潮風の中で〜クルーズと街歩き・覚え書

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zoom RSS 賑わう旧市街と壁一枚隔て、戦火で散った顔並ぶ。

<<   作成日時 : 2017/08/07 21:31   >>

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久しぶりの、旅の「覚え書」の更新である。

夏休み、の所為だ。
旅に出たワケでもないのに、一週間以上も旅日記を長休みした理由は。


ことしもまた一族郎党集い来りて、旅日記を書き込むことはおろか、PCを立ち上げてつかの間、お遊びを楽しむゆとりさえない、慌ただしい日々を送ってきた、そのワケのことだ。

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夏休み入りして以来、墓参を兼ねてやってきた“来襲”者たち、第一波の最後の一組が本日午後、立ち去ってくれて、第二波の先陣が到着するまで、ようやく、老夫婦二人だけの静かな日々を取り戻した。
。。。といっても、11日までのわずか数日だけであるが。。。

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今年の夏休みもまた、例年通り、忙しくはある。

あるけれども。
今夏は、温泉街の旅館や観光地のホテルを利用することで、飯炊きや布団の上げ下ろし、掃除、湯沸しなどの作業は大幅に減って幾分楽に過ごしており、体調は悪くはない。

ということで。
“来襲”者と一緒に、7月下旬からここ直近まで、あちら、こちらへと車を走らせて過ごしてきた。
うち、一番の遠出ドライブは、来客のうちの一組と一緒に、車2台に分乗して出かけた、夢千代の里。
9年ぶりであった。





温泉街を流れる川が3年ほど前に増水したそうで、街の中心、荒湯の足湯周りが、以前と少し表情を変えていただけで、相変わらず、静かなひなびた佇まいの、落ち着いた良い温泉町であった。


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我々世代の男たちはたいがい、症状に重い、軽いの差はあるとはいえ、映画『キューポラのある街』以来、既に半世紀越えの歴史を積んだ「サユリスト」たちでなかろうか。

もちろん自分も、例外ではない。

で。
この小さな温泉町は、どこか、そのサユリストたちの聖地めいて見えるから、不思議なものである。


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そういえば。
「キューポラ。。」でメガホンをとった浦山桐郎監督。その浦山監督最後の作品となったのが、この街を舞台にした、かの『夢千代日記』であったではないか?

だから、であろうか。
なんとなく、この街が聖地めいて見えるのは。。。


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ヒロシマでの胎内被ばく者。。。というのが、この街を舞台としたあの映画の主人公の略歴でもあったが。。。
おりしも本日は8月6日。あれから72年目の朝を迎えたのだった。



↑ と、昨夜にここまで書いて、眠気がさしてきて、ベッドにもぐりこんでしまった。
帰省客ラッシュはやはり、手抜きしていても、それなりに疲労がたまっているらい。。。



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   ∋ ∋ ∋   ∈ ∈ ∈   ∋ ∋ ∋   ∈ ∈ ∈


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ということで。

久しぶりの、旅の「覚え書」である。


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またまた、クルーズ船で立ち寄った、昨年晩秋のクロアチア、ドブロヴニクのハナシの続きだ。

今回は。。。

このクルーズ旅の寄港時で、完成してからちょうど500年の節目を迎えていた、ラグーサ共和国時代の税関の建物、つまり「スポンザ宮殿」のハナシである。


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1516年に完成したこの建物、17世紀にこの街を襲った大地震にも被害なく立ち残った、この街の数少ない、歴史画像の長い建造物として知られている。
そして今、現在は、この街の古文書館となっている。たとえば、←モボモガ時代の街の夫人たちの様子を撮影した、ローマのスペイン階段を模した、こちらの好きな聖イグナチオ教会の階段道などの写真資料や、ラグーサ共和国時代の裁判記録など、貴重な街の資料を展示している。

つまり、観光的にはいささか地味目の“名所”の一つなのだが。。。


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実はもう一つ、←貴重な部屋があるのだ。

つまり。
今回は、21世紀に入ってもう一つ設けられた、自分にとって興味深い、なんとなく威儀を正して入場してしまう、ちょっと地味目のメモリアル・ルームなのだ。
自分もこの旧市街が好きなものでこれまで何度か訪ねているが、この部屋だけはなんとなく緊張するもので、入室したのはこの時でまだ、たった2回目であった。

つまり、そのくらい、この部屋をのぞく観光客は少ない。


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では。
そは、何の記念室か?
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ドブロブニクの3つあるゲートのうち、メインゲートともいえるピレ門に、← ↑ ↓ ヒントがある。
尋ねるたびに、自分はついつい、その写真を撮ってしまうのだが。。。

“アドリア海の真珠”と呼ばれる世界遺産の街から一転、旧ユーゴスラビア連邦軍の砲撃を受けて↓世界危機遺産へと転じた1991年〜1992年の悲劇の歴史をとどめる、ドブロヴニク防衛のために身を挺して働いて命を落としていった人々のメモリアル・ルームがそれだ。






上の、ユネスコの動画で見れる砲撃の様子の結果、焼け落ちた旧市街の建物や破壊された数多くの屋根の所在状態、その後の街再生の歴史などは、街の最大の入口、ピレ門に掲示されている。

スポンザ宮殿のそのメモリアル・ルームは、その戦闘中に死んでいった若者たちの様子をまとめて残している聖地なのだ。


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ドアをくぐると。
壁面には一面の顔写真。
そして、そのモノクロ画像の若者や壮年の男性たちの写真の下に名前と年齢、死亡日などのプレートが添えられて。。。


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このメモリアル・ルームを一歩出ると、旧市街は世界から集った若者から老人まで数多くの人々で賑わっている。

が。。。
この部屋をのぞく人は、それほど多くはない。


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陶器製の花や当時の様子を捉えた画像、編集された映像、さらには、それぞれの戦死者の記念品などで埋まったこの部屋。

その壁の上の写真の若者たちは、当然ながら、現在の街の賑わいなど知ることなく命果てた。
壮年層、老年層に入ったと見える写真もいくらかあるが。。。その写真のご当人を含めて、壁を飾るほとんどの人の生年月日は、自分よりもはるかに歳下ばかりであった。


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その彼らは、命を懸けて守った、壁一枚隔てた街の現在の賑わいを、どう見ているのだろうか。
そういうことなどをついつい考えこんでしまう雰囲気が、この部屋にはある。

世界の国々からやってきた人々が書き残した言葉を綴ったノート。
そのノートをぱらぱらとくって、備え付けのペンで末尾にひと言、文字を書き残した相棒が、その後。
時間をかけて丁寧に折った小さな折り鶴一つを、目立たぬように、部屋の片隅にそっと置いていた。


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今回は、そのメモリアル・ルームで撮った写真の「覚え書」だ。






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