セレブリティ クルーズ ~25~ ベルファースト①
北アイルランド、ベルファースト。初訪問の街です。
世界で有名な街の一つです。かつては工業都市。ここ30年ほどはマイナス・イメージで。
果てしなく続く、と思われていたあの紛争、抗争。
「今は、落ち着いた。もうすぐ、歴史の中に名をとどめるのみとなる。世界を騒がすほどの抗争はもうない。和平は根付いている」-。
~写真上は、あの「タイタニック」を建造した造船所、「ハーランド&ウォルフ社」のドライドッグ=手前=と、そのドライドッグの対岸に停泊する「センチュリー」。
ドッグの中をのぞくと、大空間。ドッグも、高さ1メートルほどの鉄柵で囲まれているだけで、タイタニックをイメージするよすがは何もない。この街へクルーズ客船がやって来るのは久々だと、地元のマニアが、タイタニック建造ドッグとの組み合わせで写真撮影に。しかしそれも、まばら。乗船客もほとんど、ここには姿を見なかった。下の航空写真プラス地図の、カバンのマークポイントが「センチュリー」の停泊場所。その対岸の、上下2基あるドライドッグのうちの下の1基がタイタニック建造ドッグ~
下船する前、船内のテレビで北アイルランドをガイドしてくれたクルーの話です。「シャンキル(Shankill)通りとフォルス(Folls)通り=注・カトリック系住民とプロテスタント系住民が近接して住んでいる、ベルファーストの下町=周辺にさえ近づかなければ、ベルファーストはもう、夜でも安全」だそうです。本当でしょうか。信じていいのでしょうか-。
1980年代から90年代に、ロンドンに中、長期滞在した当時の留学生や商社マン、その他日系人の皆さん、信じられますか?
~写真は、ひときわ異彩を放つ「グランド・オペラ・ハウス」。その奥は、ヨーロッパ・ホテル。世界でも一、二を争う有名ホテルだ。カトリックとプロテスタント、ユニオニストとナショナリストが血の抗争を繰り広げた当時、取材に集まる世界の新聞記者たちの常宿ホテルでもあった。このため爆破事件が頻繁に勃発し、ギネスの世界一記録で「世界で最も数多く爆破されたホテル」に、現在でも名を連ねているという~
さすが、古くからの造船の街。港は広大で、右に左に、行っても行っても埠頭が続く、奥の深い港湾都市でした。しかしイメージは、うらぶれた、翳り行く街。いったいどれが、その巨大ぶりで有名な超マンモスクレーン「サムソンとゴリアデ(Samson&Goliath)」なのか。見当もつかないほどに数多い巨大クレーンが林立。が、そのほとんどが稼動していません。
あの「タイタニック」を造り、進水式では10万人が見物に来たと書き留められている資料で想像できる、当時の華やかさ、きらびやかさなどは微塵も感じ取れないほど、さびしい街。それが、港に入った第一印象でした。しかしここで、アムステルダム出港以来初めて、乗客の乗る船に出会いました。
写真の、ステナ・ライン(Stena.line)のフェリーです。
今回のコース、クルーズ船の辺境地域を巡っていると見え、出港以来これまで、客船はもとよりフェリーにさえ、出会ったことがなかったのです。で、センチュリーの乗客がこぞって、うれしそうにフェリーを眺めていました。このフェリー、名前は「ステナ・ボイジャー」。スコットランド、ローランド地方のストランラーとベルファーストを、高速船で1時間45分で結んでいます。
下船して地上観光のバスに乗り、ジャイアンツ・コーズウェイなど「目玉」の郊外の観光地を巡り終え、街に入ったのは、既に夕方近く。そして、その所為もあって、結局は、わびしいというか、寂しい感じの、港の第一印象と同じイメージでした。街並みは。マスコミを賑わした長年の歴史に、こちらの目が「色眼鏡」「曇り眼鏡」で眺めていたのかもしれませんが。
人口40万人。ヨーロッパの基準値ではフィレンツエやニース、ビルバオなどと並ぶ中規模都市で、そこそこ賑やかな街の範疇に入ると思うのです。が、華やかさは、薄かったです。
今では国境での検問もなく~(完全フリー、だそうです)~、バスで簡単に行ける、南の共和国の首都ダブリンに比べてさえ。一世紀ほど昔、ともに英国領時代には、経済力では比べものにならないくらいに、ダブリンをはるかにしのいでいたのに。
人通りも車の通行量も、商店やデパートの飾り付けも。地中海沿岸のラテン系の国に比べてすべて地味目の、イギリスの都市の一つである、という条件を差し引いても、なお、印象は暗かったです。
~写真は、ベルファーストの象徴、時計塔の基礎部の彫刻~
理由はいくつかありますが、最も目立つのは、人通りが少なく、中心街なのに店もそろそろ閉店準備中、または閉店済み。聞けば、木曜以外は午後5時もしくは5時半が閉店時間。その木曜とクリスマス・シーズンを除くと、飲食店も観光客相手のみやげ物店も、きちっと時間厳守しているそうです。店のウィンドーも飾り付けが少なく、典型的な、昔のヨーロッパの風習の街でした。
バスに添乗し、この街を案内したのは、ベルファーストに住む地元の方と結婚し、「カトリック、プロテスタント双方の地区のカルチャーセンターでボランティアをし、双方の皆さんと仲良くしている」語る、日本人女性の方でした。
~完成以来今年で101年目の市庁舎、シティホール~
住み始めてから既にン年、、、とおっしゃるだけに、テロ、無差別殺戮で国際社会をも揺るがした対立の構図の「元凶地」情報にお詳しく、日本のテレビや新聞だけではわからないさまざまな情報も、かいつまんで車内で教えていただきました。日本のテレビ局の取材にも、現地での調整スタッフとして参加した経験があるそうです。「日本人への印象、対応は、双方の住民とも概していいのですが、、、」。
~写真は、「最近2,3年で見違えるように整備が進んだ」というイベント広場と王立裁判所~
「そしてまた永年の歴史がありますから、日本人の底の浅い知識に基づく判断や情勢認識だけでは、理解しにくい面も。勝手な印象だけで、かつての対立地区に入るのは、どうでしょうか?」。歯に衣着せぬ表現で、お話になっていました。
と言っても今では、緊張感は薄らいできたそうです。街も平穏さを取り戻し、バス停の整備、電車の新車両導入など、荒れていたインフラも整ってきたそうです。
~2000年に完成した複合施設「オデッセイ」。内部には、ホッケーチーム「ベルファースト・ジャイアンツ」のホーム・リンクのほか映画館が13も~
「1998年に20数人が亡くなったのを最後に、以降は確かに、爆発事件は一切起きていません。また金曜、土曜になるとパブやディスコにも人々が集まるようになって、第一、柔和な表情になりました。皆さん、、、」。そうか、「真のIRA(Real IRA)」のオマー事件以来、もう10年になるのか、、、。
観光客も、やってくるようになった、そうです。
~街の中心を流れるラガン川のウォーターフロントも整備が進んだのだそうだ。写真は、新しく出来たダム。すぐ近くから、タイタニックを造ったドライドッグ見学観光船が発着している。タイタニック記念碑も近い~
そういえば、我々も、船に乗って訪ねている観光客なのデス! 途中、カリブ海や地中海のように、他のクルーズ船に遇うことはまだ一度も経験していない、クルーズ過疎地のような海原ですが。もう、大丈夫、とはおっしゃらなかったですが、そんなニュアンスを含ませた言葉が、続きました。
~ロンドンでおなじみの「マークス&スペンサー」も中心街に。しかし、午後5時で閉店済み~
船に戻って、タイタニックを建造したドライドッグを、写真に撮りました。たった1枚ですが。いや、正確には、撮ったつもりで、いました。
出港の時が来て、パイロット船の写真も撮りました。
帰国して、メモリーをチェックしても、そのたった1枚の写真は、捜しても探してもありません。撮ったつもりでいた、だけなのかもしれません。残念です。
~タイタニック建造のドライドッグの、一基北にあるドッグ。タグボート写真の中に、偶然、入っていた~

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