遅い午後、モスタルへ。紛争の爪痕、見ゆ。
例年、春にわが家の庭にやってくる、うるさいヤツである。

これも温暖化の影響だろうか?
年々、わが家にやってくる日にちが早まって、今年は、菓子メーカーの“陰謀”で誕生した、チョコ「お返し」の日の翌日朝のベッドで、もう、うるさく啼き続けて、たたき起こされた。
時計をみたら、まだ朝の6時過ぎだった。
朝寝坊派のわが身にとって、大いなる苦悶の日の始まりであった。
何本か花梅の木があるが、キヤツのとくにお気に入りの一本は、寝室の窓辺近くの、品種「白加賀」の花らしい。
最初のころ。朝、叩き起こされるたびに、驚かせて追い逃げさせようと、カーテンを遮光布ともジャ、ジャァーっと一気に引き開けて、逃げた後、またひと眠り出来たのだが。。。
テキもさるもの。いや、猿ではなく、捕り物。いやいや、鳥もの。
「静かな朝、帰ってくる」、は「雀のぬか喜び」、ならぬ「鶯の。。。」それで、一週間もせずに「白加賀」はキヤツの朝の定番ポイントに逆戻りし、カーテン、ジャァ~ンも、横目で「あほなヤツ」と侮蔑の目で見られるだけで、効果はなくなった。
以来、すっかり見下されて。
どの百科事典を開いても「警戒心が強い」とか、「人間にあまり慣れ親しまぬ」と書かれている野生派のくせに、キヤツは、こちらが2~3メートルまで近寄っても、逃げもせず、さほど警戒もせず。
これも、どうもお気に入りらしい藤棚の上では、真下を通っても、芽吹いた藤の花の花穂の影に身を隠す、頭隠して。。。くらいのいい加減な警戒ぶりで、ほぼ平気なのか、こちらが軽くみられているのか。。。
おかげで、キヤツの写真が実に撮りやすくなった。
逆に彼からは、こちらはせいぜい、彼の縄張りの一角と見えるわが家の庭の、つまり彼の縄張りの、どうでもいい添え物、あるいはテリトリーに付属の召し使い、くらいの存在なのかもしれない。
最近、伴侶か連れ合いが出来たらしく、彼の鳴き声が変わってきた。
相棒求むとアピールしていた日々の鋭さ、けたたましさが消えて、トーンが優しくなった。
とくに、アセビやツバキなどの常緑低木下あたりで蝉の幼虫など、餌の虫を探している時がそうだ。
きっと、あの鳴き声で誘惑?したに違いない伴侶も、こちらには見えないどこかに隠れて近くにいるのだろう。
啼き声は「お~い、美味しいヤツ、見つけたぞ!」と、合図を送っている甘いささやきに聞こえてくる。
ほんとにそう聞こえるから、不思議である。
春告げ鳥、と聴くとイメージはやさしいが。。。
かく、甘くみられ、軽んじられている立場で言えば。
結構、小生意気なヤツである。


前回に続いて、桜の名所の話である。
北アルプス、白馬連峰がさらに北の親不知界隈の厳しい断崖で、日本海へ向かって急激に沈み込む山並みを背景に、「白雪を抱く北アルプス」と、「桜並木」と、「チューリップ」と、「菜の花」の計4つの美を満喫できる、「春の絶景、四重奏」ともいえる桜の名所がある。
「舟川べり」という。
北ア、後立山連峰や剱岳、僧ヶ岳などを望める標高959メートルの負釣山(おいつるしやま)山麓を水源とした舟川が日本海に注ぐ間の堤に咲く二百数十本の桜並木が主役だ。周辺はチューリップの球根栽培や菜の花栽培農家があり、そのチューリップと菜の花と桜と雪の連峰の組み合わせが“名物”となっている。
初めて、こちらへも行ってきた。
菜の花は時期尚早でまだ花はなく、チューリップも超早咲き種のみ、ほんの一部咲き出したばかりで、畑はまだ土色が主色であった。チューリップの花開いた畑周りには、カメラを手にしたマニアが集まっていた。
しかし。
残念ながら菜の花はまだシーズン前で、しかも訪ねた日はあいにく、背後の山の天気はもう一つで高山帯は雲に隠れて見えず。
結果、「カルテット」の光景はアウト。桜とチューリップ、プラス背後の山稜のすそ野低山帯だけの光景で、せいぜい「デュオ」か、良くて“ニ・五重奏”程度。「トリオ」にも届かぬ残念な日であった。
けれども。
頭が勝手に「カルテット」の光景を夢想? or 想像??してくれて。結果、結構楽しめた。
旅の「覚え書」を、改めて再開。。。
↑ スプリット旧市街を離れて、ボスニア・ヘルツェゴビナへとツアーバスは向かい、スプリットの新市街へと入った直後。この日、午後遅く。バスの車内から、お馴染みのロゴのマークに、今は亡き往年のスター、エルヴィス・プレスリーとマリリン・モンローの大画像を張りつけた、大きな広告を続けさまに何枚も見た。
例の、ボトル生誕100年を記念したお馴染みの清涼飲料メーカーのコマーシャルの一環で、ボトルを一人称として語らせて「I ELVIS ME POLJUBIO」、「I MARILYN ME POLJUBILA」と書かれていた。日本で何回か見たCMや広告と同じ登場人物ながら、扱い方が少し違っていた。
何が書かれているのか?
さっそく、手持ちの電子辞書を取り出して調べたら(エルヴィスが自分にキスした)、(マリリンに自分はキスした)と読めた。なるほど。コークを飲むって、確かに、ボトルの口と人間の口との接吻と見えなくもない。
高速道路は標高500メートル~700メートルの山間部を走っている。峠道では、4月5日の大雪の名残雪なのか、はたまた、新しく前日夜に降ったのか、路端に雪が残っていた。
プレスリーとモンローの宣伝看板が大きく張り出されていて、なぜか、うれしくなった。
つい二十数年昔までは旧東欧圏の国であったのに。
加えてその後、つい先。
21世紀を迎えるころまではいくつもの紛争が続発した内戦の国であったのに。
平和な日本と同じ。
ゲップが出そうなほどの安穏な、平和であるからこそ大手を振って貼り出される、飲み物や食べ物の広告がデカデカと掲げられる、そんな国にこの国もなったのだな。。。
その象徴の大広告だな。。。と。
で、何枚か写真に撮った。
D8(国道8号)から高速道A1と走って、クロアチアから内陸部のボスニア・ヘルツェゴヴィナへ向かって進み始める直前のころ、バスは休憩のため、「ラスカネ・ゴルニェ(Rašćane Gornje)」と案内板にかかれた高速道のパーキング・エリアに滑り込んだ。“おしっこタイム”であった。そのPAに、この日見た最初の、この国、そして隣接する国を含めたこの地域、旧ユーゴスラビアの、忌まわしい戦争被害相次いだ歴史の記念碑が立っていた。
立っていた英文も交えた説明書によると、このラスカネという小さな村は、かつて第二次世界大戦当時、バルチザンの隠れ家の一つであったらしく、当時、こちらに侵攻したナチス・ドイツ、イタリアのファシストたちに虐殺された百数十人の村人や拉致されて殺されたスプリットの司祭たちを記念したメモリアル碑であった。
国境を越える。ボスニア・ヘルツェゴビナの入国管理官が乗り込んでくる。こちらではバスを降りなくて良かった。座席に座ったまま、目の前にパスポートを掲げるだけで、チェックは終わった。
4カ国を行ったり戻ったりの国境の検問で、こちらが一番簡単であった。
通り過ぎる時、ボスニア・ヘルツェゴビナの国旗が上下逆に掲げられているように思ったのだが、こちらの勘違いであったのだろうか?ネレトバ川に出会う。
川幅はそれほどなく、予想していたほどの大河ではなかった。しかし、水量は多い。そして、石灰大地であるこちら、バルカン半島の大地の影響か、水の色が随分碧い。翡翠色だ。
↑ 紛争当時、建設中であった元銀行の建物。ユーゴスラビア人民軍 (JNA) とボスニア軍の支配地が隣り合う境界に建つため、敵陣地の兵を狙い撃ちする狙撃兵のポイントになっていたという。建設途中で放置されて現在に至る。
モスタルの市街に入ったら、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で破壊された家々の残骸や銀行のビル、銃弾を浴びた壁など、次々に目の前に現れた。もう20年ほども過ぎているのに。戦火の爪痕は、まだ消えていなかった。
ホテル近くでバスを降りた時。
目の前を、日の丸を背負った黄色い公共バスが走り抜けていった。
紛争、また紛争で疲弊しきって、立ちあがる気力も失いかけていたこの国の人々へ向けて。
この国の残る他の2つの街と共にモスタルへ、JICAを窓口に、日本が贈った40台の、黄色い公共バスだ。
車体後部と側部の日の丸が鮮やかで、ちょっと誇らしい気持ちになった。


























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