年ぶりなのかも? 様変わりして、知らないことがいっぱいだったのも当然なのでしょうね。

そうですね。
先生の場合は、確か、フライドポテトでしたっけ? プール周りでそれを取りにいらっしゃっときにあの国の人種差別のさ中に、あの船の中で遭遇なさった、と言うお話だったですよね? 形はちがいますが、似た体験をハワイのグラスボートツアーやサンセットディナークルーズなどで何度も体験しています。嫌ですよね、あれは。

今回は、そういうことはまったくありませんでした。
ただ、あの船には東南アジアからの移民の人たちも結構乗客として乗っていて、その人たちの一部は、ひょっとするとこちらの勝手な思い込みに過ぎないのかもしれませんが、同じアメリカ人同士なのに差別を受けているように感じました。あるいはあれは、ヴェトンム系の家族たちが、むしろ彼ら側からカーテンを引いていたのかもしれませんが。。。
hiroshi
2017/06/17 21:00
〜上から続く〜

フライボート
あれ、コナの港にテンダーから降りたところで地元のツアー会社に誘われたんですよ〜
相棒が大反対しました。「年寄りの冷や水、死んでもしらないら」と。
もちろん、こちらもおっかなかったんで、言われるまでもなく、参加しませんでした。
。。。でも、面白そうですよね〜〜
hiroshi
2017/06/17 21:01

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